第五話 思わぬ出来事

 シンデレラの失敗のたびにマリアに罰が与えられると、マリアのシンデレラに対する態度も徐々に変わっていった。あの優しかったマリアがシンデレラに辛くあたるようになっていた。なにしろシンデレラが失敗するたびに自分が罰を受けるのだ。そのことを考えるとシンデレラに優しくする気持ちも薄れていくのも仕方がないことだった。マリアだってまだ若い娘だ。身体的にも精神的にも辛い罰を与えられては他人に優しくする余裕などなくなってしまう。
いつしかシンデレラには味方がひとりもいなくなってしまった。

 何ヶ月も経つともうシンデレラは屋敷の仕事を何でもできるようになっていた。もう失敗することもほとんど無くなったが、マリアに対する罰が少なくなることはなかった。幼いシンデレラには何故だか判らなかったが、マリアは自分から罰を受けたがるようなっていたのだ。そしてそれはいつもシンデレラの目の前で行われた。その光景はシンデレラの心に暗い影を落としていった。


 そんな時、港に父親の船が入港したことが伝えられた。
シンデレラは大急ぎで元の金持ちの娘に戻された。しかしそのころにはもうマリアが食事の残り物を取っておいてくれる事もなくなっていたから、シンデレラの体は痩せ細ってしまっていて、もとどおりという訳にはいかなかった。

 帰って来た父親はシンデレラを見て驚いた。
「どうしたんだそんなに痩せてしまって!」
しかし継母は慌てなかった。
「申し訳ありません。シンデレラは病に罹ってしまい痩せてしまったのです。でももう心配ありません。お医者様も治ったとおっしゃっていますから。」
「そうか、それなら良いが。」
父親はとりあえず安心したようだった。

 「ほら、お前たちが欲しいと言っていたお土産だ。」
父親がふたりの継子にお土産の絹のドレスと宝石をわたすと、ふたりは大喜びではしゃぎまわった。
「ほら、シンデレラお前が欲しがっていた幸福を呼ぶお守りだ。」
そう言って渡されたのは16インチ(約40cm)ほどの汚い木のスティックだった。シンデレラはそれを笑顔で受け取った。
「まあ、なんて可笑しなお土産でしょう!そんなのを貰って嬉しいなんて本当に可笑しな娘だわ!」
姉たちは、さも馬鹿な娘だと言わんばかりに嘲笑った。それでもシンデレラは嬉しかった。いつかこのスティックがシンデレラに幸せを運んでくるかもしれないし、それにこれなら宝石もなにもかもシンデレラから取り上げてしまう意地汚い継姉たちに取り上げられる事もないだろう。


 父親はしばらく家にいたが、また出航の日がやってきた。普通の生活で健康を取り戻していたシンデレラだったが、父親がいなくなれば、またあの辛い日々が待っているのかと思うと体が震えた。

 しかしシンデレラへの不幸はそれだけではなかった。それは父親が出航した数日後のことだった。何日も雨が続いたある日、シンデレラが考えもしなかった恐ろしい報せが届いた。それは父親の死を知らせるものだった。
 父親が乗った船が海で時化にあい難破してしまったのだ。助かったほんの数名の中に父はいなかった。
継母は言った。
「シンデレラ、お前にはもう家族はいないんだよ。私たちが面倒をみなければ生きてさえいけないのさ。でも私たちだって鬼じゃないよ。追い出されても同然のお前を私たちは面倒を見てあげるんでから、これまで以上に一生懸命働くんだよ!わかったかい!!」
「・・・・はい・・・・」
幼いシンデレラにはそう返事をすることしか出来なかった。その手にはあの木のスティックだけが固く握られていた。


 父親の葬式がすむと継母は急に忙しく出歩くようになって、しばらくたつと引っ越しをすると言い出した。シンデレラにとってはこの屋敷は父親と母親との思いでが詰まった大切な場所だったが、今のシンデレラには継母の言いつけに従うしかない。シンデレラは言われるまま引っ越しの準備に追われた。

 引っ越しの日、マリアは一緒に行かないのだと告げられた。マリアは前ほど優しくはなくなってしまっていたが、シンデレラの本当の姿を知っている人がいなくなるのはショックなことだった。
 召使い長に連れられて行くことになったマリアは別れ際、シンデレラの耳もとで囁いた。
「お嬢様、これまで辛くあたった私の仕打ちを許してください・・・お嬢様にあんな仕打ちをするのは嫌だったけど・・・ほんとうにごめんなさい・・・」
「マリア・・・・」
それはシンデレラも一緒だった。あんな状況では自分の事を考えるだけで精一杯だったのだ。シンデレラは皺や爪の間に真っ黒に汚れが溜った小さな手でマリアの手を握った。頬を涙がつたい煤だらけの顔から一筋の煤を洗い流した。
 シンデレラは男に曳かれていくマリアを涙で見送った。しばしこれからの自分の事も忘れてマリアの幸せを願っていた。


 引っ越し先は街中の仕立て屋だった。初老の主人による小さな仕立て屋は、しかし良い腕でお城御用達の仕立て屋だった。なんと継母はその歳が離れた主人の後妻に納まったのだった。

