つくば市での西暦2000年酸性雨国際学会に参加して

 

 玉置元則兵庫県立公害研究所)


1.      現在の酸性雨研究の動向

 昨年12月10日−16日の期間、つくば国際会議場で、「Looking back to the past and thinking of the future」をスローガンにして西暦2000年酸性雨国際学会が開催された。本学会には大気汚染、水質汚濁や生態学等の分野において酸性雨をキーワードとして、欧米やアジアから多数の研究成果が発表された。この国際学会が新たな出発点となり、日本と東アジアでの酸性雨と大気汚染等に関する研究が一層の進展を見せ、その成果があげられることを期待する。

 酸性雨は欧米では1970年代から80年代にかけて、湖沼の酸性化による魚介類の死滅と森林の壊滅的な枯損として大問題になった。後者のメカニズムとして酸性物質が土壌中のアルミニウムイオンを溶出(置換)し、そのイオンが樹木の根毛に付着し、土壌からの栄養分の補給を阻害する等が指摘された。多くの研究者の努力によって、科学的に価値ある知見が得られたが、その結果は個別実験的には正しいものの実際に被害のある森林へ適用するには演繹性に乏しいものであり、最終的には因果関係は証明できていない。しかし、ここで重要なことは、証明はされていないが欧米では確実に対策が実行され、その結果、大気汚染物質削減の効果が得られている事実である。

 東アジア地域でも経済の発展に伴い、今後、大気汚染・酸性雨が深刻になると予測されるため、日本・環境庁が中心となって準備してきた東アジア酸性雨モニタリングネットワーク(EANET)構想が実を結び、本年から正式稼動することとなった。

 

2.酸性雨国際学会の概要と2000年学会開催の経緯

 酸性雨研究の性か発表の場として、1975年から「酸性雨国際学会」が開催されるようになった。この間、名称は「酸性降水」から「酸性沈着」と変わり、参加国も12カ国から41カ国に増加した。内容的には、初期には二酸化硫黄が中心であったが、今後重要になるのは窒素系化合物であり、アジアが酸性雨の最重要地域になると考えられている。これを背景とし、2000年の第6回学会は日本で開催されることになった。日本には酸性雨学会がないため、日本陸水学会を代表とする酸性雨関連諸学会(大気汚染学会等)と日本学術会議との共同主催という形で行われた。

 国際学会開催のためには組織上の準備と同時に、国内の酸性雨研究レベルの向上が必要である。学会開催が決まる以前の1993年3月にはつくば市等で、「Development and application of biogeochemical methods in acid rain research」が開催された。また、1996年12月にはつくば市で「International symposium on acidic deposition and its impacts」が開催され、国内外から61編の研究発表があり、さながらプレ学会の趣を呈した。さらに、この学会に向けて日本の酸性雨研究の成果を世界にアピールするため、学会直前に、「Global Environmental Reseach」誌に日本国内の主な酸性雨研究が英文で掲載された。

 学会は新装なったつくば国際会議場のさながらこけら落としのような会合となった。11日の開会式には天皇・皇后両陛下のご臨席をあおぎ、一段と格調の高い学会と位置付けられることとなった。

 本学会では従来の生態系への影響に加えて文化財への影響も重視されるとともに、環境教育についてもセッションが設けられることとなった。さらに「科学と政策」に関するセッションも特別に設置された。

 合計4日間で基調講演19題と204題の口頭発表が行われた。ポスター発表は2回に分かれて行われ合計351題が発表され、膝を突き合わせた熱心な討議風景が各所で見られた。ここで発表された研究成果の多くは論文審査の後、「Water,Air and Soil Pollution」誌特集号に報文として掲載される。この間、中日の13日には足尾鉱山、旧日立鉱山・日鉱記念館、東京や鎌倉等への国内見学旅行が催された。

