青春18きっぷの旅 紀勢本線〜高山本線

近鉄鳥羽駅 遊覧船
英虞湾(遊覧船から) 伊勢神宮(内宮)
紀勢本線(多気駅) 尾鷲を過ぎた辺り
闘鶏神社(紀伊田辺駅近くにある) 紀州鉄道
和歌山県の海(車内から) 和歌山城
高山本線(岐阜駅) 下呂駅
渚駅(近くに海などはない) 神岡鉄道(猪谷駅)

2003年3月28日〜31日

主な地点の出発時刻と到着時刻

3月28日 成東発21:14−22:55品川発23:55−5:19名古屋5:55−(関西本線)-7:05亀山7:08-(紀勢本線、参宮線)-9:04鳥羽9:37-(近鉄鳥羽、志摩線)-10:15賢島10:30-(遊覧船)-11:20賢島11:53-12:32鳥羽12:36-12:48伊勢市14:46-15:00多気15:20-18:58新宮1912-19:33紀伊勝浦

3月30日 紀伊勝浦7:21-9:26紀伊田辺10:03-10:48御坊11:00-11:09紀伊由良11:17-11:25御坊13:28-14:16紀伊田辺14:30-16:34和歌山16:42-16:48和歌山市-和歌山18:26-19:29天王寺19:40-19:57大阪20:00-21:20米原21:25-21:58大垣22:02-22:14岐阜22:18-22:49美濃太田

3月31日 美濃太田5:12-9:44富山9:48-11:37直江津12:14-13:05十日町13:31-13:58越後川口14:09-15:44水上15:55-16:55高崎17:10-18:57上野-20:51成東

