天津だより

 

天津便り その9(04/10/30)  福   力   

皆様またしばらくご無沙汰いたしました。

 10月21、22日に北京の中日友好環境保護中心で「日中環境化学連合シンポジウム」が開かれました。私は環境化学会の会員ではなく、これまでこの学会の集会には一度も出たことはなかったのですが、同僚の山崎慎一氏に誘われて参加したところ、合志先生、森田部長、柴田さんをはじめとして杉本さん、西川さん、伊藤さん、高木さんなど環境研の方、それに奈良の松本氏などなつかしい方々にお会いすることができました。会議のようすはもちろんこれらの方々から直接伝わることと思いますが、いささか漫然と参加したに過ぎない私にも印象に残ったことが2つありました。一つは日本語の達者な幾人もの中国の若い研究者が会議の運営を支えていたことです。このシンポジウムは今回が最初で、今後続けて行くことが計画されているようですが、仮に次回を日本で開いたとしたとき、中国語ができて同様の役割を果たせる日本の研究者がどれだけいるかちょっと心配になりました。きっと日本に滞在中の中国の方たちの世話にならざるを得ないのだろうと感じます。私などこちらに来てから1年を過ぎたのに中国語は全く絶望的な状態で、日中間に存在するこの言葉の「非対称性」は何とかならないものかと思いました。

 もう一つは会議の最後のパネルディスカッションのときのこと、China National Environmental Monitoring Center 所属で、日本で言えば国会議員に相当する地位にあると紹介された 複盛 氏が「中国の工業の発展は日本に負うところが大きいのだから、それがもたらす汚染ということについて日本の人たちにも責任があることを認識して欲しい」という趣旨の発言をしたとき中国人の参加者から一斉に拍手が起きたことです。中国の人たちの偽らざる胸のうちをはからずも覗き見ることができたような気がしました。学問の世界では、日中間のわだかまりといったようなものが表に出ることはほとんどないと思いますが、それは私達がその種のことに鈍感であってよい理由にはならない、と改めて感じさせられました。

 私が来てから後のことだけ考えても、チチハルの毒ガス事件、西安の寸劇事件、珠海の買春事件、アジア杯サッカー大会における中国人の振る舞い、東シナ海のガス田開発、それにもう慢性化している靖国神社参拝など、日中間の険しい問題はいくつも起こりましたが、私自身はこれまでのところ不愉快な経験は全くなく、このことを考えると中国の人たちに感謝したい気持ちです。私が接する中国人の多くが、経済的にも知識レベルの点でも上層の人たちだからかな、とも思いましたがそういうことでもなさそうです。先日公用旅券の更新で領事館を訪ねたときに乗ったタクシーの運転手から「日本人か?」と聞かれたので「そうだ」と答えるとなにやら盛んにおしゃべりを始めました。残念ながらほとんどわからないのですが、どうやら彼は日本語を少しかじって、日本語と中国語とで「愛」という字の意味も発音も共通であることがとても気に入っているようでした。そして「私はあなたを愛しています」という日本語を何度も繰り返しました。またやはりタクシーの運転手でしたが、「日本の歌を知っている」とか言っていきなりソーラン節を歌い始めたのでびっくりしたこともありました。そう言えば、上に書いた北京の学会で、バンケットのディナーショーのとき「とくに日本の歌をサービスします」といって中国の芸人が歌ったのがやはりソーラン節でした。偶然ではなくなにか理由があるのかもしれません。

 タクシーの運転手ばかりでなく街の小さなお店の人たちも親切です。中国に来る前のJICA の研修で中国語のレッスンを受けたとき、中国人の先生から「郵便局の窓口などとても態度が悪いからそのつもりで」と言われましたが天津に関する限りそんなことはありません。郵便局でも銀行でも窓口の人は実にさわやかな笑顔で対応してくれます。夏のサッカーの件以来、中国に対する日本人の印象が相当悪化したと報道されていましたが、正しい判断をするためにはメディアに頼るだけでなくやはり自分の目で見ることが何より大切だと訴えたいと思います。

 今回はこの辺で。寒さに向かう折、皆様どうぞお体を大切に。

 

