【03 佐伯】

 大地の人生は引っ越し人生でもあるのだけど、その中で一番大きな引っ越しは小学校5年に進級するときの大宮から東京・杉並への引っ越しだ。
 何せ転校が絡んでるからね。
 その頃、埼玉県の大成小学校で、大地は来る埼玉国体のために日夜鼓笛隊の練習にいそしんでいた。間に合わせるように作った大成小学校校歌や埼玉県歌を毎日特訓していた。
 いや、ウソです。ちーとも特訓なんてしてません。
 だって俺、縦笛担当だったからさ。ぴゅほ〜〜〜。音出ねえんだもん、っていうか押さえられんわ穴に指。
 なので練習は吹く真似だわい。だって縦笛はその他大勢パート。ひとりくらい吹かなくてもなんとかなる。しかもその立場に文句はない。むしろその他大勢で良かったあ〜。
 しかしま、吹く真似特訓の成果を本番で発揮することなく、埼玉国体開催の寸前に引っ越すことになる。
 大地が転校するころ、なぜかクラスでは転校していく同級生が相次いでいた。その度に送迎会のようなものをやる。ちょっと不安だった。大地は3番目か4番目くらいの転校者だったので「またかよお」と言われるような気がしたのだ。
 だが、実際はちゃんと他の皆と同じように送迎会をしてもらった。そのことに感激したのを憶えている。
 転校する時って、新たに来る生活よりそれまでの生活の方に思いが傾く。住み慣れた大宮(今のさいたま市)を離れるのは寂しかった。漫画ばっかり描いていたけど、その頃はまだ多かった野山もよく駆け回り、本当にドロドロになって遊び倒した地だった。後ろ髪を引かれるような思いを感じつつ大地は東京、杉並区に向かっていた。
 ここがある意味運命の地になるとはその時は思いも寄らなかったけど。
 何しろ「都会に行く」という感覚だった。大宮は田舎だから空気がきれいだけど、都会はスモッグで汚れているのだろうと思っていた。「スモッグ」という言葉が当時社会現象的キーワードだった 。
 杉並の一画に見知らぬ家があった。引っ越してきた日がその家を見る最初の日だった。
 住宅の密集度が全然違うことが第一印象だった。とにかくせせこまい。
 新たな学校、東田小学校はとんでもなくこじんまりした小学校だった。それまで6クラスあった学級がたった3クラスしかないんだから。
 「これが都会の学校か」と思ったもんだが、驚くのはその後だった。
  少なくとも大宮の小学校では大地は漫画が描けるということだけでクラスでは人気者。その人気で学級委員まで勤めた人間だった。
 だが、都会の学校じゃクラス全員漫画が描けるのである。
 しかも描けるって言ったって大地の描くのは「おそ松くん」のキャラクター、イヤミだのデカパンだのだぜ。それなりにうまいんだけどさ。
 だが違う。
 都会の学校ではクラス全員がオリジナルキャラクターを持っているのだ。自分のイメージに合わせたオリジナルイメージキャラクターだ。トマトちゃんだとか、バクロンだとか(バクロンってなんだ?)。
 そんな発想すらなかった、大宮モノには……。
 焦る。
 こんなことがあってはならない。クラス一目立ってた男が、こっちでは埋もれてしまっているのだ。没個性なのだ。いきなり窓際だ。
 取りあえず俺もオリジナルイメージキャラクターを考えたっすよ。
 岩くん……。
 ひえ〜冴えませんがな!! ちっとも目立ちませんがな。地味ですがな。
 これは何か対策を練らねば。
 大地はクラスを見渡したね。
 ここに佐伯君という人物が浮上する。
 彼はクラス一の人気少年だった。容貌もまずまず。大地と違ってギリシャ彫刻のような彫りの深い顔。広島出身だけあって性格も濃く目立つ。ギャグも冴えてる。それに何と言っても彼のオリジナルキャラクター、カエルの「賀間毛呂太」は可愛いしセンスある。彼はそれに加えてコルゲンコーワのマスコットキャラであるカエルの指人形を大量にコレクションしているという徹底的なキャラクター攻勢で売っていた。
 大地は考えた。
 彼に近づくことだ。彼と友達になることがクラスで目立つための早道だと!
 大地は当時「ウルトラマン」の影で人気はいまいちだったが「マグマ大使」のブロマイドを近くの駄菓子屋で大量に買い込み、偶然を装って佐伯君の自宅に近づき、彼といつも一緒の仲の良いN君と遊んでいるところに割り込み、このブロマイドをそっと渡した。
「佐伯君、僕と友達にならないかい?」
 佐伯君の答えは早かった。N君を「帰れよ」と追い返し「マグマ」のブロマイドを受け取った。
 その後も大地は「マグマ」のブロマイドを大量に仕入れつつ、それを彼に捧げることによって彼との距離を保った。
 「岩くん」は目立たなかったが、彼の「賀間毛呂太」と共演合作に登場させることによって、クラスではそれなりの地位を獲得することになるのである。
 策士である。この大地は。
 そして、ある意味この佐伯君との出会いは赤塚不二夫並みの運命的な出会いだったのである。

つづく

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