ロシアミッション(2004年8月8日(日)−8月14日(土))報告

村野健太郎(国立環境研究所)

 

 今回、私は初めてのロシア極東地域出張で、主に二つの都市(ウラジオストックとイルクーツク)を訪問しましたが、その時の感想を記します。

今回の訪問の目的は、 科研費「東シベリア地域の森林火災による日本国内への越境大気汚染の影響」に基づく、イルクーツク近郊への10ライングローバルサンプラーの設置と観測開始と、EANET活動の視察です。

登場人物:

隊長:大泉 毅(日本環境衛生センター酸性雨研究センター・大気圏研究部)

高橋昌臣(日本環境衛生センター酸性雨研究センター・生態影響研究部)

加藤恵美子(日本環境衛生センター酸性雨研究センター・総務部)

村野健太郎(国立環境研究所・大気圏環境研究領域・酸性雨研究チーム)

タマラ・ホジャー(Tamara V. Khodzher

(ロシア連邦科学アカデミーシベリア支所・湖沼学研究所・副所長)

 

まず8月8日(日曜日)に新潟空港からウラジオストックへ行きました。ウラジオストックは日本との時差が2時間です。ただし本来なら早くなるのが、2時間遅れますので、かなり大変になります。ウラジオストック空港では通関に時間がかかりました。4箱の段ボール箱に入った研究用の荷物(ポンプ、流量計、フィルター、標準試薬等)に関して、通関の時点で中身は何だとか、税金を支払えというようなことを言われました。しかしながら、内容品のリストを説明したり、カウンターパート(ガリーナさん:EANET活動の)がいましたので、その人が中に入ってきてロシア語で話してくれて、荷物が税金を支払うことなく無事出ました。翌年からはその荷物を受け取る人(ロシア人)の「荷物を受け取ります」というレターをつけた方が良いと思いました。日曜日の夕方であったために、空港内の両替店が閉まっていて、日本円をルーブルに変ることができませんでした。カウンターパートの用意した車で、空港からダウンタウンまで行きました。途中は日本車が非常に多く、特に00会社、00商事というような日本で使われていた車がそのまま使われていますので、何か日本にいるような感じもしました。道路の整備状況は良くなく、車線も書かれていませんでしたが、みんなそこそこに走行していましたが、やはり交通事故が多いようです。その後、ホテルに着きましたがホテルのシステムも欧米風のスマートなものではなく、かなりややこしかったです。しかも市内に着いたのが遅くて、日本円のルーブルへの両替をしていなかったので、ロシア人のカウンターパートが立て替えてくれて、事なきを得ました。ウラジオストックも日本と同じように暑くて、この日は日曜日の夜だったので、ダウンタウンには人が多数出ていました。ウラジオストックの印象は、西洋人という感じの人もたくさんいましたけれども中国人や韓国人ふうの人も多数いて、極東アジアの西洋という感じでした。ホテルは最低限の設備は整っていました。まだここでは日本のテレビ番組が見られまして、美浜原発の事故はその日のテレビで知りました。

 次の朝(8月9日)はまずバイキングスタイルの朝食を食べて(コーヒーがインスタントだった)、ホテルを出て、最初にしたことが日本円のルーブルへの両替です。銀行が開く時刻では無かったので、Hyundaiホテルで両替をしました。その後、カウンターパートのいるロシア連邦水文気象環境監視庁の下部組織(沿海地方)の沿海地方(地域)水文気象局で研究打ち合わせをしました。その後、EANETの観測地点になっているプリモールスカヤに行ましたが、かなり遠い場所でした。気象測定局なので、露場になっていました。降水サンプラーは露場に置いてありましたし、乾性サンプリングは適当な場所で行われている(乾性サンプリングの高さがちょっと低かった)と考えられました。しかしながら捕集済みの含浸フィルターの輸送に関しては、紙の封筒にいれて輸送しているということで、かなり問題があるということになり、その点は大泉さんが指摘しました。その後ホテルへ帰りました。

 次の日(8月10日)はウラジオストック気象・水文研究所を訪問しましたが、建物が古くて、研究室内を見せてもらいましたが、分析機器もかなり古くて、日本の30年から40年前を想像させるような状況でした。イオンクロマトグラフィーは1台もありませんでした。そのため湿式法とか原子吸光法、そういう従来の方法(日本でも30年、40年前ではそうだった思いますが)で降水分析データが出されていました。ここで働いている研究者の平均の給料は2万円ぐらいでいうことでした。