天津便り その7( 04/6/13)   福  

 前の便りから3カ月もご無沙汰いたしました。泉氏から頼まれた総説原稿に取り組んでいたり、日本から友人が遊びに来たりで、しばらくこの便りから遠ざかってしまいました。総説を書くのに、こちらでは文献が見られないので心配でしたが、泉氏、内山氏の協力のお蔭で10日くらい前にほぼすませました。締め切りは7月20日なのでまだ1カ月以
上あります。およそ原稿なるものは締め切り過ぎて数日以内で出来れば上々、1週間〜10日くらい遅れるのは当たり前というのが現役時代でしたから、今回のようなことは初めて(多分皆様誰もそんな経験ないことでしょう!)で、隠居生活のゆとりのありがたさをしみじみと感じています。

 4月初め、私を含めて3人の JICA 派遣教官のうちの一人が帰国し、代わりに東北大学 OB 山崎慎一氏が赴任されました。私は同氏のことを知らなかったのですが、氏はつくばの農環研にいたこともあるそうで、話をうかがうと、松本氏、西川氏、高松氏、伊藤氏、それから袴田氏や新藤さんなど懐かしいお名前が次々に出てきました。大学院では土壌学の講義をなさり、また私と一緒に日本人学生の修士論文指導に当たっています。

 さて私の派遣期間は当初1年間(7月11日まで)となっていて、もう1年延長してもらうためには健康診断を受ける必要があるとのことで全く当惑しました。なにしろ言葉が依然としてダメで、受診を頼もうにも電話もかけられず、それに何分体に直接関わることなので、意思の疎通ができないためスムーズに行かないのが心配で、一時帰国して受診するしかないと思いつつ、北京の JICA 事務所に相談したところ、通訳を手配してもらえて何とか終えることができました。信州大学に留学したという女性が初めから終わりまで約3時間とても親切に付き添ってくれました。受診は医科大学付属病院でした。多分天津では一流の病院だと思うのですが、お世辞にもきれいとは言えず、私の小学校時代(ですからもう50年くらい前)に行った田舎の病院を思い出しました。ところが、心電図や胃検査のためのX線、超音波検査などの医療器械は今の日本の病院と同じレベルのものがそろっていました。医療器械と言えば、日本でも高価なものの代表みたいで、物価の違いを考慮に入れると莫大なお金が医療分野に投じられているという印象を受けました。昨年の宇宙船打ち上げのときにも感じたのですが、「必要」と判断したところには集中的にお金を使う、というやり方がはっきりしているようです。社会主義のよい面なのかもしれません。進んでる!と思ったのは体温測定。日本では私の知る限り、体温計(さすがに水銀式のはもう使われず、電子体温計ですが)を腋に挟んでピッと鳴るまで待つのだと思います。こちらでは、ピストル型のものを額に突き付けられたのでドッキリ、しかし赤外線式リモートセンシングで一瞬のうちに済みました。看護師さんの腕も鮮やかでした。私は以前血液の病気で採血検査を何回も受けたことがあり、ときには針を抜いた後血が止まらず床にポタポタという看護師にも出会いました。今回は出血の痕跡もありませんでした。病院のようす、大勢の患者さんがベンチに座って辛抱強く待っている間を看護師がせわしげに歩き回っている、というあの風景はびっくりするくらい日本と同じでした。少し違うかもしれないのは女医さんの方が多いように見えたこと。私が接したのもすべて女医でした。 その結果ですが、健診に関するJICA の判断はとても厳しいと聞いていて、現に先に受診した同僚は「高脂血症」だからこのままでは派遣延長はダメと言われ、急遽医師に相談して食餌療法の処方を作ってもらって何とかクリアしたとのことでした。どうなることか、と思っていましたが2,3日前に「問題なし」という所見が出て来年7月までの任期延長が決まりました。2年目は、一通り講義の準備も出来ていることだし、ますますゆとりある生活となりそうです。さしあたって夏休み、7月なかば一時帰国するつもりです。 それではまた。みなさま健康にはくれぐれもお気をつけて。

 

