第九話 ガラスの靴

 王子の行動は迅速だった。姫が国外に出ると聞いた王子は、その晩のうちに国を出る街道を封鎖してしまった。そして家来たちに命令した。
「姫はまだこの国の中にいる。一件一件しらみつぶしに調べるのだ。しかし姫には事情があるようだ。隠れているかも知れないから、年頃の娘がいる家をすべてリストアップしろ!」

 王子はいくら思い出そうとしても姫の顔が思い出せなかった。それはまるで魔法で記憶を消されたかのようだった。王子はただひとつ残された姫の手がかりとなるガラスの靴を見つめた。たしかに履いている時は黄金のように輝いていた靴は、今は水晶のように透き通っている。
「不思議な靴だ。それになんて小さい・・・。」
王子は姫と踊った時のことを思いだし、姫の背丈を推測してみた。そして城にいる女たちで同じくらいの背丈の娘を集めてガラスの靴を履かせてみた。しかしどの娘もその靴を履くことが出来なかった。それほど姫の足は小さかった。
「なんて足の小さな姫なんだ・・・こんな小さな足の姫は、さぞかし名器を持っているに違いない。」
王子は満足そうに頷いた。姫はすぐ見つかるに違いない。


 しかし現実は王子の思惑とは裏腹に、一向に姫の行方は知れなかった。城下の家々をしらみつぶしに調べたのにも関わらず姫が見つかる事はなかった。捜索にあたった者たちも、最後には途方にくれてしまった。これほど見つからないとは誰一人考えなかったのだ。王子は思った。
「困ったことになった。いつまでも国を封鎖しておく訳にはいかない。いったい姫はどこへ行かれてしまったのやら・・・」
するとひとりの衛兵長が恐る恐る発言した。
「実は、姫が最後に城から逃げ帰った日、姫が入った家を確認したという部下がいるのです。」
王子は驚いた。
「なぜそんな大事な事を言わなかったのだ!城下中調べる必要などなかったではないか!」
しかし衛兵長は言った。
「いえ、その者が言うには、たしかに姫が入ったと思った家には、灰だらけの汚い少女しかいなかったそうです。もちろんその後もその家を調べてみましたが、その仕立て屋にはふたりの娘意外に該当する者はいませんし、その娘の足も調べましたが、あの小さな靴が入るような足ではありませんでした。」
だが王子は納得しなかった。なにしろもう手がかりは無いのだ。王子は藁にもすがる思いで命令した。
「家老、城下へ行くぞ!すぐに馬を用意しろ!」
「い、今すぐにでございますか?」
「そうだ今すぐだ!今すぐその仕立て屋に行くのだ!姫はきっとそこにいるに違いない!」


 仕立て屋の前で馬のひづめの音がしたかと思う間もなく、ドアが荒々しく開いた。そこにいたのが王子であったことに継母も継姉たちも驚いた。
「まあ!なんとしたことでしょう?!王子様がこんなむさ苦しい店においでになるなんて!!」
しかし王子が言った言葉にさらに驚いた。
「おい!この靴を履いていた姫を出せ!この店に姫がいる事は判っているんだ!隠すとためにならんぞ!」継母は慌てて言った。
「姫がこの店にいるなどと誰がそんな事を・・・」
王子は言った。
「この店に姫が逃げ込むのを見た者がいるのだ!」
継母は言った。
「たしかに私には二人の娘がおりますが・・・」
姫などではない、と言おうとして言葉を飲み込んだ。
(そうだ!娘を姫だと言えばいいのだ。そうすれば娘は王女になり私は王女の母親だ!)
「・・・もしかしたら、私の娘がその姫かもしれません。たしかに娘はあの日、舞踏会に行っておりましたから。」
実際は継母もずっと娘と一緒にいたから、娘が姫ではないことは判っていたのだが、そんな話はしなかった。王子はやっと見つけたと喜んだ。

 「これが私の娘たちでございます。」
継母はふたりの娘を王子に紹介した。王子は何か違う気はしたが、なにしろ姫の顔が思い出せないものだから、姫だといわれてみればそんな気もする。
「それではこの靴を履いてみよ。この姫が残した靴がピッタリ合えばその娘が姫に違いない!」
シンデレラは影からこっそりその様子を見ていた。王子様に気づいてほしい!そう思ったが、汚い灰かぶりでは姫だと言って出ていくことなど出来るはずもなかった。

 「お母様、王子様の前で足を見せるのは失礼なうえ恥ずかしく思います。」
継姉は継母と打ち合わせた通りに言った。そして奥で履いてくるということを王子に承知させた。
 奥の部屋に入った途端、継母は娘に小声で言った。
「さあ、さっさとその靴を履くんだよ。多少小さくても無理してでも押し込むんだ!」
しかし継姉たちの足は大きく、その靴に入れる事など不可能に思えた。どんなに力一杯押し込んでも入らなかった。あまり無理して押し込もうとするので、シンデレラはガラスの靴が割れてしまうのではないかとヒヤヒヤしたが、靴は見かけよりは丈夫で割れることはなかった。