 本学会としての特別招待講演は次の4題であった。最初に酸性雨研究の最高権威とされている米国・Virginia大学のJ.N.Galloway教授が「The acidification of the world:Nature and Human」と題して酸性雨と酸性雨研究の現状を概括した.また、英国・East Anglia大学のP.Brimblecombe教授が「Looking back into the past and thinking of the future」、国環研の佐竹研一博士が「New eyes for looking back to the past and thinking of the future」と題し、本学会の基本テーマである、酸性雨を振りかえりその上で今後の課題をいかに設定すべきかの講演を行った。ノルウエーの水質研究所のR.F.Wright博士は「Time scales of acidification and recovery in waters and soils」と題して、環境の酸性化と回復過程を時間軸で捕らえた講演を行った。

 

3.13のセッションでの研究発表の内容

(1)酸性汚染物質の発生と対策

 オーストリア・IIASA(国際応用システム分析研究所)のM.Amann博士が「汚染物質の発生源一覧、発生源制御の選択肢と制御戦略」を基調講演した。欧州では酸性雨モデルが構築され、その成果を基に世界銀行の財政的な支援を受けて、アジアでの酸性雨総合モデルである「レインズアジア」が作成されている。そのうちの発生源モジュールではSO2のグリッド別発生量を推定している。これに関連する成果が多数発表された。また、「アジアにおける大気汚染物質削減のための再生可能なエネルギーのコスト・効果の評価」や「欧州における微粒子のための評価モデル」も公表された。

(2)酸性汚染物質の移流・拡散と反応

 米国・Iowa大学のG.R.Carmichael教授が「アジアでの長距離輸送とSO2沈着のモデル国際比較研究(MICS-ASIA)」を基調講演した。国環研・畠山はIGAC/APAREの研究成果である「東アジアからの大気汚染物質の輸送」を、スウェーデンのH.Rodheのグループは「インド東部での降水の化学組成におよぼす空気塊の影響の流跡線解析」を、韓国のC.Yong-Seungは「酸性雨モニタリングと大気汚染物質の長距離輸送」を発表した。

(3)  乾性・湿性沈着

 スウェーデン・Stockholm大学のH.Rodhe教授が「酸性化した湿性沈着の地球規模での分布」、英国・Ecology & Hydrology 研究所のD.Fowler博士が「植生へのオゾン沈着」を基調講演した。WMOのGlobal atmospheric Watch(GAW)による「WMOの地球規模での降水化学モニタリング計画」、米国・Geological SurveyのM.Nillesによる「米国での19811998年の降水化学のトレンド」の発表があった。日本からは環境庁酸性雨データ解析グループが「19881998年の日本の降水中の非海塩硫酸イオンと硝酸イオンのトレンド」を発表した。

(4)  生物地球化学的物質循環

 米国・SUNY-ESFのM.J.Mitchell博士が「Hubbard Brook実験林での硫黄マスバランスの不一致、−硫黄の発生源と消滅源を推定するための安定同位体の利用」、デンマーク・Forest & Landscape研究所のP.Gundersen博士が「欧州の森林における窒素吸収・循環・溶出」 を基調講演した。スウェーデンのS.Lofgrenは「3つの森林地域の集水域での硫黄バランスと動態」を、ドイツのJ.-H.Parkは「富栄養落葉樹林生態系の森林床の窒素循環による炭素制御」を発表した。

(5)  陸水生態系への影響

 ノルウエー・Bergen大学のG.G.Raddun教授が「ノルウエーでの硫黄沈着削減による水質と水域生態系の改善」、水産庁・養殖研究所の生田博士が「酸性雨の魚類への影響」を基調講演した。特に生田博士の講演では酸性環境が魚類に与えるストレスや魚類の繁殖機能に及ぼす影響が具体的に示され、酸性雨によって環境の酸性化が生じると、それが致死的なpHでなくとも魚類にさまざまな生理障害を引き起こすことが明らかにされ、現実にある降水の酸性化との関連で大きな注目を浴びた。一般講演では北欧からの発表が多かったが、「ロシアの北極地方の水域生態系の酸性化」や「インド中央部の陸水等の酸性化」も発表された。

