三人の登山家
あるところに大きな山がありました。その山は高く、山頂はいつも雲に隠れ、見ることが出来ませんでした。 その山は登山家なら一度は必ず挑戦する山でしたが、今まで登頂に成功した人はほとんどいませんでした。 あるところに三人の登山家がいました。 ひとりは諸さん。諸さんはガイドブックを持っていました。彼はガイドブックに従い準備万端整えて、麓の登山道から登っていきました。 もうひとりは秀さん。秀さんは慎重さが足りない人でした。最低限の食料や登山用具をリュックに詰め込むと闇雲に登山道か獣道か判らないような細い道を入っていきました。 もうひとりは宮さん。宮さんは正確には登山家ではありません。山で生活し木を切っては家具などを作る職人でした。彼は今日も良い木を探して山の中を歩いていました。 諸さんの登山は順調でした。なにしろガイドブックがあるのです。それに従って登ればいずれ山頂に着くに違いありません。道は鋪装されていてとても登りやすく、これまでなぜ誰も登頂に成功しないのか諸さんは不思議に思いました。 秀さんは薮の中で迷っていました。どうにも方向が解らず身動きがとれませんでした。彼は薮の中をとにかく上と思える方角へと進んで行きました。しかし薮の中では方向も判らずどちらが上かも判りませんでした。秀さんは同じところをぐるぐる回り続けていました。 宮さんが木を探して山の中を散策していると、薮の中になにやら動くものがあります。クマかと思い身構えましたが、出て来たのは人間でした。それは薮の中で迷っていた秀さんでした。 宮さんは食料も底をついた秀さんを見かねて、その日はその場所で野宿する事にしました。宮さんは焚き火をして持っていた小麦粉を水でこねてナンを焼き、秀さんに振る舞いました。秀さんは礼も言わずむしゃぶりつきました。 その夜、宮さんは焚き火が消えないように気をつけて薪をくべて一晩過ごしました。朝方うとうとした時、秀さんはまた何処へともなく薮の中へ分け入っていきました。宮さんは知っていましたが放っておきました。 ガイドブックの通りに進んでいた諸さんは、雲を抜けとうとう山頂が見える所まできました。遠くに雪を頂く山頂が光り輝いています。諸さんは勢いづいてどんどん山を登っていきました。何時間も登ってとうとう山頂かと思った時、諸さんの目の前に不思議な小屋が見えてきました。それは奇妙な宗教建築のようでした。 その小屋が建っている所が山頂でした。 諸さんがその小屋に入ると、ひとりの小屋守が迎えました。 諸さんは聞きました。 「あの〜ここは山頂ではないのでしょうか?」 すると小屋守は何もかも判ったような顔で諸さんを招き入れました。 「良くいらっしゃいました。大変だったでしょう。」 「はい、でもガイドブックがあったので順調に来る事ができました。」 小屋守はそのガイドブックを見ていいました。 「あなたは良いガイドブックに出会いましたね。あなたは本当に幸運な方です。」 小屋守はそう言いながら諸さんを階段へ案内しました。 長い長い階段を登ると一面ガラス張りの展望台に出ました。 そこからはあの山頂が大きく眼前に広がっていました。それは眩くキラキラ光っています。 小屋守は言いました。 「その双眼鏡で見てご覧なさい。」 そこに据え付けられた双眼鏡で覗くと山頂の様子が手にとるように判りました。 「ああ、なんて美しいんだ。こんな美しい光景は見た事がない!・・・しかし・・・」 諸さんは小屋守に聞きました。 「ここから山頂へはどうやって行けばいいのでしょうか?」 小屋守は答えました。 「それは誰にも判りません。」 諸さんはびっくりしました。だって山頂は目の前にあるのですから。 「確かに良いガイドブックに出会う事が出来て、その通りに準備することが出来ればここまで来ることはできるのです。しかしここは別の峰なのです。こことは深い谷で隔てられて行くことが出来ません。間近で山頂を見ることで満足するしかないのです。まわりをご覧なさい。」 諸さんが足元をみると、色々なガイドブックが捨てられていました。それらは色んな国の言葉で色んな国の人が書いたものでした。 「しかし、ここに来て山頂を間近で見られただけでも幸せなのですよ。多くの人はここに辿り着く事さえ出来ないのですから。」 小屋守はそう言いました。諸さんもその通りだと思いました。そして今度こそ山頂をめざそうと心に誓いました。 諸さんは沢山捨てられたガイドブックをいくつか持って下山していきました。 秀さんは相変わらず薮の中で迷っていましたが、そのうち気を失ってしまいました。 秀さんは夢うつつの中で、山頂に立った気がしていました。秀さんは自分でも判らないうちに麓まで降りていました。 「ああ、山頂はなんとも現実感がない不思議なところだった。」 秀さんは山を後にしました。 そのころ宮さんは良い木を探して山の上の方へいきました。だんだん下の方にある木では満足出来なくなっていたのです。しかし上に行くほどに木は少なくなり、とうとう木は一本も無くなってしまいました。 「なんだかとんでもない所へ来てしまったなあ。」 宮さんが思っていると急に上空の雲が晴れ、そこにあの山頂が姿を現しました。 「おお!これはすごい!」 宮さんは山頂へ向かって歩き出しました。 山頂からの眺めはすばらしいものでした。眼下には雲海が広がっています。 しかしそこは美しいだけの過酷な場所でした。寒く空気は薄く、岩と氷しかありません。 「なんという所だ。ここは人間が来る所じゃない!」 宮さんは眺めを満喫すると、さっさと降りてきました。 確かに美しい所でしたが、宮さんにとって大事な木がありません。そんな所に宮さんは用はありませんでした。 宮さんは降りる途中で良い木を見つけると必要な分を切って持ち帰りました。 三人はそれぞれに登山記を本に書きました。 諸さんは展望台から貰って来た数冊の本も参考にしながら、怪しい不思議な本を書きました。 秀さんは朦朧としながらも山頂に立った時の事を本にしました。しかし本当に山頂に立ったと自分で思っているだけなので、後味の悪い登山記になってしまいました。 宮さんは本の中で山頂の様子を詳しく書きましたが、山頂は素晴しい所だと思い込んでいる人々には、誰にも理解されることはありませんでした。 その山は登山家なら一度は必ず挑戦する山でしたが、今まで登頂に成功した人はほとんどいないと言われています。たとえ成功した人がいたとしても誰も信じることはありませんでした。 おわり |
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