<A HERF=http://www5c.ne.jp/~akihiro/>私たちに出来る事の部屋</A>

 

部屋

 

眠れない夜がたくさんあったせいか

たわごとと言うか

いっぱいいっぱい色んなことがありました。

いまこうして29歳までこれたというか

この27・8はやばかったけれど

眠れないときは大抵お題をだして

頭の中で想像し考えてごにょごにょとしてます。

ありきたりかもしれないけれど

いたずらがきみたいなかんじで残します。

 

 

(^0^)/こころ

 

こころってどこにあるんだろう

しんぞう?ハートなだけに

のうみそ?しこうなだけに

声には出ていない声

これがこころのこえなのはわかる

おもい・かんがえ・しねん

かたちはない

 

魂はこころの結晶なのかな

めをとじるとちかちかとひかりがみえる

わたしだけ?

これはみてるうちにじぶんでもうごかせる

 

そうぞうして

めをとじ、めのまえに円くおもいえがく

ちかちかしたまるっこいものが

みえるようになれば

それがこころかも

じぶんのなかにある

ただ1つのひかり

これがみえるうちは

これがみえるうちはがんばれる

 

そんなふうに

いまもおもってます

 

わたしだけのこころのおはなし

 

 

(^0^)/たまごにたとえて

 

コップの中にみずがある

わたしはたまごだとしよう

わたしの中身が生なのか、ゆでなのかはきにするな

あえてたとえだから

なまにしとこう!

 

わるいことがおこり

きもちがしずみ

どんどん落ち込むことがある

 

きもちがたまごなわけだ

コップの水はさしずめ社会の荒波とでもしとこう。

 

どんなたまごでも

からをまとっていやがる

どんどんしずんでしずんで

くらくなる

どうしたらうかべるのだろう

 

わたしはたまごだ

しかもなま

とても殻はやぶけない

 

コップのそこには絶望が

水の上にはひかり

さしずめみらいがある

 

ふかいふかい

おちるところまでおちたとき

どこかにぶつかるものだろう

だれかがたたいてくれるかも

しょうげきは外部からでしかこわせない

なにせなまだから

 

こころにからをつくってしまうと

たまごのなかは快適だ

まわりとのかかわりにからをつくってしまうくせがある

どうしてもういてしまう

 

そこがないかもしれない

そこにみらいはない

 

ひびさえ入ればいい

ちょっとでも

 

割れた先には あとは浮かぶだけなのだから

生なだけに!!

 

 

(^―^)/人の死の概念

 

テレビで死の定義がかわるというニュースをみた

いままでは心臓の機能停止がしだった

 

心臓をうごかすためには血がひつようだ

私の血は姉の物

わたしは私の血が癌化して

それを殺して今があると理解している

 

そうかんがえるとわたしは半分しんだような

ちょっと複雑な心境で

 

心臓移植をした患者は死の先にいるような

感覚なんだろうな。

 

エンディングのあとのエピローグみたいな

わたしはそんな感じ

 

からだは魂をいれる入れ物

自分がどこにあるのかといえば

やはり脳なんだとおもう

でも脳にも病気があり

記憶の連鎖があってこそのことだ

 

体と魂を分けてかんがえると

感情をひきだし伝えるために機能するべきところが

機能しなくなるのが脳障害だ

 

わからなくなる

じぶんと他人の境界線がなくなり

ひととものとの境界線もなくなり

そういったことがわからなくなる

 

わたしは陰陽の考えをよく使うほうで

どのような事象でも対極はあるとおもう

たいせつなのはその対極を知ることだとおもう

わるくいえば中途半端

よくはきっといえないだろう

当事者になればおのずと傾くのだから

 

多いか少ないかのちがいで

そこに事象はある

ひとの痛みを知るには

それと同等またそれ以上の痛みをしらなくては気がつけない

 

つねに中立者でありたいと

わたしは思っている。

 

概念が脳になることで

ゆずれないひとがでてくる

きもちはわかる

 

概念が心停止から脳になることで

ゆずってほしいひとがでてくる

これもきもちはわかる

 

でもほんとうのきもち

それは事象になって

かならずどちらかに傾くだろう

 

ここにもし自分の事象を

家族に置くか当事者に置くか

これをいれるとどうだろう

 

私が脳死状態だったら

私が致命的臓器の移植ドナーまちの患者だったら

 

後者の方はちかい状態だったから

わたしなら移植を考えつつも、

全力で遊び倒すだろうとおもう。

脳死の人からもらうといった

そういった発想にはならないだろう

 

もし私が脳死になってしまったら

家族に多大な迷惑をかけるとおもうだろう

金銭面でのことがいちばんでかいだろう

生きていてくれるだけでいいといった考えは

当時の私の考えではちょっと

うちは貧乏だったので。

 

どっちもあっているし

わたしはどっちにもあてはまらない

だがこの2つは対極だ

痛みがそれぞれにある

 

私の話はおもいといわれるが

だいたい考えることは

いのちやこころ

生と死といったことばかりだ。

 

ひとの中身など

わからないことだらけだ

 

からだはおとこだけど

こころはおんなとか

 

ひとのからだで2つの性とか

 

まだまだせかいには

たくさんわからないことがある

 

不可能は人類の知識の限界であって

可能になる事象はその限界の先にある

いまではだめでも

さきではできるかもしれない

 

常識のわくからこえ

非常識のなかにこそ常識の可能性が見えてくるかも

 

人の命がめぐるものともいうけれど

魂の輪廻この解明が不死につながるのでは

 

世界はまだ未知であふれている