ビルマの碑

 『ビルマの碑』が浜名湖東岸、舘山寺の大草山に在る事を御存知の方は日本全国もさる事ながら、御当地浜松でも殆どをられないのではないでせうか。

 大東亜戦争は侵略戦争だったとの一面的自虐史観が未だに横行する昨今、「ビルマ」の独立に日本が関り合った事を印す此の記念碑は、その実態の一面を示す貴重なものです。

 「ビルマ」なる国名は、其の後「ミャンマー」と成りましたが、ミャンマーから日本に赴任する新任の大使、公使達は此の碑に御参りするのが恒例に成ってゐるさうです。

 上に掲げた写真の右側が、「日緬永遠の友好」を掲げた碑で左側が「ビルマゆかりの碑」です。

 尚、「ビルマゆかりの碑」に刻まれた碑文は以下の通りです。

この碑はビルマ国民に建国の父と
仰がれるオンサン将軍が去る昭和
十五年わが国に亡命して当地出身
の鈴木敬司少将と共に祖国独立
運動の秘策を練ったこのゆかり
の地に建てられたものであります
太平洋戦争間彼の過酷なビルマ戦
場で幾多春秋に富む若い身を祖国
に捧げて散華された諸英霊は当静岡
県出身者のみで二千七百余柱に
及んでおります今日のわが国の隆
盛が一途に祖国の安泰と平和をこ
い願いつつ散華された尊い英霊の
犠牲とそのご加護の賜である事は
片時も忘れる事ができません
ここに同志相図り静岡県及び浜松
市ならびに関係市町村当局の御協
賛を得てビルマゆかりの碑を建設
しビルマ方面で戦没された諸英霊
をお慰めすると共にオンサン将軍
の史実を長くここに留めビルマと
の友好を期する次第であります
なお碑面のビルマ語は駐日ビルマ
連邦大使ウチコーコー閣下の撰に
なり「ジャパンバマーチチエーテミ
エバセー」と発音し「日緬永遠の友好
を ! 」の意味であります
昭和四十九年五月十一日
 ビルマゆかりの碑建設委員会
      会長   飯田祥二郎

 尚、この碑文にあるオンサン将軍はオンサンチーさんの父親で、将軍の目指した自由の国は現在軍政下にあって娘さんが辛酸を舐めると言ふ皮肉な結果に成ってゐます。又同じ戦争が「大東亜戦争」、「太平洋戦争」と二通りに表記されてゐますが、前者は日本国政府が昭和18年に閣議決定したもので、後者は戦後占領軍が日本国政府にその使用を強要したもので、未だに用いられてゐます。 

 大草山ロープウェイ駅脇の案内板で、「ビルマの碑」なる紹介は唯一此処だけです・

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