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未来免疫学
安保 徹
1997年5月1日初版 
2001年5月24日第6版
(株)インターメディカル
〒113-0033 東京都文京区本郷2-29-3電話03-5802-5801

はしがき
 大学を卒業して二年間、内科研修を行ったが、患者さんを診ながら、ほかならぬ自分自身の具合が悪くなって困った。リウマチ患者の変形した手を見ると、自分の手が痛くなる。末期の肺癌患者の呼吸が苦しそうだと、こちらの胸が苦しくなる。これは大変なことになったと思ったが、病気でもない自分の具合が悪くなることで、「病は気から」という言葉の意味が身にしみてわかった。
 その後、当時最新の学問であった免疫学を専攻し、NK細胞(殺し屋)やT細胞(エリートリンパ球)の研究を始めた。研究の過程で、これらの白血球細胞が日内リズムや年内リズムを持って周期的に変化していることに気づいた。免疫と環境の相関を知ったことは、大きな驚きであったが、それから十年ほど、胸腺外分化T細胞(草の根エリートT細胞)の研究などに没頭し、そのころの研究を忘れていた。
 ところが、1994年(平成6年)十二月に、外科医の福田稔さんと出会って、いっぺんに当時のデータが頭によみがえってきた。福田さんは、「天気のいい日にゴルフに行こうとすると、きまってアッペ(虫垂炎)の患者がやってきて、ゴルフに行けなくなる」という独特の語り口で、「高気圧と組織障害の関連」という非常にユニークなテーマを持ち込んで、私の遠い記憶を呼びさましてくれたのであった。
 このようにして、私は再び「外的環境と生体の同調」を研究のテーマの一部に取り入れることになった。研究を再開して驚いたのは、からだの防御機構が完全に自律神経系の調節下に置かれていることだった。そして、その調節を明快に反映する現象として、脈拍数の変動や白血球(とくに顆粒球とリンパ球)の数の増減があることがわかった。証拠は続々と出てきたが、それを見過ごさずに「発見」につなげることができたのは、先人の見いだした法則からの少なからぬ影響があった。
 ひとつは、私の恩人である故・斉藤章先生(元東北大医学部講師)の「生物学的二進法」で、免疫系と自律神経の同調にその真骨頂がある。自律神経のレベルを示す針が、交感神経か副交感神経のどちらへ触れるによって、白血球中の顆粒球とリンパ球の比率が変わることを、今から三十年前に指摘した斉藤先生は、私にはじめて「顆粒球人間」と「リンパ球人間」のイメージを与えてくれた人でもある。
 もうひとつは、藤田恒夫先生(新潟大学名誉教授、現日本歯科大学教授)の「パラニューロン説」である。これは、神経細胞(ニューロン)とペプチド系の内分泌細胞を、「パラニューロン(ニューロンに並ぶもの)」というひとつの仲間としてとらえ直すという説である。私も、そのその向こうを張って「感受−分泌細胞」という概念をつくり、いろんな細胞を仲間にしてしまった。
 福田さんとともに研究を始めてみると、次々と新しい知見が加わり、これまで誰も漠然と経験的に理解していた生体反応の意味が、自律神経と白血球の同調から科学的に明らかになってきた。
 これに気をよくして私たちは、「福田−安保の法則」というあやしげな理論を打ち立て、何事もこの法則を引っ張り出して考えるようになった。「交感神経と顆粒球」、「副交感神経とリンパ球」という二種類の神経と免疫の関係を、あらゆる生体反応の中に見つけるたびに、私たちは先を争って報告し合ってきた。
 本書は、私が観察したいろいろな現象を、「福田−安保の法則」に照らして楽しみながら解明した記録である。まだまだ裏づけの足りないものも多いが、自分の頭の整理のためにも、ほんの形にまとめた。
 自律神経と白血球の働き方は、人によって微妙にちがう。そのちがいによっって、私は、人間を「顆粒球人間」と「リンパ球人間」という二つのタイプとしてとらえてみた。といっても、人間がいつもこの二種類に分かれるとか、この二つが対立概念だというのではない。ひとりの人間も時と場合によって、「顆粒球人間」になったり「リンパ球人間」になったりする。そこがおもしろい。生命はいつもリズミカルに揺れ動いているのである。
 「顆粒球人間」又は「リンパ球人間」として人間をとらえることによって、ひとつの現象を裏からも表からも見ることができる。このような視点を持つことによって、人間や生命体に対する理解が深まると、私は確信している。
 二十一世紀には、いろいろな分野で新しい考え方が導入され、進歩していくと思うが、このほんの考え方によって、免疫学にも新しい時代が開かれると期待している。また、読者にとっては、この本が自分を知る手がかりを与えてくれ、生き方や健康への指針にもなってくれるものと思う。