 その後、空港に行き国内線に乗りました。約4時間のフライトでイルクーツクに着きました。イルクーツクは日本から4000kmも離れているのに日本とは時差がありません。ここも日本車が非常に多かったです。ウラジオストックまで船で運んで、その後、シベリア鉄道で内陸に運んでいるという話でした。この日は8月10日でしたけれども、非常に寒くてセーターを着ました。カウンターパートのいる湖沼学研究所のすぐ近くにあるアカデミーチェスカヤ(Akademicheskaya)ホテルに泊まりました。かなり質素なホテルでありました。フロントにいる人は I can not speak English と言っていました。またロシアでは炭酸水がありまして、それが食事の時に出るんですけれども日本人にとってはなかなか飲みにくい水でありました。

 翌日(8月11日)、研究打ち合わせで湖沼学研究所に行き、研究所の施設を見ました。ウラジオストックよりは新しい装置がありましたけれども、やはりイオンクロマトグラフィーは無く、液体クロマトで降水中のイオン種の分析をしていました。ただし、研究者数は多く、1人1人が一つの分析項目に集中しているために、分析の技術レベルはかなり高いと考えられました。ロシア人はプライドを持って、研究を行っているという印象でした。こちらでの平均の月給は1万5000円位でした。昼から、10ライングローバルサンプラーの設置に行きました。イルクーツクのダウンタウン(湖沼学研究所)から約1時間ぐらいのところで、幹線道路から数キロ中に入った非常にのどかな田園地帯(Pribaikalskiy Istok)である知的障害者のための施設の敷地内に設置しました。そこで、ある工房に頼んで壁に穴を空けてもらって、電源ケーブルを出して、10ライングローバルサンプラーを使用できるようにしました。使用方法の説明を試みましたが、完全には出来ませんでしたので、翌日マニュアルを書いて持って来て、10ライングローバルサンプラーの使用方法を説明することにしました。

 次の日(8月12日)は2グループに分けての別行動で、大泉さんと高橋さんはペレヨムナヤ(Pereemnaya)川の視察に出かけました。私と加藤さんは、まず通関のために必要だった約10万円のお金をルーブルに両替するために、銀行に行きましたけれども、ほとんどの銀行が米ドルとユーロの両替しかできなくて、もうここでは日本円は両替出来ないかなと思いましたけれども、4個目の銀行でやっと日本円をルーブルに変えることができました。その後、町を少し見て歩きましたが、イルクーツクの中心部は古い建物が結構残っていて、往時をしのばせるところがありました。昼からは、10ライングローバルサンプラーの設置の最後の説明に出掛けました。

 次の日(8月13日)は降水サンプリングと乾性サンプリングを行っているバイカル湖のほとりにあるリストビアンカという地点に出掛けました。まずバイカル湖を最初に見て、バイカル湖博物館で情報収集をしました。バイカルアザラシというのもいました。それから湖沼学研究所の所有している観測船を見て、リストビアンカのサンプリング地点に行きました。サンプリング地点は道路からかなり離れた高台にありまして、地点としては非常に良い場所でありました。ただし登山客が時々来てイタズラをするということで、降水サンプラーはスーパーハウスの屋上に置かれていました。地点としては非常に良いのですが(最後のローカルな点はやはり露場においた方が良い)、イタズラをされるということで、ある部分仕方がないと考えました。その日はイルクーツクに帰って、市内のデパートや市場に買い物に行きました。マトリョシカ(ロシアの人形)、ウオッカやキャビアを買いました。ある夜MDウォークマンの電池を充電しようとして、充電器をコンセントにつないだら火花が出て、プラスチックのコゲルにおいがしました。充電器が100V対応なのに220Vにつないでしまったからでして、破損しましたが、後日、保険でいくらか(3000円)は出ることになりました。

最終日はイルクーツク国際空港から新潟まで帰りましたが、約4000キロであり、4時間20分ぐらいで新潟空港まで帰りつきました。日本は暑いなと思いました。この日は8月14日(土曜日)で新潟から東京への新幹線は込み合っていました。6時半にアカデミーチェスカヤホテルを出て、筑波の自宅に着いたのは18時半でした。ちなみに航空運賃は、新潟−ウラジオストック−イルクーツク−新潟で155000円でした。

全体的に言えること

 ロシアでも極東地域はいろんな面で遅れていて、まず英語を話せない人が多い、これは湖沼学研究所でもそうですし、ウラジオストックの気象・水文研究所でもそうでした。全体的に研究設備も劣っていました。ただしプライドは高くて立派にやっていました。現在、ロシアは先進国ということで、JICAの援助が出せませんが、それは本当に欧州に近い西側の地点であり、極東地域はその他の後進国と似たレベルの所も結構ありました。そういう意味では極東地域だけJICAの援助が出せるような体制ができないものだろうかと考えました。飛行機はロシア特有のツボレフ旅客機が飛んでいましたが、最低限の施設は整っていました。ただし飛行機に搭乗するのは、ほとんど滑走路を歩いて階段を登って搭乗するという形態でした。

