ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2009年5月]を短くまとめてのせています。

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『心を一つにして』
使徒の働き 2章40−47節
2009年 5月31日(日)

 ペンテコステの礼拝です。世界中のキリスト教会にとって、クリスマス、イースターと共に、大切な日です。ペンテコステの出来事は使徒2:1から始まります。 聖書の箇所は2章の最後のところで、タイトルを「心を一つにして」としました。 誕生したばかりの教会の姿から私たちの教会のあるべき姿、「心を一つにして」 どのように歩んでいたかを学びたいと思います。
 42節を読むと、使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていたと書かれてあります。「使徒たちの教え」とはみことばであるといえるでしょう。みことばは、信仰の人生を導くガイドブックであり、心の糧です。聖書を読み続けることは大きな祝福であるといえるでしょう。次の「交わりとパン裂 き」ですが霊的な交わりである聖餐式を意味しています。最後に「祈り」です。 神様とのコミュニケーションである祈りがなければ、根無し草の様に直ぐに枯れてしまいます。初代教会では、神のことばである聖書を学び、聖餐の交わりをし、祈りささげるという信仰の実践を心を一つにしていたのでした。
 また44節には「いっさいの物を共有にしていた」とあります。これは助け合い、 愛し合うということが実践されていたということでしょう。それぞれに与えられている能力や賜物を用い、互いに支え合いつつ愛と思いやりに満ちた教会として神様に仕えていくことが大切なのです。46節には「家でパンを裂き」と記されています。初代のクリスチャンたちは、家でも礼拝と交わりをしていました。
 私達は全生涯、全生活を神様のみ前で過ごしています。教会にいるときだけでなくいつもお互いを思い、神様を中心に、心を一つにして互いに励ましあい、互いに教え、学びながら歩ませていただきましょう。

『新しい人を身に着る』
エペソ人への手紙 4章17−24節
2009年 5月24日(日)

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Uコリント5:17)
 聖書はイエス様にあって歩むとき、新たないのち、新たな人生を約束しています 。パウロはこの箇所で、誤った歩みを放棄して神様とともに「新しい人」として歩むように勧めています。
 22節に「古い人を脱ぎ捨てる」とあります。古い人とは神様を必要としない、イエス様の救いを無視する罪深い生活を意味しています。信じてクリスチャンになったといっても、今の歩みに神様がいなければ同じことです。その古い罪の性質から決別し、古い人を脱ぎ去ることが出発点なのです。24節には「新しい人を身に着る」と記されています。新しい人は、新しい使命、新しい希望、新しい願いをもって生きるのです。
 クリスチャンとは、キリストによって新しくされた者です。と同時に、主の恵みによって、新しくされ続ける生涯なのです。肉体が新陳代謝するように、霊的にも、新陳代謝のように決して留まることなく新しくされ続ける生涯でなければならないことを覚えましょう。
 私たちは、神様なし望みなしのむなしい生活を送っていました。いやもしかしたら今、そのように歩んでいる方がいるかもしれません。またイエス様を信じて歩みだしたのだけれど、そのままストップしてしまっている方、また逆戻りしてい るように感じる方もいらっしゃるかもしれません。
 イエス様によって新しくされた者、「新しい人を身に着る」者として、また日々 変えられ続けるもの、日々新しくされ続ける者として、それにふさわしく、ご一緒に日々新しくされながら歩んでまいりましょう。

『キリストのからだを建て上げる』
エペソ人への手紙 4章7−16節
2009年 5月17日(日)