会社がたまたま3連休であったので旅に出ることにした。青春18きっぷが残り3回分あるのでそれを使った。23:55品川発の臨時の夜行列車があるのでそれに乗った。この列車はやはり夜行のムーンライトながら(小田原まで全席指定)号に乗れない人のためにある救済臨時列車と一部電車マニアに呼ばれているらしい。事前に調べた情報では、日によっては大変混雑するらしいので1時間前に品川につくように成東を出たがすでにかなりの人が並んでいて結局座れなかった。発車直前にかなりの人が乗ってきて車内の通路やデッキは人であふれかえっていた。東京発のムーンライトながら号が品川を発車してから続いて臨時の大垣行きが発車した。小田原までは普通列車で停車駅は川崎、横浜、戸塚、大船などである。普通と言っても大船までは京浜東北線があるので大森や鶴見などは止まらない。つまり東海道線の普通列車は各駅停車ではない。千葉の普通列車はすべて各駅に止まるので車掌が「この列車は各駅停車の*@行きです。」と言うけれど。小田原からは快速である。ほとんどの駅は通過してしまう。熱海、三島、沼津、富士、静岡、浜松、豊橋、名古屋などしか停車しない。混雑した列車の中のその後はと言うと俺は一番後ろの車両のデッキに分厚い時刻表を置いて座っていた。最初は俺を含めて4人だった。車掌に18きっぷの日付を入れてもらい列車が発車する前までに10人くらいに膨れ上がった。膨れ上がったのはデッキだけではない。座席の通路もひどい状態だ。途中でこの列車に乗車しようとしたがあまりの混雑で乗らずにあきらめた人もいた。ちなみに編成は8両である。日によっては増結され11両になる日もあるとか。小田原までは結構乗る人と降りる人がいた。車内は人の熱気で熱い。しかも時刻表に長時間座ってられたものでもない。尻が痛いのである。だから立つことにした。昔SF小説で、日本沈没(テレビドラマ化された)小松左京原作の単行本を暇つぶしに車内で読んでいた。上下あって、下の途中からしばらく進んでなかったのでちょうどいい機会である。品川で買った夜食を食べたりしながら。だんだん疲れてきた。しかも立ったまま長時間はさらに疲れるのでまた座った。正面の男はずっと座ったままでさっきまで雑誌を読んだりしていた。隣は若い女性、さっきまで立っていたがさすがに床に座り込んだ。熱い。ジャンバーを脱いだ。眠い。しかし眠れるような状況でない。疲れる。狭いデッキに人があふれかえってる。これでは、救済臨時ではない。地獄臨時列車である。小田原で乗り込んだ人は「ムーンライトながら」に乗り遅れたようで駅員に沼津まで救済臨で行くようにといわれたらしい。手にはながらの指定席券をちらつかせていた。時刻表を見るとここで一度ムーンライトながらにおいつくのである。その男は沼津で降りたがホームの反対側にはムーンライトながらは停車していなかったのであせって車掌に詰め寄った。私はながらは隣のホームに停車しているのが見えた。車掌に向こうのホームだと言われて慌てて走り出して階段を下りていった。この駅で貨物列車に3つ追い越された。臨時列車より貨物のほうが優先なのである。ながらに浜松でも追いついた。豊橋でついに追い越した。ながらは豊橋からほとんどの駅に停まるので大垣には臨時のほうがなんと1時間1分も早く着くのである。私は大垣までは行かずに途中の名古屋で降りた。この駅で1〜2割の乗客が降りた。名古屋から関西本線に乗った。当初の予定では逆周り即ち帰りにこの線を使おうと予定(このことがいくつもの悲劇を生むとは)していたのであるが。5:55に名古屋を出る電車はまだホームにはいなかった。待っている間に体が冷えてきた。やはり3月の末といえ朝晩はまだ寒い。待合室にもぐることにした。待合室も含めて結構人がいた。初電なので俺のように旅する人や夜仕事した人、夜遊びして朝帰りの人などであろうか。列車は2両編成で車掌が女性であった。昼間は何回か経験があるがこんな早くから勤務するんだ。深夜は女性は見かけないけど。車内は2列シートであった。こちらの主流は4人がけのボックス席より2列シートしかも回転させて座席の向きを変えるのでなく背もたれを前後に押す方式(転換クロスシートというらしい)である。この座席は客が少ないときは座席の向きを工夫すれば4人掛けのボックスシートになり足を伸ばせる。