ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2003年8月]を短くまとめてのせています。

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2003年 8月24(日) 『知らなかった方を知る』 ヨハネ1:19-34

 今回からヨハネの福音書を御一緒に読んでまいりたいと思います。
1:神様に用いられるということ。
  バプテスマのヨハネは、彼には何ら、そういう外面的なことで誇れることはありませんでした。ヨハネの人生の中には奇跡らしきものは何一つ記録されていません。彼は、ただ単純に、純粋に、神様への悔い改めを説き、洗礼を授けていたのです。それは、彼の中に燃えていた神様からの使命への単純な、しかし熱烈な献身意識によって成り立っていたのです。人は、それを外側の何かによって評価することができません。
私たちの内側に語られている神様からの示しに正直に応えているかどうかが問題です。ヨハネはそういう神様からの使命に従順で忠実でした。
2:イエス様を知るということ。
  ヨハネは、単純に告白しています。31,33節に出てくる「知らない」という言葉です。「私はイエス様のことを知らない、この方がキリストだということを知らない」と言っているのです。
聖書を知識として学んでも、「キリストを知る」ことはできません。「キリストについて知る」ことは可能です。キリストの語ったこと歴史的背景などを知ることは可能です。しかし人間的な努力では、本当の意味でキリストを知ることはできないのです。
続いてヨハネは聖霊が私に教えてくれたからこそ、私はこのお方が救い主イエス・キリストだとわかったのだ、と告白しています。
私たちは知らなかった方を知るようにさせてくださった、神様からはなれず、さらに深く
知り続け、神様を深く体験し、神様の愛と恵みをたくさん感じて感謝し、その信仰を土台に生きていくことが重要なのです。

2003年 8月10(日) 『語り続ける』 使徒28:16-31

 そしてパウロは丸2年間ローマの囚人として生かされていましたが、23節「大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」とあるような生活を送っていたようです。
 ここにはクリスチャンとして見習うべきことがあるように思います。
 第一は、パウロは囚人という不利な立場にありながらも大勢の人々が彼の元にやってくるまでに、自分がクリスチャンであることを公表しそして人々から好意を持たれていたということです。
 第二は、パウロは朝から晩まで神の国のことを語り、証し続けたことです。つぶやいたり、相手を批判したり、あきらめたりしていません。
 第三は、モーセの律法と預言者たちの書、とありますように、旧約聖書を引用してイエス様について語ったということです。
 第四は、ただ、話しさえすればとは思わず、人々を説得しようとして真剣に語ったということです。
 私たちは自由の身であり、どこへでも出かけられます。また、誰と会っても何を語っても問題ありません。しかし、私たちの毎日は、パウロのように真剣に、求めて、信仰生活を送ることができているでしょうか。満ち足りた信仰生活を送ることができているでしょうか。 
 私たちの信仰生活は、この使徒の働きの延長線上にあります。神様は私たちを通して、福音の宣教、神様の言葉を述べ伝えるようにと、今なお働かれているのです。この言葉を受けて、私たちは、信じ続け、伝え続け、語り続けるものとされて共に歩んでまいりたいと思います。

2003年 8月10(日) 『御業の推進』 使徒28:1-15

 パウロを通して二つの大事なことを学ぶことができます。一つは、いつでも、どこでも、誰のためにでも、その気になれば奉仕できることです。パウロは2週間の漂流の中で276人の乗船者のみんなに尊敬されました。しかし、それでもなお神様の栄光のために人々に仕えたのです。
 もう一つ学べることは、彼はいつも、すぐにみなの仲間入りをして、みんなと共に働いたということです。パウロはギリシヤ人やローマ人、そしてユダヤ人が軽蔑していた島の土民たちと行動を共にしたのです。パウロは宗教的な選民のユダヤ人であり、同時にローマの市民権を持つ名門の出身でした。
 パウロたち一行は、ポテオリからは陸路でローマに向いました。そして、パウロたちがローマまで歩いた道は、紀元前312年に造られたものですが、現在なお使用されており、ローマ・オリンピック大会の時には、マラソン・コースとして世界の人々から注目されました。そのパウロは、数年後の紀元67年か68年ごろに、ローマの獄中で死んだといわれています。
 こうして、幾多の困難と試練に遭いながらも、天地の創造主にして永遠の支配者なる神様が、パウロを助け導き、目的地のローマまで送り届けてくださいました。当時の世界の都であるローマでイエスさまのことを人々に語ることがパウロの最後の念願だったのです。
 また、そうしたからこそ、キリスト教が急速に全世界に広まっていったのです。私たちも、神様の助けと導きに信頼し期待と希望を持って歩んでまいりたいと思います。
 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6)