奥穂高岳

23時59分発ムーンライト信州号 松本電鉄新島々行き車内
上高地から暫く進んだ所 梓川(明神-徳沢間)
横尾大橋 本谷橋手前から北穂高岳を見る
本谷橋と沢山の登山者 涸沢手前付近の景色
ヨツバシオガマ ミヤマダイコンソウ
涸沢小屋 残雪と涸沢ヒュッテ、テント場方向
ベニバナイチゴ? イワツメクサ
花の後のチングルマ 穂高岳山荘
奥穂高岳山頂 涸沢岳山頂から槍ヶ岳方向
残雪の上通過中 涸沢ヒュッテ売店からの景色
やや難路のパノラマコース パノラマコースから涸沢方向

2009年9月26日土曜〜27日日曜日

上高地6:28-8:58横尾山荘9:10-12:24涸沢小屋-15:20穂高岳山荘15:40-16:28奥穂高岳山頂16:47-17:28穂高岳山荘

穂高岳山荘6:02-6:22涸沢岳6:29-6:48穂高岳山荘6:57-8:48涸沢ヒュッテ9:05-10:09屏風のコル-12:19新村橋-14:07上高地

涸沢の紅葉が進んできたと言う情報を得たので行くことにした。

前日に駅に行きムーンライト信州号の指定席を確保。指定席券売機だと空席の位置までわかる。窓側は1ヶ所だけだったが通路側は結構空きがあった。18きっぷの季節ではないし当然ではあるが。

新宿に23時40分位に着いた。既に快速ムーンライト信州号は入線していたが例の如くドアはまだであった。

松本で乗り換え。新島々行きの電車に乗る。そこから今度はバスに乗り換え。新島々の出口にある精算所で往復4400円の乗車券を購入。

上高地にはマイカー利用時より遅い時間6時半に着いた。早く登りたい場合はマイカーとタクシー(相乗りでバスと料金はほぼ同額)利用が良いようだ。

上高地からなだらかな道が続く。樹林帯の中を歩くので夏でもそれほど暑くない。今日は曇っていてそれほどの冷え込みもないが、この時期氷点下近くに下がることもあると思う。

梓川沿いの道を進む。明神館、徳沢園、横尾山荘と等間隔に売店の利用が可能な宿泊施設がある。シルバーウイークと次の週と言うことで登山者は少なめと思う。それでも土曜日なので多くの登山者がいる。

横尾大橋の前のベンチで朝食。前日に長崎屋で買った食糧を食べる。時間は9時になっていた。

1ヶ月前に横尾に来た時は橋を渡らず槍ヶ岳へと登った。今日は横尾大橋を渡る。この時期登山道の傍らには紫色したノコンギクが見られる。

左手に屏風岩を見ながら進む。ツアー登山一行が前方に見える。前方に北穂高岳が見えてくるようなる。

本谷橋には吊橋と渋滞対策用の仮設の橋があった。橋を渡った所の右岸が休憩適地である。多くの人がここで休息していた。横尾が標高1620mで本谷橋が1790mなので軽い上り程度だったがこの先は少しきつい登りがある。

標高が高くなるにつれ木々の色が変わってきた。だいぶ紅葉が進んできているようだ。季節は秋だが所々夏の花も咲いていた。ヨツバシオガマやミヤマダイコンソウなど。

涸沢ヒュッテとの分岐を涸沢小屋へと進む。やがて涸沢小屋が見えてきた。涸沢小屋の上部はかなり紅葉が進んでいた。例年だと9月の終わりからでピークは10月に入ってからが最近の傾向らしいがが今年は1週間程早いらしい。

涸沢小屋手前は僅かに残るトリカブトの他ミヤマシシウドが見られた。そして涸沢小屋に到着。ペットボトルのオレンジジュースが400円で売っていた。甘い系のドリンクは他の山小屋でも売っていたがいずれも缶だったのでここでの購入がお勧めだ。

