101系は旧国鉄最初の新性能電車。 そのブレーキは、 「偶然のまぐれ当り」という神様の悪戯で とてつもなく素晴らしいものになり、 その後に登場した電車で これを凌駕したものがないというほどの 性能を有していたそうです。
僕は1956年生まれで、 物心ついたとき中央快速は 101の天下でした。
父親がやや鉄分のある人だったので、 電車に乗るときは、いつも一番前。 てなわけで、 僕も鉄分は嫌が上でも多くなりました(笑)
少年時代の記憶では、 西国分寺がなかった国立〜国分寺 東小金井がなかった 境〜小金井などは、100キロ以上 出す人もいました。
特快が運転開始したころは、 その設定目的が京王特急に対抗するため ということで、ライバルと似たような 走りを見せられたこともあり、 やはりその性能を遺憾なく発揮していました。
運転士行路表差しの横にヘッドマークを模した 小さな回転式の列車種別板が全運転台に整備されたのも 子供心に新鮮に映りました。 「あれをつけないと間違ってしまうのかなぁ?」 と素朴な疑問を持ちましたが、
後年自分が実際にハンドルを持つようになったときに 実に不安な要素であることを実感しました。
101のブレーキの反応は、 スポティングと呼ばれる予備励磁を行うことで、 素早い電気ブレーキの立ちあがりを 実現していましたし、 MT46の特性が優れていたので 実にスムースかつ素早い立ちあがり、 制動力も抜群でしたでした。
80キロでホームに入ってから ハンドルを回して停まってしまうのですから 凄いとしか言いようがありません。
余談ですが、 「新05は70キロでホーム手前から掛けても 止まらないことがある」、と某chに書き込みがあり、 改めて101の凄さを実感した次第です。
1973年春、 中央快速に103が初めて配属されたのでしたが、 新車なのになんでこんなに重苦しく (MT55の音からくる精神的なものでしょうね) 乗り心地が悪いのだろうと思いました。
とくに電気ブレーキの立ちあがりは最悪で、 僕は最後まで103を好きになれませんでした。
103は電気ブレーキの立上げに 予備励磁は行わず、モーターに残る磁気、 いわゆる残留磁気にたよっていたために 空気ブレーキのほうが先に立ちあがり、 後から電気ブレーキが立ち上がっています。
このために電気ブレーキが立上がったときに 制動力が過大とならないように、 ブレーキシリンダー内の空気を排出させます、
主回路電流が100Aを超えるとこれを検知して 吐出弁が動作します、このときに 「シュパーン」と非常制動の減圧音に似た音がするので、103が到着するたびに、「マグロと勘違いしてびっくりする」と当時の駅員さん達にも すこぶる不評だったそうです。
それ以上に運転士達に不評だったことは いうまでもないでしょう、
唯一冷房付だったことだけ プラス材料かな。
また話がそれてごめんなさい。
ONDA201様が言われる 減圧音,反応が遅いと思われるのも、 自動ブレーキ帯の「重なり位置」が ハンドル抜き取り位置だったために 電車が終点に着くと、 運転士は直通帯から自動ブレーキ帯の「込め位置」に ハンドルをもっていき、制動管の減圧を行い、 制動管を3.6キロまで減圧した後 ハンドルを重なり位置にして抜き取っていたのです。
エル助様がおっしゃる201ハンドル非常抜き取りは、 ATS‐P導入後からで、登場時の201は101のときと同じように ゆっくり減圧して抜き取っていました。
ATC準備のクハ103ー269以降が1974から 「非常抜き取り」だったんで、 79年試作、81年量産の201が「重なり抜取り」だったのを奇異に感じたものでした。
話がそれた上に 長くなってしまいすみませんでした。 |