ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2002年11月]を短くまとめてのせています。

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2002年11月24(日) 『聖書によって』 使徒の働き18:23-28

 このアポロという人物についてご一緒に考えながら、聖書のみことばをご一緒に分かち合いたいと思います。
 エペソにあわれたアポロは、信仰上における問題点を持っていました。それは、「ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。」ということです。しかし、プリスキラとアクラ夫妻によって彼は、本当の福音を知り、受け入れたのです。
 このプリスキラとアクラによるアポロの導きには目を向けるべきところがあります。プリスキラとアクラ夫妻のアポロに対する態度は、会衆の面前で非難することをせず、陰口をたたくようなことをせず、無視してしまうこともしなかったのです。愛の配慮によって、教えるプリスキラとアクラ夫妻とそれに聞き従うアポロの間に素晴らしい福音による交わりが生まれていたのです。
 そして、題のところですが、「彼は聖書によって」とあるように、アポロは聖書によって、歩んでいたことがわかります。
 アポロの力強い伝道や、しっかりとした信仰の背景には、育てたプリスキラとアクラ夫妻の熱心な祈りと愛の配慮、そして彼は聖書によって歩んでいたことがわかるのです。もちろん、プリスキラとアクラ夫妻も、ただ、パウロからのことばの教えだけではなく、聖書に親しんで聖書を中心にして、聖書によって歩んでいたことでしょう。
 私たちも聖書に親しみ、聖書を中心とし、聖書によって歩む。そのように歩み続けたいと願います。教会も、いつも聖書によって歩み成長させたられるならば幸いです。

2002年11月17(日) ⇒子供祝福礼拝のため、特別メッセージ。
2002年11月10(日) 『みこころなら』 使徒の働き18:18-22

 注目したい点は、20節にありますように「もっと長くとどまるように頼んだ」とありますので、どちらかというと歓迎されていたにもかかわらず、パウロは人々の要請を振り切るようにしてエペソを後にしました。
 このエペソは、この第二次伝道旅行の初めの目的地でしたが、聖霊に禁じられていくことができなかった、その場所です。今やっとそのエペソに到着し、せっかく歓迎され、これからが伝道のよい機会だというのに、なぜパウロはアクラとプリスキラを残し、振り切るようにしてエペソを去ったのでしょうか。
 パウロは去るときにこういっています。21節「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」
 彼はどんなときでも、「神のみこころ」を第一として主に仕えていました。伝道の条件が整って、こんなにも自分を歓迎してくれる町ならここにとどまって伝道しようと思ったかもしれません。しかし、彼は、自分の計画ではなく神様の御心に従ったのでした。
 パウロは自分の希望や人々の親切な勧めによって動かされたのではなく、いつのときでも、どのような場合でも、ただ、「神様のみこころ」を第一としていました。
 私たちも聖書を深く学び、祈り、「神様のみこころ」を正しく知り、判断し、それに従って歩むものとなりたいと願います。そのようにして得られる導きこそ、主の導きであると言えるからです。自分の思いや、自分の願い、また自分の判断が絶対ではなく、主によりすがって、主の導きを知るものとなりたく願います。
 箴言19:21「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」

2002年11月 3(日) 『みことばの拡大』 使徒の働き18:12-17

 主の語られた幻に励まされて、アクラ、プリスキラ、シラス、テモテたちと力をあわせて、1年6ヶ月の間、コリント伝道に励みました。その中で三位一体なる神様が働かれるのでした。
 ガリオという人物がアカヤの地方の総督であったときに起こりました。ガリオはユダヤ人の訴えを却下しました。ガリオは訴えの真相を見抜いて、公正な判決を下したのです。宗教内部の論争には中立的な距離を保つという、この姿勢がローマ帝国内のキリスト教伝道に一役買ったのです。福音は急速に広まっていきました。
 ここから学び取る大事な点があります。それは、神様の守りのもとに、すべてが、益とされていくということです。ガリオは当時の権力者であり、知的階級の人でした。また異邦人であり、ローマ帝国という後には、キリスト教の巨大な敵となっていくその相手でした。しかし、不思議なことに、神様は、このガリオのような異邦人権力者を通して福音を拡大していくのです。私たちの間でも、クリスチャンでないものが、伝道の大きな要因になることがあります。いいえ、伝道だけではありません。クリスチャンだけがクリスチャンを助けられるわけではなく、神様は、皆さんの周りにたくさんの助けや守りを、神様が用意してくださっているのです。
 日本のクリスチャン人口を知ると心細くわずかな力しか持っていないと思うかもしれません。しかし私たちにはまことの全知全能なる神様がいるのです。その神様は、クリスチャンでない人をも用いて私たちを守り、助け、導き、神様の働きに導いておられるのです。
 心をしっかりと保って、主に信頼して、歩んでいけるならば幸いです。