テラスで休憩する人々を横目にそのまま歩き続ける。ここ涸沢小屋の標高は2350mなので上の山小屋まで600m以上登らなければならない。

ちなみにここからの景色は涸沢ヒュッテが眼下に見えてなかなか良い。テント場のテントと残雪が見え背後に紅葉した木々が、更に上は前穂から伸びている北尾根の山々がある。但し上部はガスっていてはっきりしない。

土曜と言うことでヒュッテや小屋に宿泊の手続きをしたと思われる人が結構いた。その人たちは荷物を持たないで歩きまわっていた。ちょうど涸沢上部の紅葉は見頃を向かえていた。

涸沢小屋とザイテングラートの間の道はそれほど危険な個所は無い。登る人、下る人がこの時間結構いた。木苺がなっている所を通過し、ザイテングラートの取り付きへとようやく進んだ。

この辺り夏の名残のイワツメクサが咲いていた。チングルマの草紅葉はかなり赤くいい色を出していた。

ザイテングラートから穂高岳山荘まで3年前は僅か50分で通過したが今回は体力低下が著しく1時間半もかかってしまった。もっとも前回はヒュッテ泊であった。今回は上高地から一気に登ったので疲労の蓄積等あったかもしれない。

宿泊の受付を済まし部屋へ行く。確か宿代は8800円だったか。交通費が往復でかなりしたので残金が少なくなった。その残り僅かなお金でポカリを買った。前述のようにコーラは缶だったので止めた。

部屋は既に何人かいた。先日ヘリコプターの事故があったジャンダルムを登って来たという人がいた。西穂からと奥穂からでは標高の低い西穂からのほうがキツイと言っていた。

その人は通常はテントで寝るとのこと。冬用のテントがあるのは知っているがその他下に敷くマットなどそれなりの装備があれば真冬でもテント内はそれほど寒くないと言う。私の持っているテントや寝袋は夏用である。10〜20℃位が良い。

東海方面から来たという中年夫婦は岳沢から登って来たとのこと。3年前岳沢経由で下山したが、全壊した岳沢ヒュッテの脇で売店のみ営業していて、ドリンク調達できて大変ありがたかった。現在は売店も含め営業していないが、来年槍ヶ岳山荘の経営母体が再建するらしい。

飯の時間が17時40分なので奥穂の山頂まで行くことにした。天気は曇っていて展望は期待できないが3年前に登った時堪能したので今回は登るだけでいい。ちなみに地図では登り50分下り30分となっている。

雨の心配も多少あるが荷物は何も持たないで出る。最初はかなりの斜面で梯子がいくつかあったりするがその後は普通の急斜面となり、やがて緩やかな登りの道となる。登るにつれ天気が回復して青空も見えてきた。

穂高岳山荘からの登りは流石に3000mを超えているということもありかなりしんどかった。ほぼ標準時間の50分で山頂に登頂。この時間山頂は誰もいないと思ったが、数名の登山者がいた。どうやらジャンダルムを経由してこの場所にたどり着いたようである。

そのグループの中の女性は手首を捻挫したようで同伴者が様子を聞いていた。西穂山荘から奥穂のルートは新穂高のロープウェイを使えるが、西穂山荘と穂高岳山荘との間の区間は長くしかも危険箇所が多数あるので初心者は注意が必要である。

雲が多く傘ヶ岳方面は見えないが北にある槍ヶ岳をはじめ常念岳など東側の山はガスも無くよく見えた。20分ほど山頂からの展望を楽しみ山荘へ戻った。

山荘には17時30分少し前に着いた。飯は2回目の17時40分予定だったが10分早まり17時半からだった。部屋に戻らす夕食の会場へ行く。会場と言っても入口から左にわずかばかり進んだ所だ。

既に大勢の人で賑やかだ。ご飯2杯食べる。味噌汁やあお茶を飲んで水分も補給。夕食後部屋へ戻る。当初幅の狭い布団に2人で寝る予定だったが1人で寝られることに。ラッキー。