「お母さま、どうしても爪先が靴にはいらないわ。」
上の姉がいうと、継母は言った。
「何を言ってるんだい!何としても履くんだよ!!そうだ、その邪魔な足の指を切っておしまい。」
さすがに継姉もそこまでは考えていなかった。
「そんな!そんなこと出来ないわ。」
下の姉も言った。
「お母さま!指を切るなんて酷いわ!」
だが継母は譲ろうとはしなかった。
「足の指が何だというんだい。どうせお城に入れば歩く必要などないだろうさ。さっさと切ってしまうんだよ。」
継母は大きな裁ち鋏とタオルを持ってくると、そのタオルを上の姉の口の中に押し込んだ。
「ん〜ん〜・・・」
上の姉は呻き声をあげ、首を左右に振って嫌がった。継母は下の姉にしっかり押さえ付けるように命令すると言った。
「少し痛いだけさ、我慢するんだよ。」
上の姉が恐怖で目を見開いた瞬間、継母はその大きな裁ち鋏で継姉の足指を全部切り落としてしまった。
「う〜う〜!」
足の指を切られた上の姉は、あまりの痛さに歯を食いしばった。そして必死に痛さに堪えた。
継母は指を切った足をガラスの靴に押し込もうとした。しかし足の巾の方が靴より広くまだ入らない。
「お前の足はなんて巾広なんだい。しょうがないね。おい!灰かぶり、ナタを持っておいで!」
シンデレラは言われたとおりカマドの脇に置いてある薪割り用のナタを継母に持っていった。
「さあ、この木切れの上に足乗せるんだよ。」
木の板の上に指のない足を乗せさせると、継母はナタを足の小指があった側へと振り降ろした。
“ダンッ!”
足の端がころりと転げ落ちる。
「ぐうう〜」
上の姉は何とも言えぬ呻きをあげて白目を剥いた。
継母は小さくなった足をガラスの靴の中に突っ込んだ。するとその瞬間、透明だった靴は銅色の鈍い輝きを発し、血だらけの足を包み隠した。
 シンデレラは靴が輝いたことにがっかりした。これで継姉がシンデレラのかわりにお姫さまになってしまうのだと思うとやりきれない気持ちになった。でもこの汚い灰かぶりが姫だと言っても信じてもらえるハズもない。

 「王子様!やはり私の娘が姫でした!」
そう言って継母は痛くて泣きたいのを必死で堪えている上の姉を王子の前に引っ張っていった。継姉はヨロヨロと王子の前に進み出ると銅色に輝く靴に納まった足を見せた。
「おお!やはりそなたが姫だったか。やっと見つけたぞ・・・」
王子は継姉の顔を見て、どこか姫とは違うような気もしたが、靴が入ったのだから間違いないと思った。それに靴は黄金とは言わないまでも銅色に輝いている。

「さあ、姫。城へ参りましょう。」
王子は姫を抱き上げると、ふたりで馬に乗り城へと駆けていった。
シンデレラは柱の影から悲しく王子を見送った。


 姫を抱いて城へ向かう王子が大きな木の下を通る時、その枝にとまった二羽の鳩が歌い出した。
“ポーポー・・・王子と姫がやってきた〜だけど姫はにせものだ〜”
“ごらんよ姫の足元を〜靴から血があふれてる〜ポーポー・・・”

 王子がそれを聞き驚いて姫の足を見ると、銅色に輝いていた靴は透明に戻り、溢れ出る血液で真っ赤になった切断された足を露にしていた。
「なんと!お前は偽の姫だったのか!」
王子はすぐに馬を反転させると仕立て屋へと戻っていった。


 「おい!よくもわたしを騙したな!この娘は姫でもなんでもないではないか!」
継母は慌てて言い訳した。
「まあ!どうしてこんなことに。きっと何かの間違いでしょう。」
王子は言った。
「もうこの家には娘はいないのか?」
継母は言った。
「もうひとり娘がいます。きっとそちらが姫に違いありません。」

 奥の部屋で継母は下の娘に言った。
「何としても靴に足を押し込むんだ。もうお前しかいないんだからね!」
下の姉は必死に靴に足を押し込もうと頑張った。しかし爪先はなんとか入ったものの踵が入らない。
するとまた継母が言った。
「そんな踵は削いでおしまい!」
継母はシンデレラに包丁を持ってこさせると、下の姉の踵の肉をハムでも切るように削いでいった。
「むう〜むう〜」
上の姉に押さえ付けられた下の姉は、タオルを噛み締めた口からくぐもった声を出した。鼻から荒い息ついて必死に我慢している。
 継母は骨が見えるほど踵の肉を削ぎ落とすと、ガラスの靴の中に押し込んだ。すると靴はやはり鈍い光を発し銅色に輝いた。

