『天の故郷に』
ヘブル人への手紙 11章13節-16節
2008年10月19日(日)
先にこの地上での生涯を終え、天の父なる神様の御許に召された方々を覚えたいと思います。
今日、ここにある2枚の召天者の写真は、だんだん増えていくことでしょう。そし
ていつか、もちろん私もこの写真の一人に加えられるでしょうし、写真の数は、
毎週礼拝に来られている人達の人数より多くなっていきます。そんなことを考えながら、天の故郷を思いますと、ぎやかなのではないかと思います。私たちは、いつも目に見えることばかりに目をうばわれて、見えないものに目を注ぐということを忘れてしまうのではないでしょうか。しかし、この先に天に召された方を
思うと目に見えない交わりを知らされるのです。
13節に「地上では旅人であり寄留者であることを告白していた」とあります。神
の民のこの地上での歩みは、天にある完全な救い、救いの完成を求めての旅であると聖書は言います。全ての神の民の生涯は、この天の故郷を目指しての旅です
。神の民は、天の故郷を目指す旅人の群なのです。
16節に「神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした」とあります。
私たちには欠けがあり、弱さを持っています。しかし、神様はそのような私たちの神と呼ばれることを恥とはなさいません。私たちのつたない歩みの全てを、守
り、導き、支えて下さる、私たちと共にいて下さるのです。この神様が共にいて下さるということが、私たちの天の故郷への旅において、最も重要なことなのです。この主が共にいて下さるから私たちに平安があるのです。
今朝、私たちが覚えて礼拝を守っている、先に天に召された方は、皆、今私たちが歩んでいる旅を最後まで歩み通し、輝きに満ちた天の故郷の都へと迎えられた
人々です。私たちも、それぞれ与えられた場において、天の故郷への旅を続けて参りたいと思います。 |