ライン川・リューデスハイム 88歳の父と86歳の母の希望でヨーロッパへ旅行することになった。直行便が出ているからヨーロッパは信じられないほど近くなったいる。朝、名古屋空港を出発すると、同じ日の午後にはフランクフルトに到着する。 空港には取引先の夫人が迎えに来てくれていた。2年ぶりの再会だ。到着ロビーで立ち話をしている間にミキコが花束を買ってきて夫人にプレゼントする。夕刻、改めてホテルで会って仕事の打ち合わせをすることにして一度夫人とは別れる。 予約していたレンタカーに4人分のスーツケースを詰めて、ライン川沿いの町リューデスハイムを目指す。アウトバーンを小1時間走ると、ライン川沿いの国道に。左にライン川を見ながら車を走らせるとじきにリューデスハイムへ到着。通称呑んべぇ横丁“つぐみ横丁”に近いホテルにチェックイン。窓を開けるとすぐ隣にはロープウェイの駅。リューデスハイムの町とライン川、対岸の町ビンゲンも一望できる。独特の黒いスレートに覆われた急傾斜の屋根が美しい。長旅に疲れた両親は部屋でひと休み。ミキコと二人、ホテルを出て周りにどんな店があるのか散策する。あちこち、といっても小さな町なのであっという間だが。今晩の食事をするレストランを決めた。バンドが生演奏をしている。こういうところのバンドはたいていミニ・ブラスバンドだ。主役はトランペット。ベースはチューバが代わりをする。ドイツ人は2拍子の音楽が好きなようで、行進曲のような音楽にあわせてダンスするのを見たときはホントに驚いた。 ドイツにはトリンク・リーダーといって、酒を飲んでいい加減酔っぱらいながら唄う歌がある。歌の意味はあまり分からないが、気に入っている歌がある。それは「もしライン川の水がワインだったら、魚になって泳ぐのに」という歌詞のものだ。ワイン好きのサブローの気持ちをうまく言い表している。も一つある。歌詞が「この酒はだれが注文したんだ?だれが勘定を払うんだ?マァいいか、呑もう呑もう」というものだ。ドイツのカーニバルやワイン祭りのときはたいていこんな調子だ。 昔カーニバルの時に夫婦でデュッセルドルフの旧市街にあるバーへふらっとはいったことがある。中は満員だ。人をかき分け奥へ行こうとすると、右からビールのジョッキが!ダンケシェーンと礼を言って一気に呑む。数歩進むとまたビールのジョッキが、ニョキッと出てくる。これもダンケシェーンだ。自分で注文する前に出来上がりそうだ。祭りの時のドイツ人は信じられないほど陽気で楽しい。普段のしかつめらしいドイツ人とは別人のようだ。そんなことを思い出しながら、夕方にしては明るい町を歩いてホテルへ戻る。疲れて食欲はないという母を残して3人でレストランへ。バンドの演奏を聴きながらドイツ名物ソーセージと丁度旬のアスパラガスに舌鼓をうつ。 シュロス・ヨハニスベルク 翌日はドイツワインでもっとも有名な醸造所から観光を始めた。まず最初に行ったところが“シュロス・ヨハニスベルク”。ドイツワインで有名な貴腐ワイン発祥の地だ。 中庭の正面に、遅れて到着した「収穫許可証」をもった使者の像が建っている。 使者の到着が遅れたために、収穫の時期を逸し、すでに干しぶどうのような状態になってしまったぶどうを収穫して造ったワインが、奇跡的にも美味しい甘口ワインになったものだ。これが世界三大デザートワインの一つ“トロッケンベーレン・アウスレーゼ”ワインの誕生秘話だ。味は最高、だが値段も高くて手に入れることも容易ではない。 昼はぶどう畑を眼下に見下ろすレストランのテラスで五月の陽光を浴びながら美味しい料理とこの城でつくられた素晴らしいワインを楽しんだ。 クロスター・エーバーバッハ 次の訪問地もやはりワインの醸造所で“エーバーバッハ修道院”。ここでつくられるワインも大変有名だ。ワイン好きなら“シュタインベルガー”という名前を言うだけで説明するまでもない美味しいワインだ。 ここには昔使っていた古い巨大なぶどうの搾汁機が10機以上も並んで、壮観だった。 印刷機を発明したグーテンベルクはぶどうの圧搾機にヒントを得て改造を加えて最初の印刷機をつくったのだ。そう思ってよく見ると本で見た昔の印刷機と形がよく似ている。 この後、ライン川を下ったのだが、観光するにはほど遠い快速船でまわりの景色をゆっくり見ることもできない。これは大失敗だった。ところが目的地の港で降りると運のいいことにちょうどそこへ上りの大型観光船が到着するところだった。汽車で帰る予定を変更して、この船でリューデスハイムへ帰ることに。ライン下りならぬ上りは船の速度もゆっくりで丁度よく、ローレライの岩や古いお城を眺めつつ、早めの夕食を船内でとって、のんびりとホテルへ戻った。 |
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