 引っ越す前から街では、あの金持ちの海運商の未亡人が仕立て屋の後妻にやってくることは誰もが知っていたから、大きな馬車に沢山の荷物を積んでやってくる美人の未亡人と美しい娘をひとめ見ようと街道は人でいっぱいだった。
集まった人たちは口々に女の美しさと派手な衣装を話題にし、美しいふたりの娘をうっとり見つめた。でも花嫁行列の最後についてくる、ぼろぼろの召使いの服を着て汚い木の棒をしっかり握った、真っ黒の痩せこけた少女が本当のお嬢様だとは誰ひとり気付く者はなかった。

 もう誰もシンデレラの本当の姿を知る者はいない。仕立て屋の主人でさえシンデレラが本当の娘だとは知らなかったから、これからは本当の召使いとして扱われることになってしまった。

 仕立て屋に着くと継母は言った。
「シンデレラ、今日からお前はたんなる使用人だ。自分の立場を良くわきまえるんだよ。」
「はい・・・」
シンデレラの返事を聞いた継母は怒って言った。
「何だい?その口の聞き方は!お前はもう召使いなんだ、召使いなら私のことはご主人様と言わなきゃ駄目じゃないか!そんなこともいちいち教えなくちゃ出来ないのかい!!」
「・・・ご・ごめんなさい・・・ご主人様・・・」
「それに娘たちにもちゃんとした口の聞き方をするんだよ!」
「・・・・?」
「ほんとに何も判っちゃいないんだねぇ。呆れて言葉も出ないよ!お前にとっては娘たちも主人なんだ!お嬢様と呼ぶんだよ!!」
「・・・はい・・ご主人様・・・お嬢様・・・」
それを聞いて継姉たちは、さも愉快そうに大笑いした。

 継母は娘たちに言った。
「お前たち、あれを持っておいで。」
ふたりは顔を見合わせて何やらほくそ笑んだ。
「はい、お母さま。」
ふたりは運んできた荷物のひとつを開けると奇妙なものを取り出した。

 それは固い革で出来たコルセットのような物だった。締め付けるベルトが付いていて金具には南京錠が掛かっている。その両脇には巾広のベルトも付いていた。それはおぞましい雰囲気を漂わせていた。
 シンデレラはそれを知っていた。それは珍しい異国の品を集めた父親の部屋にあった物。南の島の奴隷を逃げないようにするための道具だった。
継母は言った。
「シンデレラ、裸になるんだよ!」
シンデレラは怯えて震えた。
「さっさと脱ぐんだよ!お前たち、この娘の服を脱がしておしまい!」
母親に言い付けられたふたりの継姉は、嫌がるシンデレラの服を脱がして裸にした。シンデレラは三人の前にその痩せて汚れた体を曝した。
「まあ、なんてみっともない体なんだい。」
三人は揃ってシンデレラを嘲笑った。シンデレラは堪えられず俯いて唇を噛みしめた。
「さあ、これを着けるんだよ。お前たちも手伝いな。」
「はい!お母さま。」
継母と継姉の三人はシンデレラの細い腰に革の拘束具をあてがい、そのベルトでしっかり締め付けた。
「お母さま、このやせっぽちの娘にはせっかくのベルトも締め付けようがないわ!ほらこんなに余ってしまう。」
上の姉はシンデレラの体とコルセットの間に指を一本突っ込んだ。
「これじゃあ面白くないわ!腕もベルトで締め付けましょうか?」
上の姉が言ったが、母親はそれを止めた。
「それは駄目だよ。それは奴隷が少ししか動けないようにする為のものだからね。この娘は働かなきゃいけないんだ。手が使えなくちゃ話にならないだろう。それにもう少し大きくなれば十分締め付けることだろうよ!」
娘たちはつまらないという顔をしていたが、母親の言葉に従った。

 背中で金具をカチリと組み合わせると南京錠で鍵を掛けた。継母はシンデレラの目の前で鍵をちらつかせた。
「この鍵はもういらないね。」
そう言うと継母は南京錠の鍵を井戸の中へ放り込んでしまった。
「もうお前は一生この革のコルセットを外すことは出来ないんだよ。」
そして自分の娘たちに言った。
「お前たち、夜はこいつが逃げないように、背中の金具と柱を鎖で繋いでおくんだよ。」
「はい、お母さま。」
シンデレラは慌てて懇願した。
「そんなひどいことしないで!わたし逃げたりしませんから・・・」
しかし継母は言った。
「お前の言うことなんか信じると思うのかい?お前に逃げられちゃ新しい召使いを雇わなきゃいけないからね。そんな勿体ないことできないんだよ。」
本当はシンデレラが逃げて誰かに訴えるのを恐れていたのだが、そういう素振りは見せなかった。何も知らない小娘に知恵を付ける必要もない。もっともこんな汚い小娘の言うことなど誰も信用しないだろうが、用心するに越したことはない。


 「シンデレラ、ここが今日からお前の寝床だよ。」
そう言われたのはカマドの脇のほんの少しのスペースだった。そこはカマドの灰やらネズミの糞やらゴキブリの屍骸やらが溜った汚い場所だった。継母がシンデレラを突き飛ばすと転んだシンデレラはカマドの灰で真っ黒になった。
「あはははは・・・お母さま、こいつをシンデレラなんて呼ぶのは勿体ないわ。今日からこいつは“灰かぶり”って呼んではどうかしら?」
「それは良い考えだね。今日からお前は真っ黒に灰を被った“灰かぶり”だ!」
三人はそう言って真っ黒に汚れたシンデレラを見て笑った。