ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2002年10月]を短くまとめてのせています。

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2002年10月27(日) 『復活の主とともに』 使徒の働き18:1-11

 9節から11節のような言葉は励ましに満ちていますが、後にはパウロに危害を与える迫害者も登場してきますし、「この町には、わたしの民がほとんどいない」ということだってあ
り得ます。「恐れないで語り続けよ。」というこの言葉についてもいつも当てはまることではありません。恐れる必要はありませんが、黙っているべき状況というものもあります。これらの言葉が、いつでもどこでも当てはまる普遍的な言葉であるとは言えないでしょう。
 しかし、ここから私たちにとっても変わらない点があります。
それは、復活された主が、パウロと共にいたということです。そして、その同じことは、私たちの人生にも当てはまるということです。
 主は、パウロが悩んでいる時だけ、共におられるというのではなく、いつも、共におられたということです。それは、勝利を意味しました。
 私たち人間には、先のことは知らされていません。そのために、イエス様への信頼がなければ、不安になります。反対に、私たちは、イエス様を「十字架を堪え忍び、死んで、復活した方」として覚えるとき、力が与えられます。「神様と共に歩む」とは、そのように歩むことではないでしょうか。「世に勝った」と言われる主が現実に力を与えているのです。
 私たちは、小さなことで、一瞬のうちにくずおれてしまう、そんな弱い存在に過ぎません。そんな私たちにとって、今も自分を導く復活の主をいただいていることは、なんという慰めでしょうか。そんな思いを待ちながら、復活の主と共に残りの生涯を歩めるならば幸
いです。

2002年10月20(日) 『知られない神』 使徒の働き17:16-34

 パウロによるこのアレオパゴスの説教は、この場に即した説教をしました。アテネの神殿、そして多くの神々の彫像を背景に、このパウロの言葉を聞いていた哲学者たちは、どう感じたでしょうか。パウロの言葉はギリシャの人々、特に、哲学者たちには「愚かなこと」でした。
 前の章で、看守は、「ああ、私が救われるためには、どうしたらよいでしょう。」と言ったのに対し、「主イエス・キリストを信じなさい。」という会話が交わされました。不道徳な、しかし、素朴な心をもつ、あのサマリヤの女に、主イエスは、自分こそ救い主、と教えなされました。罪を指摘され、「私はどうすればよいのでしょう」という者には、「悔い改めなさい」と言われました。
 しかし、ギリシャの人々には、神の言葉をそのまま受け入れる幼き心がありませんでした。聖書の教える神信仰とは、理屈の世界ではなく幼子のような心となって神の言葉を素直に受け入れることです。すべてのことがキリストの栄光を見た瞬間、無意味にさえ感じられ、すべてを捨てることの出来る、そんな世界でもあるのです。
 信仰とは、分からないけれども、主イエスを信頼するということです。まだ、見ていないけれども、確信するということです。
 そんな知の世界と、信仰の世界との違いを、私たち混同することなく、知の世界を知らなくても、信仰の世界だけは知っている、幼子のように、イエス様が私を愛していてくださ
って、そこに信頼することはわかっている、体験しているという者になりたいと思うのです。

2002年10月13(日) 『ねたみ』 使徒の働き17:1-15

 パウロの口から語られた神のことば、人々をまっぷたつに分けることになったのでした。その他のユダヤ人がやったことは、およそ、ユダヤ人の誇りをかなぐりすてたような恥ずかしい事でした。5節を見ますと福音を受け入れないユダヤ人たちが「ねたみにかられた」ということが分かります。
 およそ、人は、どんな理屈を言ったところでどんな動機か、と知るとき、「ねたみ」という動機がかなりの場合浮かび上がってくるのではないでしょうか。もちろん、本人は、妬んでいるとは思いません。しかし、ねたみによって、どれほど、良いものが破壊されるか、それを私たちは経験から知っています。
 私たちは、信仰者として、人間を見るとき、そんな人間の弱さをよくわきまえていなくてはならないでしょう。また、信仰者自身も、ねたむ自分に気づき、事実を認めていくという中に、神様に近づく道があります。よりすぐれたものが何であるか、自分の限界はどこまでか、はっきり知らされる中で、いろいろなことを考えらされていくのです。そして、謙虚されていくのです。
 そして、ベレヤの人々のように、神様のみ言葉への徹底的な従順を示すことのできる人であるならば幸いです。そこには、砕かれた自分がいます。「ねたみ」から解放された姿があります。
 事実を謙虚に受け入れ、神の真実を喜ぶ、そんな人、そしてそんな人たちの集まる教会となりたく思うのです。

2002年10月 6(日) ⇒御園バプテスト教会 丸山 悟司牧師メッセージ