ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2002年8月]を短くまとめてのせています。

元に戻る


2002年 8月25(日) 『全部益』 使徒の働き15:36-41

 二回目の伝道旅行は、思いがけない幕開け、誰を連れて行くかでパウロとバルナバとの間に39節にあるように「激しい反目」が起こったのでした。
あの尊敬すべきパウロとバルナバらが決列するほどの激しい反目はなぜ起こってしまったのでしょう。三つの点から見てみましょう。
1.優れた信仰者であっても人間であり、多少のいさかいがあるのは当然でしょう。しかし彼らは、後にはその関係を修復し(Tコリント6:9)またマルコのことを評価(Uテモテ4:11)していることを考えると彼らの信仰的な成長のためにもなったと考えることができます 。
2.感情的ではなく単なる行き違いであったということができます。これは相手のことを人格的に否定したのではなく、むしろ、宣教に対する方法論的な差異であり、どちらかが間違っているという類のものではなかったということができます。
3.弱さや性格的な短所に見える事柄でも、それらを超えて、主は働いてくださるということです。結果として伝道旅行は四人二チームで行われ当初の倍の働きとなったのです。
ローマ8:28には「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」とあります。クリスチャンであることは、皆が等しく特別の行動基準に従うことを意味するわけではなく、互いの愛によって主に信頼して歩んでいるかどうかです。結果としてすべてを益としてくださる主に信頼して歩んでまいりたく願うものです。

2002年 8月 18(日) ⇒メッセンジャー 中野 千穂師

 「short message2」をご覧下さい。

2002年 8月 11(日) 『どんな重荷も』 使徒の働き15:22-35

 今日の箇所は会議の結果が通達されるところです。教会のリーダーであるヤコブの発言が会議の決定でした。会議の決議をアンテオケ教会に伝達するため使者を派遣することになりました。
通達の内容は読んでいただきましたように23‐29節に出てきます。使徒たちのキリスト教理解が、「聖霊」とも一致していること、パウロの異邦人の救いと自由の原則という福音理解に完全に同意していることを表しています。そして重荷を負わせないことが決まったというのでした。そして同時に29節の内容ではユダヤ人クリスチャンへの配慮も、バランスを持った結論でした。
現代の私たちにとっても、この判断、この感覚、聖書的な結論の出し方の一つの見本であると思うのです。
聖書は神様の正しさを持っていますし、それを持つ私たちクリスチャンもその神様の正しさを知り、用いることができます。ですから、この世のことと神様のこと、教会のことは一致しないと考える必要はありません。経済の世界でも、そして政治や、皆さんの周りの世界でも、この聖書の感覚、聖書の判断、聖書のバランスを保ちえるのではないでしょうか。
いや、むしろ聖書のバランスそこが、今の世を生きていく武器となるのです。私たちはどんな重荷も負わされていません。ですが、自由を勝手気ままとしてしまうことも聖書が言っていることではありません。そういうバランスを聖書は私たちに励ましつつ教えています。信仰生活における、バランス感覚を持ち続けるために、聖書のみ言葉に、そして神様に仕えていくということが大切なのではないでしょうか。

2002年 8月  3(日) ⇒メッセンジャー 中野 千穂師

  「short message2」をご覧下さい。