天津便り その6( 04/03/09)   福 山 

マンションの窓からよく見える位置に何かの役所らしい建物があって、屋根の上に国旗(五星紅旗)が24時間はためいています。それを見て風向きと大体の風速を知ることができます。冬になると強い北風が多くなり、そんな日に外に出ると大抵喉の具合が悪くなりました。昨年暮れには、一時帰国の航空券の手配のため、片道20分ほどの旅行社に行ったところ、こちらに来てから初めて風邪をひいてしまったこともありました。ところが、1月30日から2週間一時帰国して天津に戻ると、旗の向きは正反対、風が南風に変わっていました(添付の写真参照)。もう冬は過ぎた、となぜかうれしくなりました。そして、2月24日、まだ高い位置にある太陽が直視できて、これまで見たことのないような異様な色(黄色に近い)だったのでちょっとびっくり。次の日 TVで日本のニュースを見ていたら、「昨日午後黄砂が西日本に飛来しました。」とのことで、ルートは天津の南方を通過したようでした。平年より早いそうです。当然とはいいながら、季節は確実に春に向かっています。

2月23日には、千葉大学の竹内延夫氏が訪ねて下さり、私の部屋に一泊して行きました。竹内氏には安徽光学精密機械研究所の研究員が同行し、翌24日一緒に天津市環境観測中心を見学しました。実を言うと、ここには昨年秋大学院のスタッフ・学生とともに既に一度来たことがありました。しかし、そのときの一行の中で中国語が解らないのは私ともう一人だけ、ということで、大学院中国人教官による日本語への通訳はごく断片的にしかされず、ほんの概要をおぼろげにつかんだだけという結果でした。今回は英語でコミュニケートできたのでかなり情報が得られました。竹内氏の目的はここで稼動している DOAS を見ることことでした。天津だけで DOAS が8台も動いているとのことで驚きました。「日本では routine で動かしている DOAS など1台もないですよね」、と竹内氏に訊ねると「そのとおりです。」とのことでした。話は前後しますが、先学期(1月2日に終了)の期末試験に代えて、学生たちにレポートを課しましたが、課題の一つに「天津市の大気にはどのような汚染物が含まれている可能性があるか? それらの発生源を知るためにはどのような観測をするのが適当だと考えるか?」というのを出したら中国人の学生達がいろいろ調べてくれました。上記見学や学生レポートで得られた情報についてはまとめて次回の便りでお知らせしたいと思います。

2月中旬から新学期が始まりました。昨年9月には日本人5人、中国人3人あわせて8人の学生がいたのですが、その後日本人3人が退学したり、転科したりして今は全部で5人になってしまいました。今後は修士論文作成が主になりますけれど、彼らが選んだテーマは

     天津市周辺の水資源の状況と将来への提言

     天津市周辺におけるごみ処理とリサイクルの現状と望ましい姿

     天津市が将来もつべき交通体系

     中国の企業における環境への配慮−サービス業を中心として

     中国における sustainable industry の可能性

といったもので、私が出る幕はなくなりました。最初の2つが日本人学生のテーマで、私もアドバイザーという形で論文作成をサポートすることになりました。そんないきさつで今学期予定されている私の講義は5回だけとなって、楽になったと思っていたら何と日本人の1年生(昨年9月入学)に数学を教えてくれ、と言われてしまいました。中国では文科系でも数学がかなり重視されていて undergraduateの段階で講義時間も多く設定されているのに対して、日本人の文科系学生は微積分もろくにできないから、という理由でとくに補講をするのだそうです。化学出身の私がまさか数学を教えるとは全く予想外でいささかとまどっています。

 まもなく滞在予定期間の1/3となります。中国語は全く上達しません。とくに聴くののが全然わかるようにならず悩みの種です。例えば、「チー」と聞こえる音が4種類(qi, ji, chi, zhi)もあるし、qu, ju とも区別しにくいし、その上声調の違いもあってもう絶望的です。全く声調というのは恐怖のタネです。昨年出発前に中国語の研修を受けていたとき、よく使う表現として「請問(Qing wen)・・・=お尋ねしますが・・・」というのを習いました。そのとき、この wen は第4声(下降調)ですが、それを間違って第3声(低音調)で発音すると「請吻 =キスしてください」になって大変なことになるよ、と注意されました。こちらに来てからものは試しと思って、中国人の女子学生に「Qing wen(第3声)」と言ってみたら「ヒャー」と言って手を激しく横に振りました。それで自分の発音が正しかったことはわかりましたが、そばにいた定方教授から「セクハラで逮捕されますよ。」と警告されてしまいました。こんなふうにこちらが話す片言は通じることが多いのですが、それに対する先方の応答が全くわからないのでプッツンか、相手によっては英語に移行するか、というありさまです。

 それではまた。

 

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