名古屋からの車窓は平凡な街並みの景色が続いた。亀山駅に到着。ここで乗り換えである。いよいよ紀勢本線に入るのである。列車は4両のディーゼル車である。景色を見るにはボックス席の進行方向がよいのであるが確保できなかった。しかし運転席の近くに陣取ることができたので前方の視界はよかった。発車してすぐに鈴鹿川を渡りトンネルに入る。なかなかの景色である。しかも運転席付近なのであらかじめトンネルに入るのがわかったりする。津を過ぎて電化された複線の線路がほぼ並行して走るようになった。近鉄鳥羽、志摩線である。特急、普通がひっきりなしに走り去っていく。こちらのディーゼル車は先ほどからかなり乗客が減っているのに向こうはまずまずの乗車率である。列車は松坂をでて多気に到着。松坂駅で松坂牛を使った駅弁を買いたかったが・・・。多気から参宮線に列車は入った。紀勢本線は多気で乗り換えであるがちょっと伊勢、志摩方面でも行ってみようと思う。伊勢市で2両編成に乗り換え鳥羽でJRは終点である。この先賢島(かしこじま)まで近鉄に乗ることにした。まあここまで来たのでついでと言うことで。ただし、青春18きっぷは使えません。鳥羽−賢島片道460円。さすがにこの辺までくると海の景色、山の景色がよい。賢島で降りて港付近まで歩いていくと遊覧船の案内をしてる人に呼び止められ勧められるままに船に乗った。船は2種類あってスペイン風のでかいやつと漁船並の大きさのがあっておれは迷わず小さいほうに乗った。小さな島の間を航行すると言うことなので。遊覧船は約50分、1400円。途中、真珠工場に寄港し真珠の核入れ作業を見学。つまらん土産を買う。鳥羽に戻ってJRに乗り換え伊勢市駅に向かう。まずは、伊勢神宮、外宮を見学。駅から歩いて5分くらい。次に内宮に行こうと図をよく見るとなんと4キロも離れてるではないか。バス停に向かう。すぐにバスが来た。15分くらいで内宮に到着。明日の日曜、奉納土俵入りがあるらしい。のぼりが何本か立てかけてあった。逆周りでなく大阪からくれば良かった。時間があまりないので五十鈴川に架かる宇治橋の途中でUターン。伊勢市駅行きのバスに乗り込む。乗客の乗り降りのための停車が多いのと渋滞であせったが列車の発車時間5分前に駅に到着。快速みえ16号に乗り多気で下車。2つ向こうのホームにはすでに新宮行きのディーゼルカーが停まっていた。紀勢本線の旅をする乗客が沢山いるかと心配したが、意外と少なかった。楽々とボックス席を確保。ここから約3時間40分の長丁場の乗車になるので、食料を確保しようと荷物を座席に置いたまま列車の外を見回した。何もないので、改札を出た。駅前にコンビニがあった。列車に戻り出発の15時20分になった。ディーゼルの独特の音をさせて俺を乗せた2両編成のワンマンカーが走り出した。三瀬谷付近の宮川の渓谷は水の流れで深い谷を作り場所によってはとがった岩があるといった奇勝地になっていた。しばらく宮川沿いを走っていたがやがてトンネルをくぐり山の中をさまようように線路は続いていた。多気を出発して1時間ちょっとで海が見えてきた。入り組んだ海岸線と見えて山あいからほんのちょっと見えるような感じである。紀伊長島に到着。特急のワイドビュー南紀8号名古屋行きの待ち合わせでしばらく停車した。特急に乗る乗客がホームに結構いた。特急が出て行ってからもしばらく(約6分)停車していたと思ったら貨物列車もすれ違っていった。尾鷲と熊野市でも10分くらい停まった。もっとも新宮12:24発の多気行きは紀伊長島で1時間停まるらしい。紀伊長島からは進行方向左側に青い海がたびたび現れるようになる。尾鷲では何人かいた乗客が降りてしまい俺の乗っている車両は暫くの間1人というときがあった。新宮に到着するころにはすっかり暗くなった。ここで乗り換えである。今度は2両編成のワンマン電車だ。この電車はボックス席がない、みなロングシートである。紀伊勝浦に19:33に到着。今日は駅前の勝浦シティプラザリゾートホテルに泊まる。温泉付のどちらかと言うとビジネスホテルっぽい宿である。夕食は付いていないので1階の食堂でまぐろ丼を頼んだ。12時まで入浴可能だったが、迂闊にも寝てしまい、その日は、温泉に入ることができなかった。