(6)  陸上生態系への影響

 英国・York大学のL.D.Emberson教授が「発展途上国における植生への大気汚染の影響」、オランダ・Utreche大学のR.Bobbink教授が「欧州での自然生態系における多様性に対する大気起源窒素の影響」を基調講演した。一般講演では、「ノルウエーでの19862000年の森林モニタリング」に見られるように、北欧諸国からの発表が多かったが、「排出量削減後の酸性沈着と森林生態系の被害の傾向と評価」(チェコ)、「ポーランドにおける落葉と臨界負荷量超過との関係」、「UN/ECE ICP Vegetation:欧米におけるオゾンの植生への影響」の発表もあった。

(7)  生態系影響評価モデル

 国連・UNECEのK.R.Bull博士が「国際大気汚染制御協定の発展と支援のための監視とモデル化」を基調講演した。「欧州での臨界負荷量の特性」、「MAGICモデルを用いた中国での表層水への酸性沈着の臨界負荷量計算」、「東アジアでの大気汚染物質による臨界負荷量計算」等、臨界負荷量に発表が集中した。それ以外には「欧州における地域的大気汚染と気候変動、総合的アセスメント(AIR-CLIM)」の発表があった。

(8)  生態系回復

 カナダ・Laurentian大学のJ.Gunn教授等が「北部湖沼の生態系回復計画(NLRS)」、スウェーデン環境研究所(IVL)のF.Moldan博士が「スウェーデン・Gardsjonでの被覆集水域実験、9年間の清浄降水処理の後に」を基調講演した。水域での石灰散布による中和処理に関する評価が多く、ノルウエー北部の酸性化したBjerkreim川に1996年秋期以来、石灰散布した結果、生態系の回復が見られたこと等が報告された。この分野はノルウエーを中心とした北欧諸国の独壇場であった。

(9)  文化財及び人工物への影響

 大阪府立大学・前田教授が「東アジアにおける酸性大気汚染による物質の被害」を基調講演した。日本からは前田教授のグループを中心にして7題の発表があった。イタリア、中国ならびにスカンジナビア諸国からの発表も見られた。

10)分析手法とモニタリング手法

 タイ国・科学技術環境省のWangwongwatana博士が「EANETを立ち上げるための段階的な取り組み、タイでの経験」を基調講演した。この分野では日本からの発表が多かったが、ノルウエー等北欧諸国からの発表も目に付いた。ベトナムからも降水の酸性度と化学組成に関する発表があった。

11)環境教育における科学的アプローチ

 滋賀大学・川嶋副学長が「酸性雨問題解決のための教育、どのようにして学校ならびに生涯教育における教材を開発し、計画を支援して行くべきか」を基調講演した。本セッションの設置は本学会としては始めての試みであったが、口頭4題とポスター3題の発表があった。

(12)     地域総合研究

 オーストリア・IIASAのM.Johansson博士が「欧州4カ国の大気汚染に関する総合的アセスメント」、中国・大気物理研究所のG.Qin博士が「中国の10都市での降水の酸性化過程の研究」を基調講演した。一般講演では、「中国での大気質レベルを評価するための地域規模での数値予測」、「大都市近傍での雪と土壌酸性化におよぼす地域的な影響」(ロシア)や「北東アジア諸国での酸性雨問題への経済的アプローチ」が発表された。

13)科学と政策

 スウェーデン環境研究所・Grennfelt博士が、「越境大気汚染戦略に関する科学的研究における挑戦と問題点」を基調講演し、酸性雨研究センター(ADORC)の鈴木所長代理が具体的事例について報告した。EANETの正式稼動もあり、鈴木氏の発表は大きな注目を集めた。

(本稿は雑誌「環境技術」Vol.30,No.4,311-314(2001)に掲載された文章を改訂したものであり、雑誌発行元の環境技術研究協会の許可を得て、本ホームページに掲載した)

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