Qメモランダム 9月になってもまだ夏の名残の日差しが強いこのごろです。


2006・9・9 白日展入選作 「桃源郷」 50号 
2006・12・31 大晦日
 大掃除も終えて、年越し蕎麦もいただきました。おそばのお汁が濃いの薄いだのいいながら おせち料理にも手をつけて、もう満腹です。
 
 最近、息子夫婦が 隣へ引っ越ししてきて、にぎやかになりました。いいものですね〜〜。孫は4ヶ月になりました。とってもかわいいです。歌が大好きなので、だっこしながら毎日歌ってもらっています。

 養老のおじいちゃん
手作りのしめ縄と 鉢植えをありがとうございました。心のこもった芸術作品ですね。おかげさまでいい年を迎えられます。

 みなさま 何かと大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。 
2006・12・24 ディープインパクトありがとう
 やっぱり あなたは強かった。そうして最高に格好良かった。優勝したのだとわかったのは 夕方見たビデオから・・・・。勝敗が気にはなっていたけど 師走の町を走り回っていたので その時を見逃した。 ビデオであることもわすれて 応援する。騎手に答えて、計算し尽くされた武豊のいいつけを守り、はやる気持ちをおさえて ラストスパートをかけた。後方待機から残り300メートルで飛び出し、一気に他の馬を突き放した。やはり空を飛んでいたようなそんな感じでもあった。見納めの思い出に残る有馬記念であった。
2006・12・14 師走
 24日の有馬記念が引退レースとなるディープインパクト。優勝して有終の美を飾ることができるでしょうか。なぜ突然こういう話が出てきたかというと、玄関で咲いているシンピジウムの名前が同じなのである。ビックリさせるほど綺麗だからでしょうか速いからでしょうか。黄色のきれいな花から日々元気を頂きます。ありがとう。
 しばらく 仕事が忙しいけれど 年の締めくくりをきちんとやりたいと思います。

 師走に入ってから、部屋の中をすっかり整理した。革張りの長椅子のセットなども
出しました。ずいぶん部屋を占領していた感じです。ゴミ出しの日にも大量に処分をして、まるで3〜4畳くらいの増築をしたようなゆとりが出てきました。後、大量の絵が残ってどうしようもない。困ったものだ!
2006・12・8 ゆうちゃん・七五三(11月5日)・お食い初め(12月4日)
 徳善寺さんからのご招待で、早々と七五三のお参りをしてきました。おとなしくママに抱かれてお利口さんでしたとほめて頂きました。着物がとてもよく似合うねって。
 お食い初めの儀式もしました。元気ですくすくすと育ってねと祈願致しました。お祝いの御膳は養老のおじいちゃんおばあちゃんから祝って貰ったミッフィーの食器と 徳善寺さんから七五三さんの時にお祝いに頂戴したもので、朱塗りのお椀や箸を揃えてもらって 手作りのお料理でいただきました。大きな鯛が並んでいるでしょう。ケーキもおいしかったね。
 
 親しいカラオケのお友達が私の都合に合わせて、お食事会を開いてくれました。やっちゃんもおばあちゃんの仲間入りをしたからと言って、会の名前を「ちゃんちゃん会」と決め、ボトルに書き込んでいました。おばあちゃんもいいものです。
2006・12・2 岩村城址・スケッチ旅行
風光明媚な場所を選んで、野外で絵を描いてきました。風邪が治りきっていなかったので、身体が芯から冷えてきたけど 描くのが楽しいのでついつい夢中になって、いました。
岩村城とはこんなところ。おいしい甘酒も買ってきました。

