『人の尊厳』とは

 平成19年11月6日付産経新聞一面に『やばいぞ日本』の第4部『忘れてしまったもの[1]』が掲載され、其の後半部分に、背中に幼子を背負ひ、半ズボンに素足で、前方をじっと見詰める直立不動の少年の写真が載りました。背中の幼子はぐっすりと寝入ったのか頭を後ろに垂らして、今にも後ろにずり落ちさうです。

 写真だけを一瞥した時には、如何いふ状況の写真か理解できず、幼い頃、経験された方も多いと思はれる、添付の写真のやうな一コマかと早合点して仕舞ひました。

 所が、記事を良く見て吃驚。それは米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏が、終戦直後に撮ったもので、原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、亡くなった弟を背負ひ直立不動で荼毘の順番を待ってゐたのです。

 記事に依れば、『オダネル氏はその姿を1995年刊行の「トランクの中の日本」(小学館発行)でこう回想している。』として、『焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い子がくくりつけられていた。 (略) 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下し、足下の燃えさかる火の上に乗せた。 (略) 私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢でじっと前を見つづけた。私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみにうちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った』との事です。

 此の記事から、人々は何を感ずるでせうか。

 戦争直後の後遺症としての、現実の一端が現れてゐる事は確かです。然し、だから戦争が悪い、それを起したりした人々や指導した人々が悪いと、後講釈での目を剥いて見せて何になるでせう。其の時代に生きた人々は、色々な考へは持ってゐたでせうが、大方では世の趨勢を受入れ、或いは、積極的に働き掛けて、自分達の時代を生きてゐたのだと思ひます。ですから、当面した、困難な事態にも自己を保持しつつ対応出来たのでせう。件の少年の周囲の大人達については何も触れられてゐませんが、凛とした少年を確りと支へてゐたに違ひありません。そして、少年は人の尊厳とは何かを、我々に示してくれたのです。

 沖縄での集団自決について、あれこれ取沙汰される昨今ですが、のっぴきならぬ状況を受容して散華した人達の尊厳にも思ひを致すべきです。一括りで強制されたとされたのでは霊が浮ばれません。





























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