あとがき
 尊敬するダーウィンが、南米のガラパゴス諸島に滞在していたとき、父親に宛てて手紙を書いたという。
 それは、イギリスにいたときは、一キロメートル歩くのに、道草を食いながら一時間もかかっていたが、ガラパゴスでは、見るもの聞くものがあまりにおもしろすぎて、一歩たりとも歩けないという内容の手紙だった。
 彼の研究に対するこんな姿勢に、私は非常に感銘を受ける。自分の眼で観察することの大切さを、あらためて思い知らされる。
 私はいつも大学院の学生たちに、「人の論文を読むな」と教えている。それが大発見を目指す者の鉄則だと考えるからである。
 論文を一所懸命読んで勉強する人は、小発見をする。しかし、中発見をするには論文を読むのを最低二年はやめる必要がある。そして、もし大発見がしたければ、五年以上やめなければならない。
 共同研究者の福田さんなどは、学校を出て以来、医学書など一冊も読んでいないと豪語している。外科医の彼は、患者のからだを自分の眼でていねいに観察することで充分だと思っているのだろう。私は、そこに福田さんの臨床医としての矜持をみてとる。
 論文を読まないということは、自分の眼で見、自分で考える以外にない状態に、自分を追い込むことにほかならない。実際は、かなりきびしいことなのである。もちろん、私も、福田さんに負けない観察者だと自認している。
 福田さんの登場によって、斉藤理論との出会いから二十年で、「福田−安保の法則」を発表することになった。「進化論」のように三十年間寝かせるつもりだったが、私はダーウィンより十年早く発表したことになる。その分、実力がともなっていない危険もちょっぴりある。
 斉藤先生は、昭和五十八年、七十五歳で世を去られた。十三回忌に当たる昨年五月、福田さんと二人で仙台にあるお墓に参ってきた。
 福田さんの都合で朝の六時のあわただしい墓参りだった。線香も花も用意できなかったが、先生のご子息の斉藤博氏がいたく感激されて、車で案内してくださった。
 霧雨の降るなか、神妙な面もちで手を合わせる男二人を、斉藤先生は墓の中からどんな気持ちで見ておられただろうか。ご子息に撮っていただいた写真には、先生と言葉も交わしたことのない、二人の「リンパ球人間」が映っているはかりである。
 本書の執筆にあたり、いろいろな人にお世話になった。まず、斉藤章先生はじめ、私を免疫学に導いてくださった熊谷勝男先生、内科研修時代にお世話になった小坂志朗先生などの先生方にも深くお礼を申し上げるとともに、貴重なアドバイスをいただいた解剖学者の藤田恒夫先生、教室の仲間たち、また、この本の原稿を含め、毎日、和文や英文の論文のタイプを打ち続けている渡辺正子さん、木村京奈さん、発行元である(株)インターメディカルの斉藤秀朗社長と編集担当の重松仲枝さん、そして誰よりも深く、共同研究者の福田稔さんに感謝する。
平成九年春
著者

安保 徹
1947年青森県生まれ。1972年東北大学医学部卒業。内科初期研修でリウマチや肺癌の患者を受け持ち治療に限界を感じ、基礎研究に転向。1974年東北大学で免疫学の研究を開始。この間、アメリカ・アラバマ大学に5年間留学。1991年1月より、新潟大学医学部教授、胸腺外分化T細胞(1990年に仲間と共に発表)と自己応答性クローン出現のメカニズムについて、そして白血球の自律神経支配についての2つの研究テーマに取り組んでいる。

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