『変革』と言ふ事

 『Change』をオバマ氏は標榜し、大統領選を制しました。そして、此の符丁で大衆を酔はせ、大衆がそれに乗せられて仕舞ったとする、醒めた見方も成立つ訳で、寧ろ、是が正解かも知れません。 かてて加へて、『Yes we can.』で締括って追打をかけると言ふ、心憎ひ演出は誰が考へ出したのでせうか。

 思ひ返してみれば、同じ民主党のクリントン氏は『変革』を唱へて最初の大統領選に臨み、これを制したのですから、同党は二代続けて『Change』を標榜して成功した訳です。然し、これを思ひ起させる報道があったとは寡聞にして知りませんが、どうしてでせう。

 又、選挙戦を左右した要因の一つにマスコミのオバマ氏贔屓があったとの指摘に、是を素直に認めた者もあったやうです。 第四の権力とも言はれるマスコミの独断専行ぶりは世界中で散見され、我国も例外ではありませんが、一般の国民がこの事に気付き、その報ずる所を醒めた感覚で受止めるやうな、成熟した社会は望むべくもないのでせうか。

 所で、『Change』とは一体どいう事なのか。

 その手掛をJohn Bartlettの『Familiar Quotations 』なる引用句辞典に見つけましたが、それを以下に示します。

Good, give us grace to accept with cerenity the things that cannot be changed, courage to change things which should be changed, and the withdom to distinguish the one from the other.

[試訳] 変へてはならない事をわだかまり無く受入れるだけの寛容と、変へなくてはならない事を断固として変へる勇気と、これらを峻別する叡智を御与へ下さい、神様。

[注] Reinhold Niebuhr (1892〜1971) が教会の祈祷用に書いた原稿の中に在るもの。

 そこで、『寛容』は修養で身に付ける事は可能とは思ひますが、『わだかまり無く』となると、些か難しくなりさうです。勇気もたやすく発揮できさうにはありませんが、身を捨てる気になれば発揮出来るでせう。withdomは叡智としましたが、人間業でない天子の技、との意を込めてのもので、要は、叡智を如何にして働かせるかが最大の鍵という事になります。

 結局、変へるべきものとさうでないものを峻別できる能力が『Change』を標榜した当人にあるかどうかが問はれる事になりさうです。オバマ氏については、平成21年1月の大統領就任以降の帰趨に注目と言ふ事ですが、果たして結果はどうなりませうか。

 案外、『触込み程ではないではないか』と言ふ事に落着くのかも知れませんし、さうなったら、あの騒ぎは何だったのかと、頭を抱へる御仁も続出でせう。

                                                       以上

[追記] 平成20年12月13日付産経新聞、「土曜日に書く」欄の「オバマ氏が愛した哲学者」なる評論で湯浅博氏が、『「変革」を掲げたオバマ次期大統領は、哲学者のラインホールド・ニーバー(1829〜1971)を尊敬しているのだという』と書出してゐます。 先に引合に出した引用句はその敬愛する師のものだったのです。

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