天津便り(その7)      04/6/13   福  

 前の便りから3カ月もご無沙汰いたしました。泉氏から頼まれた総説原稿に取り組んでいたり、日本から友人が遊びに来たりで、しばらくこの便りから遠ざかってしまいました。総説を書くのに、こちらでは文献が見られないので心配でしたが、泉氏、内山氏の協力のお蔭で10日くらい前にほぼすませました。締め切りは7月20日なのでまだ1カ月以
上あります。およそ原稿なるものは締め切り過ぎて数日以内で出来れば上々、1週間〜10日くらい遅れるのは当たり前というのが現役時代でしたから、今回のようなことは初めて(多分皆様誰もそんな経験ないことでしょう!)で、隠居生活のゆとりのありがたさをしみじみと感じています。

 4月初め、私を含めて3人の JICA 派遣教官のうちの一人が帰国し、代わりに東北大学 OB 山崎慎一氏が赴任されました。私は同氏のことを知らなかったのですが、氏はつくばの農環研にいたこともあるそうで、話をうかがうと、松本氏、西川氏、高松氏、伊藤氏、それから袴田氏や新藤さんなど懐かしいお名前が次々に出てきました。大学院では土壌学の講義をなさり、また私と一緒に日本人学生の修士論文指導に当たっています。

 さて私の派遣期間は当初1年間(7月11日まで)となっていて、もう1年延長してもらうためには健康診断を受ける必要があるとのことで全く当惑しました。なにしろ言葉が依然としてダメで、受診を頼もうにも電話もかけられず、それに何分体に直接関わることなので、意思の疎通ができないためスムーズに行かないのが心配で、一時帰国して受診するしかないと思いつつ、北京の JICA 事務所に相談したところ、通訳を手配してもらえて何とか終えることができました。信州大学に留学したという女性が初めから終わりまで約3時間とても親切に付き添ってくれました。受診は医科大学付属病院でした。多分天津では一流の病院だと思うのですが、お世辞にもきれいとは言えず、私の小学校時代(ですからもう50年くらい前)に行った田舎の病院を思い出しました。ところが、心電図や胃検査のためのX線、超音波検査などの医療器械は今の日本の病院と同じレベルのものがそろっていました。医療器械と言えば、日本でも高価なものの代表みたいで、物価の違いを考慮に入れると莫大なお金が医療分野に投じられているという印象を受けました。昨年の宇宙船打ち上げのときにも感じたのですが、「必要」と判断したところには集中的にお金を使う、というやり方がはっきりしているようです。社会主義のよい面なのかもしれません。進んでる!と思ったのは体温測定。日本では私の知る限り、体温計(さすがに水銀式のはもう使われず、電子体温計ですが)を腋に挟んでピッと鳴るまで待つのだと思います。こちらでは、ピストル型のものを額に突き付けられたのでドッキリ、しかし赤外線式リモートセンシングで一瞬のうちに済みました。看護師さんの腕も鮮やかでした。私は以前血液の病気で採血検査を何回も受けたことがあり、ときには針を抜いた後血が止まらず床にポタポタという看護師にも出会いました。今回は出血の痕跡もありませんでした。病院のようす、大勢の患者さんがベンチに座って辛抱強く待っている間を看護師がせわしげに歩き回っている、というあの風景はびっくりするくらい日本と同じでした。少し違うかもしれないのは女医さんの方が多いように見えたこと。私が接したのもすべて女医でした。 その結果ですが、健診に関するJICA の判断はとても厳しいと聞いていて、現に先に受診した同僚は「高脂血症」だからこのままでは派遣延長はダメと言われ、急遽医師に相談して食餌療法の処方を作ってもらって何とかクリアしたとのことでした。どうなることか、と思っていましたが2,3日前に「問題なし」という所見が出て来年7月までの任期延長が決まりました。2年目は、一通り講義の準備も出来ていることだし、ますますゆとりある生活となりそうです。さしあたって夏休み、7月なかば一時帰国するつもりです。 それではまた。みなさま健康にはくれぐれもお気をつけて。

 

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