 「王子様!やはり下の娘が姫でした!どうぞごらん下さい。」
そう言って継母は涙を堪えている下の姉を王子の前に引っ張っていった。継姉はヨロヨロと王子の前に進み出ると銅色に輝く靴に納まった足を見せた。
「おお!やはりそなたが姫だったか・・・」
王子は半信半疑だったが靴は入っているし輝いている。

王子は姫を抱き上げると、ふたりで馬に乗り城へと駆けていった。
シンデレラは柱の影から悲しく王子を見送った。


 姫を抱いて城へ向かう王子が、また大きな木の下を通ると二羽の鳩が歌い出した。
“ポーポー・・・また王子と姫がやってきた〜だけどこんども姫はにせものだ〜”
“ごらんよ姫の足元を〜靴から血があふれてる〜ポーポー・・・”

 王子が驚いて姫の足を見ると、銅色に輝いていた靴は透明に戻り、肉を削がれた踵からの血液が靴から溢れている。
「なんと!やはりお前も偽の姫だったのか!」
王子はすぐに馬を反転させ仕立て屋へと戻っていった。


 「おい!仕立て屋!こんどの娘も贋ものではないか!」
二度も騙された王子は激怒していた。
「も、申し訳ございません・・・王子様を騙す気などこれっぽっちもありません・・・」
継母は床に額をこすりつけるようにして平身低頭謝った。
家老は、継母の首を跳ねんばかりに怒っている王子を諌めると言った。
「仕立て屋や、もうこの家には娘はおらぬのか?」
継母は恐る恐る頭を上げた。
「もうこの家には娘はおりません・・・」
家老は言った。
「しかし、家来の者がこの家で灰かぶりの娘を見たと言っておるのだが?」
継母は言った。
「はあ・・・たしかに灰かぶりならおりますが・・・あの娘は使用人でございます。あの日も言い付けた仕事をしていて舞踏会には行っておりません。」
「灰かぶりの娘はたしかにおるのだな?それでは試しにその娘を連れてきなさい。」
継母は信じられないという顔で言った。
「・・・ですが・・・あの娘は汚く、みすぼらしく、とても王子様の前に出せるような娘ではありません・・・」
しかし家老は辛抱強く言った。
「まあ良いではないか、我々ももう探すあてもないのだ。その娘を出しなさい。」
そう言われて継母はしぶしぶ奥の土間にいたシンデレラを連れて来た。

 着飾っている継母に連れてこられたその娘はたしかに真っ黒で汚く、痩せっぽちでみすぼらしかった。ぼろぼろの小さな召使いの服を着て、細い足には奇妙な木で出来た靴を履いている。誰が見てもその娘が姫だとは思えなかった。
「家老、この娘が姫であるはずがない。」
見た途端あきらめた王子を制して、家老はいった。
「娘さん、この靴を履いてみなさい。」
シンデレラは立派な台の上に置かれた美しいガラスの靴を見つめた。それは二度も血まみれになったにも係らず、まったく汚れていなかった。その曇りひとつない透明な靴を見てシンデレラは思った。
(今でもこの靴は黄金のように輝いてくれるかしら?)
シンデレラが片方の足を木の靴から出すとその場にいた一同は息を飲んだ。木の靴を履いているため成長出来なかったシンデレラの足は驚くほど小さかった。

 シンデレラがガラスの靴に足を入れると、ぴたりと嵌った瞬間眩しいほどの黄金色の輝きが小さな足を包み込んだ。その途端少女は、真っ黒でボロを着ているままなのに、その場にいる者に高貴な印象を与えた。
 そして王子の頭にかかっていた霧が晴れるとともに、あの日の姫の顔と、今目の前にいる真っ黒な少女の顔が重なった。
「おお!姫ではないか!間違いない、この娘が姫だ。こんな姿で隠れていたのですか?!」
王子はシンデレラの真っ黒で小さな手を取ると、その手にキスして言った。
「さあ、姫。城へ参りましょう。」
王子はシンデレラを軽々と抱き上げ馬に乗せると、自分もひらりと跨がり仕立て屋を後にした。
継母と足を血だらけにしたふたりの娘は呆けたように口を開けたまま、王子と共に行ってしまったシンデレラを見送った。


 シンデレラを抱いて城へ向かう王子が大きな木の下を通ると、枝にとまった二羽の鳩が歌い出した。
“ポーポー・・・王子と姫がやってきた〜こんどは王子も間違えず本当の姫を連れて来た〜”
“ごらんよ姫の足元を〜黄金の靴が輝いている〜ポーポー・・・”


 王子は姫の小さなふっくらとした唇にくちづけながら城の門をくぐっていった。