リンクマイア

 

作 栗原昭広

 

僕はちびだった。

歩き始めるのもおそく

ちからもなかった。

 

好きなひとはいたけれど

話すと全然ふつうに話せなくって

悪口や嫌われるような事を

ゆってしまう、だから女の子は苦手だった。

 

なんだろう

おやじやおかんは喧嘩ばかり

親父は仕事や釣りで朝から晩まで家にいない

おかんはいつもパチンコばかり

借金までつくるしまつ。

家はとても貧乏だ。

 

時がたつにつれ

体格に差ができてくる

 

小学生になってから

悪がきみたいな存在が出始めてくる。

 

僕は格好の標的だ。

だから学校は好きじゃなかった。

 

学校ではちびだなんだと馬鹿にされ

腕相撲をやっても両手でもかてない

お金がないから鉛筆も消しゴムも

友達より品祖だ。

 

家ではおやじとおかんの離婚だなんだの喧嘩

をしているなかでテレビをみて

そんな毎日だった。

本当に1日がつまらないものだった。

 

ちびだからしょうがない

おかねがないからしょうがない

ちからがないからしょうがない

あたまわるいからしょうがない

 

いつもしょうがない、親がわるい

ちびのせい

あたまがわるいのも貧乏のせい

 

なんでもだれかのせいにしていた。

 

そのころ、おやじとおかんのどっちがすきか

そんなことをいわれた。

なぜだろう、このときの記憶が

いまも忘れることができない。

 

兄弟は4人で上に3人、僕は末っ子だ。

みんな親父の腕にぶらさがって触っていた。

おやじは運送業をそのときにやっていたから

力瘤がすごかった。

 

でもそれを見たとき、おかんが一人ぼっちだった。

なんかそれをみて、ぼくはおかんの方にいった。

 

でもおやじの腕には興味があった。

さわったら、跳ね除けられた

おまえはあっちがすきなんだろうと・・・。

 

今になってみればよくある日常の

こうけいなのだろう。

でも今でもその穴はふさがらない。

 

私は末っ子だった。

おやじは私ができたとき

おろそうとしたらしい。

私は帝王切開でうまれた。

おかんはおそらく子供を産めない体になったんだとおもう。

 

家での旅行はお墓参りで茨城にいくことだけだった。

うみにそのときにいっていたのが唯一僕の覚えている家族旅行だ。

 

高学年になってくると

学校では厳しい先生が担任だった。

すごい特殊な先生で

授業をやるより、説教をしている時間のほうが長かった。

サッカークラブを兼任していて

朝錬で機嫌がわるいと、授業中にもかかわらず

説教がはじまる。

1時間目から4時間目まで説教はざらだ。

 

びっくりしたのが計算ドリルなど市販されているものを

1年から全科目自分で買って、提出していくという

意味のわからないクラスだった。

1年のドリルを終わらせて、先生に提出したら

2年のドリルを買ってきて、全部やって先生に提出

そういった事をクラスでやっていた。

 

僕の家は貧乏だ。

買えるわけがない。

教室の後ろに個人別にどんどん終わったドリルを

おいていく。

だから私は3年生あたりで買うのをやめた。

 

みんな高く積みあがってているなか

私は低くめだった。

 

家から学校は近かった。

教室は3階だったが

校門をくぐり、教室の下を歩いてるあたりで

説教が始まってるのを聞くと

「あぁ〜今日は授業ねぇな」ってかんじで

案の定、説教は3時間・4時間あたりまえだった。

 

休日に私と近所の子が遊んでいるときに

車に引かれたことがあった。

 

次の日、私は先生に怒られた。

1時間目から給食もお預けで5時間目まで

時間であらわすと8時から15時といったところだ。

クラス全員で飯抜きだった。

 

まじで小学5・6年は授業をやった覚えがない。

 

6年のとき、

クラスの男子の半分以上

イラストクラブに入ろうとした。

私は5年の時からイラストクラブだったが

 

先生が切れた。(笑

イラストクラブと書いた男子が教室の前の方によばれ

説教が始まり、なぜかみんなバスケットクラブに

入れさせられた。

意味がわからない。

正直、とんでもない先生だ。

 

小学校を卒業したとき

ものすごく安心した。

同じクラスの人は言葉をそろえて

いい先生だという。

 

ちょっとしたマインドコントロールを

うけているのだろう。

 

小学生のころから、結果がすべて

実力主義、クラスで2チーム作るときがあったが

運動神経のいい、早いチームと

運動神経のわるい、落ちこぼれチーム

 

わたしはいいチームから落ちこぼれた人間だ。

 

リレーのとき、早いチームがバトンを落として

遅いチームが勝ったことがあった。

 

その次の日も説教だった。1日・・・

 

学校がきらいだった

 

家も嫌いだった

 

兄弟もきらいだった

 

ちびなとこ

ちからがないこと

おかねがないこと

女の子のまえだとあがってしまうとこ

 

みんなきらいだった

 

それがこのころの世界だ。

 

もういやだ

いつまで続く

終わらせたい

 

カーテンの冊子にベルトをはめて

首をつろうとしたが、冊子がおれた。

 

丈夫な木でやる勇気がなっかた

橋から飛び降りる勇気もなかった

死にあこがれていたが、その勇気がなかった。

 

テレビでは連日ひとがしんでる

自殺の報道もよくあった。

僕はそのころは自殺をする人をすごいとおもった。

 

その一歩を踏み出す勇気がほしい

 

生きることより死ぬことのほうが難しい

 

未来へ踏み出す一歩より

終末へ踏み出す一歩を夢見ていた。