二楽荘とケーブル索道 (明治45年2月)
住吉川を中心に建築物の屋根の色が「環境色彩」を採り入れたかのように感じられる。
元は、白鶴美術館の屋根に見られる青銅色が、いち早く住吉川左岸のマンション「オーキッド
コート」が採り入れ落ち着いた色彩で六甲山の山並みに溶け込んでいる。その後、東灘区役所、区役所に隣接する高層マンション、最近完成した公団住宅の屋根等はオーキッド
コートの色彩に合わせており、今後建設される構造物等には地域の個性を創り出し、きめ細かな色彩の関係性の調整を是非共やって欲しいと思う。
一方では、景観(色彩)を無視した巨大マンションの出現により地域景観環境が壊されていくようにも感じられる。
白鶴美術館
六甲山を背にしたオーキッド コート
阪急電鉄の住吉川に架かる鉄橋も環境色彩が・・・・。
巨匠ムーアによる、雄大な構想。21世紀を視野に入れた国際品質のコンドミニアム。 西側より望む
西岡本2丁目
(旧久原邸)
住吉・山手幹線沿いに完成したマンションにもアクセントとして地域環境に合せた色彩が採り入れられている。
久原邸と久原橋/明治後期の当敷地周辺の様子(甲南学園所蔵)
久原邸
現在の西岡本2丁目(オーキッドコートを含む全地域)には、久原房之助(1869〜1965)と
云う日本鉱山の創業者が、明治41年に大豪邸を建て昭和3年頃迄住んでいました。
その後、東京へ移り逓信大臣から政友会の総裁まで勤めた人物です。当時の敷地内には果樹園、
病院、発電所等が建てられ、特に子供の為に小さな本物の機関車を走らせていたそうです。又、
住吉川上流から鉱山の技術を生かし邸内まで隧道を掘り、冷房用の冷風を引き込んでいました。
現在もその隧道から流れる冷水が西岡本防災ひろば並びにオーキッドコートの敷地内に流れて
います。
霊法会「多宝塔」
二楽荘の跡地は現在霊法会の所有となり一帯には美しい多宝塔が建っている
マウスを乗せると現在のまちなみと緑化された六甲山麓
久原邸より岡本方面を望む (当時の二楽荘とケーブル索道が見える) (甲南学園所蔵)
久原橋
隣接する公団住宅の色彩もオーキッド コートに統一され違和感がない