ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2005年10月]を短くまとめてのせています。

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2005年10月16(日) 『イエス様と似た者に...』 ローマ12章9節-21節

 この箇所から幾つかのことを考えたいと思います。
 一つ目は謙遜の基準ということです(10、16節)。「互いに人を自分よりまさっていると思う」というのは難しいことです。これを可能にするには何が必要でしょうか。謙遜の源
はイエス様のなされた大きな愛のわざを知ることの中にあります。そのことを知るとき、
私たちは謙遜が身に付いてくるのです。イエス様に信頼していくとき、私たちは練られていくのです。
 二つ目は悪に打ち勝つためにはどうしたらいいか、ということです(9、14、17、19節)。
イエス様は罪も何の偽りも見いだされませんでしたがイエス様は十字架につけられたのです。しかし、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と彼らを赦し、弁護されたのです。イエス様は、まさに悪に対して溢れる愛をもって打ち勝たれたのです。
 三つ目は分かち合うことからくる祝福、ということです(15、13節)。イエス様のもとに
はいろいろな罪人や小さな子どもたちも自然に集いました。それはイエス様が「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣」く方だったからです。
 四つ目は、望み、忍耐、祈りに生きる、ということです。愛に生きることは、必ず望み、希望を生み出します。私たちはキリストにあっていつも希望を持つことができます。なぜなら、イエス様は永遠の存在だからです。
 五つ目は、これらすべての中に誠実さを身に付けよう、ということです(9、11)。必要なことは、神様の前にいつも誠実であることです。誠実さを養うということが、私たちにとって大変必要です。
 このイエス様の愛の中に生かされていくこと、イエス様に似たものとされていくことが私の人生という思いを持って、歩んでまいりましょう。

2005年10月 9(日) 『与えられた恵みに従って』 ローマ12章3節-8節

 パウロが書いていますように、当時の教会においては、自分を過大評価している人たちがいたようです。
 パウロはそのような人たちに向かって、三節の後半に「神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」と書いてあります。私たちが自分を評価するとき、何によって評価をするかというと、神様が与えて下さった信仰によってするというのです。大切なのは、「神様が与えて下さった信仰によって」ということです。神様が私たちに与えて下さった信仰とは、功績、努力というようなものではありません。
 また、パウロは、与えられた信仰によって慎み深く考えていくとき、私たち一人ひとりはキリストの体の器官であるといいます。私たちは主の体の器官であって、一人ひとり違うのです。主のために一人ひとりが、その人らしく生きていくことが大切なのです。ですから、人と比べて自分を評価しないようにしなくてはなりません。私たちはキリストの体の一部であることを誇り、自信を持って歩んでまいりたいと思います。
 また、パウロは、「神様は恵みに従って、人々に異なった賜物を分け与えて下さっている」と言いました。だから、その賜物を用いて歩んでいきなさい、というのです。神様は一人一人にその人にしかない賜物を与えてくださっています。
 私たちは弱い存在です。しかし、駄目な者ではありません。なぜなら、与えられた信仰によって自分を見ることが許されているからです。一人一人は神様に愛されている存在です。キリストの体の一部とされている存在です。だれとも比較することができない存在です。
 だからこそ、あなたの人生が神様に用いられていくことを願いつつ、今週も過ごして参りましょう。

2005年10月 2(日) 『心の一新』 ローマ12章1節-2節

 もし、この手紙が11章までで終わってしまったら、私たちは具体的な生活において、どう歩んでいったらいいのか、という問題が残ります。そこでパウロは、この12章からクリスチャンの歩みの実践編というわけです。実際的な問題、私たちの毎日の生活のあり方を教えているのです。
 特にこの1、2節には、クリスチャンの実際生活における基本姿勢が書かれています。最初は、「あなたがたのからだを、ささげなさい」というパウロの言葉です。「ささげる」ということは、私たちが、神様の御手の中で育まれていく、ということを、いつも確認しながら歩んでいくことです。また、パウロは、「からだ」を、ささげるように言いました。
 私たちの毎日の生活そのものをささげていくということです。
 パウロは続けて、「ささげることが、霊的な礼拝」であると言いました。礼拝とは、単に
日曜日、 教会に集まって礼拝することだけが礼拝ではありません。毎日が礼拝の延長です。家庭生活において、会社で働いているその場において、礼拝をささげるのです。これは仕える生き方です。そして本当にゆだねる生き方なのです。
 さらに、パウロは、「心の一新によって自分を変えなさい」と言いました。そして、その
前に、「この世と調子を合わせてはいけません」と書いています。この世と調子を合わせるのではなく、神様にゆだね、神様に自分をささげ、礼拝者として歩むようにと教えておられます。神様がすばらしいことをして下さったことの故に、「私の人生を世と調子を合わせるのではなく、変えていこう」ということです。
 私たちは恵みに生かされていることを本当に味わいながら、それによって私たちの人生が変えられていくのです。変わることのないイエス・キリストの恵みを中心に、私たちの人生が変えられていくことを求めてまいりましょう。