30日、日曜である。朝、6時半に昨日入り損ねた温泉に入る。まずまずの湯である。7時に荷物をまとめて1階に行く。朝食は付くので食堂でさっさと食べる。フロントで清算。シングル5500円+入湯税150円+朝食500円に消費税で6450円。紀伊勝浦駅に行き青春18きっぷに日付を入れてもらう。「毎度おおきに」と言われる。7時21分の紀伊田辺行きに乗る。紀伊勝浦の桜は5部咲き位であろうか。列車は入り組んだ海岸線に近づくとき太平洋がよく見える。朝日でまぶしい。海岸線から列車が離れて山間(やまあい)に進んで行きやがてトンネルに入る。トンネルを出るとそこは雪国"ではなく海が足元に広がっていた。こんなに複雑な海岸線で伊能忠敬は大変だったろうなと思う。本州最南端の駅、串本を過ぎ白浜の先が、この列車の終点、紀伊田辺である。4分の待ち合わせで御坊行きに接続のはずが・・・。なんとJR西日本は3月の15日にダイヤ改正してやがって9:30の列車がないのである。次の御坊行きは10:03なのである。(この程度はどうと言うことはなかった。後にもっとひどい目に会う)それではと言うことで改札を出て観光案内図を見た。闘鶏神社なるものが近くにあるので行った。闘鶏神社の名前のいわれは、別当湛増が源平合戦の時、紅白の鶏合わせにより源氏に味方する事を決め、壇ノ浦へ出陣したと言う故事が伝わる。弁慶はこの湛増の子であったと言う。そういえば駅前に弁慶の像があった。あと時間があれば熊野三山(熊野本宮大社、那智大社、速玉大社)や熊野古道など散策したい。駅に戻りすでに入線している列車に乗る。ボックス席があったが進行方向左側の席は埋まっていた。約50分で御坊に到着。この間の景色はよかった。碧い海や島などがきれいで。御坊はちょっと前まで日本で一番短い鉄道、紀州鉄道(2.7キロ)の乗換駅である。今は千葉の芝山鉄道(2.2キロ)が一番短い(京成線の付け足しの感じであるが)。御坊からは4両編成の車掌付である。海側のボックス席も確保できた。11時ちょうど発車。なんか変。うっ、ジャンパーさっきの電車の網棚に忘れた。すぐに引き返す。しかし列車はすでに紀伊田辺方面に出てしまっていた。ん〜、多分折り返してまたくるからそれまで待つとするか。ベンチで日本沈没の続きを読みひたすら待った。13:20に来た電車の網棚を探してみるがない。しまった、紀伊田辺駅に保管しているかもしれない。なぜならさっき紀伊田辺に着いたとき掃除のおじさんがいたような。案の定紀伊田辺に戻って駅の事務室に行くと俺のジャンパーがあった。11:32に和歌山に着く予定が時刻改正と忘れ物で16:34と5時間もロスしてしまった。このおかげで和歌山城の天守閣に登れず高野山にもいけなかった。しかも那智の滝も時間の都合で抜かしたのに。気を取り直して和歌山城の桜でも見に行こうと和歌山駅から乗り換えて和歌山市駅に向かった。歩いて10分くらいのところに和歌山城がある。まだ桜は満開ではないが城とよく似合う。ここからの予定は当初は高野山に行く予定であったが夕闇も迫ってもう無理である。明日の予定も含めて少し作戦を練り直さないと。とりあえず3つの案を考えた。1、高野山の近くに泊まる。2、岐阜に泊まり高山本線−北陸本線−上越線で帰る。3、金沢に泊まり信越本線または大糸線に乗る。で、最終的に2の高山本線にしたんだけど宿を美濃太田にした。和歌山城を後にして和歌山市駅に戻り和歌山で天王寺行きに乗りさらに大阪で長浜行きの新快速に乗り換えた。米原で降りここでホテルの予約を入れた。米原から大垣行きに乗り大垣から22:02発の豊橋行きに乗った。途中の岐阜で乗り換え1両編成のワンマンディーゼルに乗る。車両の中は少し薄暗く立っている人もいた。22:49に美濃太田に到着。腹が減っていたのでコンビニを探した。ちょうどホテルの近くにミニストップがあった。美濃加茂ステーションホテルに着いたのは11時を過ぎていた。建物の3階にフロントがあり1,2階は別の店舗が入っている。明日、5時に出発したいと伝える。料金前払い(5500円)で、明朝、部屋のキーをフロントにおいて2階の非常口から出て行くように言われる。コンビニで買った弁当を食ってさっさと寝た。