 岩村城は別名霞ヶ城ともいい、海抜721mにある日本3大山城の一つで、織田方と武田方の攻防戦が行われた城で、全山に累々たる石垣が残っている。
 織田方の岩村城主、遠山景任の死後、景任未亡人おつやの方(織田信長の叔母)が女城主として采配をふるっていたが、武田方の秋山晴近は調略によりおつやの方と結婚することによりこの城を武田方のものとした。
 このため天正2年(1574)6月、信長は岩村城を奪還すべく嫡男信忠、美濃の事情に詳しい光秀ら3万人の兵力で攻撃してこの城を落とした。戦いのあと、城主秋山晴近、信長の叔母、兵約3千人はすべて長良川河原で処刑、殺害された。
2006・11・28 紅葉
 9月の下旬頃から 11月にかけて 毎週ほぼ土日にかけて研修を受けていましたのでHPはすっかり、ご無沙汰してしまいました。運動不足に付け加えて 慣れない研修で肩に力が入ってしまい、体調がいまいちなの・・・。
 午後4時頃、明るい内にと思って 犬の散歩に 羽津城跡へ足を延ばしました。 紅葉した落ち葉が広場いっぱいぎっしり敷き詰められて、それは〜それは、とても綺麗な光景でした。時々 はらはらと舞い落ちるのを 犬がすばやく飛びついて、その動作が素早いので、身体が振り回されたりする。 この情緒がおまえにはわかるまいと勝手に思いながらも 季節の移り変わりの早さに とまどうのでした。 
2006・10・1 宮参り
 孫が誕生して はや1ヶ月となりました。由侑(ゆう)と名付けました。日増しにかわいくなってきました。最近はお腹がすくと元気に大きな声で泣くようになってきたとかで、体重は4400グラムにもなりました。1ヶ月検診ではすこし太りすぎとかで、ちょっとしたことも 話題に上ります。
 実家のご両親といっしょに お宮参りに行ってきました。お里からの心のこもった素敵な初着を羽織って貰ってお払いを受けました。朱地に菊の花模様の晴れ着が眩しいくらい。とても幸せなゆうちゃん。将来の加護と、そして健やかに育ちますようにと祈願致しました。
2006・9・22 スーパーばあちゃん
 これはもちろん、私の事ではないの...母のことです。(84歳)今に始まったことではないのです。ことの起こりは 見上げる位置の高いひさしの下に 蜂の巣を見つけた事です。取り敢えず、安全注意義務がありますので、仕事場の職員とばあちゃんに注意を促しておき、昼間のことだったので、仕事中と言うこともあり、蜂退治は夕方に決行と計画を立てておりました。風があって暑い日中は蜂も活発でしょうから・・・。
 その折りには犬の竜を避難させて、そうして窓の戸を締めようとか、頭は黒いから狙われるから、手ぬぐいをかぶってやろうとか、殺虫剤も用意してと 長男が段取りをしていました。さて、その時間がやってきましたところ、もうすでに巣は跡形もありませんでした。さて誰がいつの間に早々に退治したのでしょうか?

 私の子供時代のことです。屋根瓦の差し替え、家の修繕、村役の仕事などは母がすべてやっておりました。家を守ることは女の仕事と思いこんでいました私は、ある時 他家へ行ったら、父親らしき人が屋根へ登って修繕をやってみえたのでビックリ仰天しました。
2006・9・18 芸術の秋
大和を愛した巨匠
 土門 拳・入江泰吉 二人展へ(菰野のパラミタミュージアム)
二人はともに大和を愛し,生涯通じて、古寺仏像を撮影し続けました。二人の作品は時に「動」と「静」「剛」と「柔」と比較されているように作風は異なります。どちらが好みかというと、油絵での表現をするなら 私は入江泰吉の描写方法を選択したい。かたや、対象のとらえ方は土門 拳が抜群であるとおもう。展示された作品の仏像などは 大半のものはこの目でみた。ひとりであったり、家族であったり、友人達とであったりするが、その時々、それぞれの見方があったのだと想像するのも楽しい。
2006・9・9 おかげ会 

文化のみち二葉舘
名古屋市
旧川上貞奴邸
いつもの場所で10時半に待ち合わせて、桜通線・高岳駅(たかおか駅)で降りて白壁へお食事に行きました。残暑厳しい昼中ではありましたが、名古屋市東区界隈をそぞろ歩きしました。「文化のみち北部エリア」あたりは 20世紀の初頭には豊田佐吉や、福沢桃介、その他様々な大志を抱いた人たちが闊歩していたようです。画像の建物の二葉舘1階和室には、川上貞奴が所蔵していた着物などが展示されていました。珍しい織りで、贅沢で凝ったものでありました。
 
 後半は 白日展の名古屋博物館へ友人達を誘う。ちょうど私の入選作も展示されていましたので、皆に見て貰いました。いい機会を得て幸いでした。また、油絵教室の皆様にもご高覧を賜りありがとうございました。
2006・9・5  散歩道
 犬と歩いていると、甘い香りが漂ってくる。そこにはオシロイバナの白い花がいっぱい咲いていた。今朝は萩の花も一つ見つけた。秋の気配を感じたことです。この花は万葉集で最も多く歌われていると聞きます。
道ばたのエノコログサは、犬の大好物。イネ科で穂の柔らかい毛が子犬のしっぽを思わせる。別名はネコジャラシというからおもしろい。
 海蔵川や伊坂ダムその他各地の生け垣によく見かける花だが、名前が出てこない。調べてみると ハナツクバネ、とかアベリアともいうらしい。幼少の頃、この花を鼻に乗せて遊んだ記憶があります。
第32回公募
中部白日展/2006

 会期 9月5日(火)〜9月10日(日)
   AM9:30〜PM4:30まで
 会場 名古屋市博物館(3F・ギャラリー)