 

なぜロシアに行くことになったか

 振り返れば昨年のことになりますが、文部科学省の科研費の応募があり、特定領域研究と基盤研究(B)海外学術調査を申請しました。海外学術調査は「東シベリアにおける森林火災による大気環境影響とその日本への越境大気汚染の解明」というテーマであり、東シベリア地域でフィルターパック法でガス・エアロゾルを日単位で測定しようというプログラムでした。特定領域研究は30%ぐらい、基盤研究(B)は3%ぐらいの採択確率だと思い申請しました。ある日「村野さん科研費が採択されたよ」と言われたので、当然可能性の高い特定領域研究と思いましたが、よくよく聞いてみると可能性3%ぐらいだった海外学術調査でした。これは後日知ったのですが、このような地域(ユーラシア)での海外学術調査は申請数が少ないので採択率が高いのと、その採択に大きな影響を及ぼす人の中に名古屋大学の岩坂教授がおられましたので、教授の推薦もあったのではないかと考えました。基盤研究(B)海外学術調査の予算規模は平成17年、380万円、平成18−20年、各100万円です。この科研費では、10ライングローバルサンプラーを東シベリア地域に置くという事でしたが、置けるような場所はこれまでのEANET活動からイルクーツクの湖沼学研究所の管轄できる地域しかありません。大泉さんに頼んでタマラさんに新たな研究の可能性を色々探りました。彼女らは結構熱心で、その研究プロジェクトもやるからと言われました。こちらはまず、10ライングローバルサンプラーの購入手続きをして、どのように送るか、どの様にして通関させるか、最初は雲をつかむような話で、どうすればよいかさっぱりわかりませんでした。ともかくもやるということで話を進めました。事前に聞いた話ではロシアに物(装置:備品)を持っていくのはどうなるかわからないとか、どのくらい(期間)かかるかもわからないというあやうい話でした。国環研でシベリア地域で何年も前から観測を続けているMさんの話では、新たな制度が出来て、あらゆる研究は大統領府に届け出て、許可を得てからスタートすることになって、現在、何千件か待っている人がいるので、これまでの研究はともかくも新規な研究は難しいのではないかと言われました。結果的には、10ライングローバルサンプラーは時間短くイルクーツク空港に着いて、湖沼学研究所副所長のタマラさんが通関手続をしてくれました。費用は約10万円かかりました。送料は約20万円で、合計30万円でした。そのぐらいの出費は覚悟していましたので、全然負担には感じませんでした。このように、10ライングローバルサンプラーは思ったよりも簡単に湖沼学研究所に届きました。先に述べましたが、設置自体も問題が多くはなくて、当初は科研費が採択されても、1年目には何もできなくて、2年目からサンプルの分析結果が出てくるのかと思いましたが、1年目から分析結果出ることになって本当に良かったです。現地の大気汚染物質サンプリングは現地にいる人がやってくれることになり、新たなフィルターをセットしたフィルターホルダー1週間分を湖沼学研究所が現地に届けて、回収した捕集済みのフィルターホルダーを持って帰るというシステムになりました。まだ分析結果が出ていませんが、今後、日単位で大気汚染物質の変動データが取れれば、細かなエピソードも出てくると思いますし、特に暖候期は色々な所で森林火災とか、大気汚染現象がありますので、今後の東シベリア地域、東ユーラシア地域の大気環境を評価するのに有用なデータが出てくるものと考えます。

科研費の打ち合わせ会議

 6月に科研費の打ち合わせ会議に出席しました。その場での日本学術振興会の担当者の説明では、外国で研究する時の難しさがわかっているので、科研費は柔軟に使えるようになっているということでした。現地でタクシーを使った時にはタクシー運転手の領収書を取っておくとか、物を購入した時にも領収証を取っておくとか、そのように研究に必要な物には科研費を柔軟に使って良いと言うことで、非常に心強い事でした。これまでは研究者がポケットマネーを出していた部分も、領収証を取っておけば、科研費で出せるということで、現地研究を進めるのに非常に心強い思いがしました。電源ケーブルを通すために工房の壁に穴を空けてもらったのに1300ルーブル(約5200円)支払いました。また、10ライングローバルサンプラーの電力使用量として1500ルーブル(約6000円)支払いました。

 

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