夜中の12時くらいに目が覚めてしまった。トイレに行ったり、外へ出たりした。夜中なのに喫茶室で歓談している人がいた。外は星空ではなくどんよりしていた。部屋に帰り暫くは携帯ラジオを取り出し聴いていた。屋根を叩きつける音がした。雨が結構な勢いで降っているのだ。3時過ぎにまた眠りに着く。

日の出は雲の隙間から5時40分位に出た。飯は5時45分からだった。

朝飯を食べたら涸沢310mに登った。こちらに登る人は少ないと言うかほとんどいない。もっとも朝も6時を過ぎていたので早立ちの人は既に北穂高岳へと通過していったのかもしれない。涸沢岳から槍が見える。雲が多く左から右に流れていた。

山荘に戻り荷物を回収。部屋は誰もいなくなっていた。売店で飴やチョコレートなど小分け売りしていたので購入した。1個10円なのであめ3つ、チョコ2つ買う。

涸沢へ戻る前に小屋の裏手へ行く。笠ヶ岳は昨日から雲に覆われて全く見えなかったが見えてきた。白出沢へ下る道があるが私の見た範囲内では1人下っていった。

涸沢への下りは登りと違って楽だ。天気も晴れてきてすがすがしい。しかし、風向きが東寄りに変わると雲が流れてきた。どうなるかと思ったが雲はやや多いが下山するまで晴れていて良かった。

色づいた草木を見ながら涸沢小屋との分岐を涸沢ヒュッテへと進む。途中外人が登っていった。ヒュッテ前に残雪がありそこを通過。売店にほぼ標準タイムで下りてこられた。売店でドリンク買って少々休憩。

売店は大変繁盛していてラーメンやおでんを注文する人が大勢いた。ヒュッテのベンチからは素晴らしい紅葉した景色が見られた。

ここからパノラマコースへ進路を取る。岩場の狭い道になっている箇所があり少々気を使う。但しコースからの展望は良く涸沢や槍ヶ岳など見られる。屏風のコルから往復1時間の屏風の耳には行かずにそのまま下山。

屏風のコルからはそれほど展望は良くは無いが梓川が正面に見えたりする。涸沢から新村橋へ行く人が多いが逆に涸沢へと歩く人も僅かながらいた。屏風のコル直下は草原状でおそらく夏はお花畑だろう。

この先の下りは比較的歩きやすい。奥又白池への道、中畠新道分岐辺りで山のほうから騒がしい声が聞こえた。難路の奥又白池から沢山の人が下りてきたのだ。しかも中高年のグループが。

さらに下ると樹林帯に入る。道の脇にケルンがあった。そして碑があり小説「氷壁」のモデルとなった、ナイロンザイル事件の現場がこの辺りの岩壁であったとの記述があった。

新村橋手前の林道には一般車の進入が禁止なのだが車が路肩に沢山停まっていた。徳沢園のソフトクリームを食べたい所だが残金少ないので通過。14時少し過ぎ上高地着。

新島々行きのバスは出たところであった。次発のバスは14時40分。その前に整理券を受け取らねば。何とか次のバスの整理券を受け取れたが最盛期はどうなるのだろうか。

新島々で少々時間があったので歩いて3分程の所にあるコンビニに寄る。ここで現金下ろすことも可能だが手数料払うのが嫌で下ろさなかった。

松本駅近くにある郵便局を探したが結局見つからず、余計な体力を消耗してしまった。しかもアイスクリームの入手に失敗。ホームの売店は売り切れだったのだ。

あずさ30号は千葉行きなので便利だ。但し発車時間が17時18分なので既に薄暗く景色は見えない。茅野辺りから混雑し始め甲府で立つ客が大勢いた。大月でも沢山乗ってきた。八王子でそこそこ降り、新宿でかなり下車したが船橋、千葉まで予想以上の乗客だった。自由席特急料金は松本-千葉間2310円だった。