31日、5時にホテルを出て駅に向かう。まだ空は暗い。夜明け前の街は、街灯が眠い目に眩しく映る。駅の改札で青春18きっぷに日付を入れてもらう。階段を下りてホームに出るとなんと3両編成ではないか。上りの岐阜行きは何人か乗客がいるが、こちらは、俺一人だ。車掌(なぜかワンマンでない)と運転手を入れても3人である。車内放送で高山駅で最後尾の車両は切り離し2両編成になるようである。列車は薄暗い中を出発した。次の駅で1人乗りその次の駅で降りた。徐々に明るくなるにつれ何人か乗車するようになった。右手に飛騨川が見える。上麻生あたりであろうか、岩盤が水流で侵食されて凹所な渓谷(飛水峡と言うらしい)が大変印象に残る。焼石駅を出ると温泉で有名な下呂である。昔、家族旅行で訪れたことがある。焼石駅を出ても下呂になかなか着かないと思ったら、なんと12.6キロも駅間があるのだ。時間があれば温泉につかるのもいいかな。下呂を出たあたりでようやく太陽が山の間から出てきた。下呂から暫くすると渚駅に着いた。渚と言っても、海などない山間(やまあい)のただの駅であった。高山で後ろの車両が切り離され2両編成になる。高山を過ぎたあたりから日陰に所々残雪が見える。杉原駅と猪谷駅の間が岐阜と富山の県境である。猪谷で神岡鉄道の列車を見ることができた。ここの猪谷からJR西日本の区間である。乗務員がここで交代した。富山に近づくにつれ乗客が多くなり立っている人もいるようになった。富山に9時44分に到着。JR西日本の時刻改正で9時45分発の列車が48分に変わっていた。直江津行きの列車に乗り込んだがあいにくボックスシートは埋まっていた。富山-直江津間は右手に雪で白くなってる立山連峰が見え、左手に日本海がずっと続く。親不知付近は線路が海岸線のすぐ近くを通っており脇を走る北陸道は海上に道が作られている。地すべり地帯である関係らしい。筒石駅は昔は地上にあったが今はトンネルの中にある。過去に地すべり災害がたびたび遭って死者が多数でたため、海岸線沿いのコースを内陸に移しトンネル化したのである。この付近は名立駅の部分以外はトンネルである。景色が見られずつまらん。直江津に到着。最初、信越本線を使うか大糸線にするか迷ったが時間の都合で北越急行ほくほく線に乗ることにした。駅弁を売っていたのでかにずし(840円)を食べる。信越本線の長野行きは非常に混んでたがほくほく線はがらがらだった。列車は2両編成のワンマン運転だ。JRの特急はくたかが越後湯沢-金沢間を主に運行してて犀潟-六日町間(ショートカットコースになる)はほくほく線経由である。列車は12時14分に発車。この列車は普通列車の割には異常に速い。後で調べたら、はくたかは在来線最高速160キロで運転しているようである。高架で踏み切りが1つもなくほとんど直線的な構造だから特例で許可されているようである。十日町(会社の同僚の出身地)に下車した。この1本あとの列車で六日町でちょうど接続があるから、ちょっとよってみることにした。駅を降りる前に案内板に目を通したがたいした見所は、駅の近くにはない。改札でほくほく線の運賃を払い外に出る。やはり何もない。JR(東口)のほうに行く。商店街はあるが目立ったものはない。ライオン堂なるスーパーがある。ゲーセンに行くが俺の得意なのはない。まあ、もうちょっと、時間があれば十日町博物館でも行くと言う手もあったが。少し早く駅に着いた。飯山線の列車が発車しそうなのでちょっと時刻表で調べると、越後川口でちょうど接続があるので、それ(十日町発13時31分)に乗る。飯山線沿線はまだ、所によりかなり残雪がある。さすが豪雪地帯なことだけある。越後川口で上越線に乗り換える。下り列車もちょうど接続していてそちらの方はかなり乗車していったが、上りは俺を含めて3人だけだった。最初は、ボックス席は空いてなかったが暫くすると空いた。小出に先日(3月15日)乗った只見線の車両(今度の只見線は約2時間後)が止まっていた。六日町に着いたとき隣のホームには最初乗る予定だった、ほくほく線の電車(1両編成)がすでに停車していた。この前より、やはりだいぶ雪は解けていた。スキー場はクローズしているところもある。越後湯沢で何人か降りた。この駅で大勢の人が乗ってくると思ったがあまりいなかった。車内は終点まで立つほどの混雑はなかった。土樽駅を出るとすぐに長い清水トンネルに入る。土樽-土合間は、トンネルの長さ9.7キロ、駅間10.8キロもあり約10分かかる。このトンネルの完成したのは昭和6年で日本一の長さ、完成まで九年三ヶ月の歳月を要した(昭和37年北陸トンネルが貫通するまで1位、現在は青函トンネルが日本一)。ループ線を下ってくると湯檜曽である。もうすっかりホームの雪は解けていた。雪は解け始めると早い。水上に到着。高崎で時間が少しあったので軽く食事を摂る。上野に18時57分に到着。この分だと、成東に21時少し前に着く電車に乗れる。早く乗り換えしなければ。しかし15番線に入線したものだから乗換えが不便。この上野駅は、変則2階建て構造で、15番線から秋葉原方面の乗り換えは、まず停車したホームの車止めの先(約100m)まで歩いていかなければならない。そこから、天井に頭がついてしまう通路を通って、階段を上るのである。電車が来るのをホームで待っていると酔っぱらいがホームから落ちそうである。しかも電車が接近している。駅員が気づいて駆け足でその男のところまで行き、押さえつけ間一髪セーフであった。総武・横須賀快速に錦糸町から乗る。混んでる。東海道経由で帰ってくる場合、品川から乗車すれば座れる確率が高いらしい。成東には偶然にも折り返し21時14分になる列車で帰ってきた。(完)