 しばらくエペソ人への手紙から「一致」と言うことを考えていますが、その多様性、目的、またパウロの勧めについて書かれている箇所です。
 教会を構成するクリスチャンは、各々が独自性をもち、それぞれに恵みの賜物が与えられているのです。11節に使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という5つの職が記されています。神様は、これら5つの職務を見てもそうですが、これに限らず 、クリスチャン一人一人に異なる使命を与えておられるのです。
 12-13節には、神様が賜物を与えてくださり、一致するようにと導いておられる理由と目的が書かれています。それは、教会とクリスチャンの建て上げるためです 。クリスチャン一人一人の信仰がしっかりと確立され、互いの間でも愛と信頼の関係が築き上げられていく必要があります。破壊することは簡単ですが、築き上 げることは簡単ではありません。いろいろな違いがあっても、信仰において一致することが大切なのです。
 そのためにパウロは、14-16節でこう勧めています、教えの風にもてあそばれることがなく(14節)、愛を持って真理を語り(15節)、組み合わされて、愛のうちに建てられ(16節)ようにと。キリストの体の一部分である私達互いが、結び合わされ、組み合わされ、体全体として機能することが求められます。クリスチャン同士が、愛と忍耐を持って、励まし合い、建て上げあっていくことが大切なのです。 そして「かしらなるキリスト」に繋がり、頭なるキリストに従う時に、体に調和 と健康が保たれるのです。
 多様性ある私達が、キリストのからだを建て上げるために恵みによって強くされ 、愛し合い、一致し、イエス様にしっかりとつながって成長させていただきまし ょう。

『熱心に一致を』
エペソ人への手紙 4章1−6節
2009年 5月10日(日)

 4章に入り、書かれている様子が一変します。1-3章は教理的部分でしたが、ここから実際的部分(クリスチャンの実生活)に入っていきます。
 その実践的な箇所での最初のテーマは、「教会の一致」です。パウロは、2節と3節でエペソ教会の人々に、一致の必要を訴えています。そして一致を保つために五つの態度をもつようにとパウロは勧めています。
 謙遜さとは、自分自身をよくわきまえて、人を自分より優れた者と認めることです。私達もただ神様の恵みのゆえに救われた「罪人」であることを忘れないことが大切です。
 柔和さは、主の御旨にニコニコしながら従える心の状態です。不当な扱いや誤解から、憤りや怒りが生まれてきます。そんなときパウロの「柔和の限りを尽くして」と言うことばを思い出したいですね。
 寛容さとは、私達が赦されたように、人を赦すことです。人を裁こうする思いはいつも湧き上がってきます。人を責めるのは簡単ですが、自分の限界を自覚し、イエス様の犠牲と神様の赦しを覚え、寛容さを身に着けたいものです。
 愛をもって忍耐するとは、愛を実践することです。私たちは愛するという言葉をよく使いますが、忍耐する、耐え忍ぶ、という意味でもある事を忘れてはいけません。神の家族として、益々互いに愛をもって忍耐をもって歩んでまいりたいと思います。
 平和の絆は、まずイエス様によって私たちは神様との平和が確立されたことが基本です。ねたみ、争い、怒り、自己中心ではなく神様との平和、周りとの和解を与えてくださったのです。
 私たちは「できたら一致する」ではなく、熱心に一致を求め保ちつつ、家庭にお いて、教会の中で、歩んでまいりましょう。

『キリストの愛を知る』
エペソ人への手紙 3章14−21節
2009年 5月 3日(日)

 パウロは、エペソ教会のクリスチャン達に手紙を書きながら、つい祈りがこみ上 げてきたようです。そしてエペソの教会のために三つのことを祈っています。
 1つ目は内なる人が強くされるように(16)という祈りです。肉体は、年齢と共に衰えるでしょうか「内なる人」は主にあって、さらに力強く、さらに洗練されていきます。しかし私たちを取り囲む環境は自然と「内なる人」が強くされていくものでもありません。みことばに教えられながら、聖霊によってさらに実を結び続け、主のみこころを祈り、神様に信頼して歩んでいく時に、内なる人が強くされるのではないでしょうか。
 2つ目の祈りは、キリストが住んでくださるように(17前半)という祈りです。皆さんの近所に、あるいは知人に自慢のできる有名人などがいらっしゃるでしょう か。キリストが住んでくださるとは近所に、あるいは知り合いにすごく自慢でき る方がいる、というレベルの話ではなく、私のうちに住んでいてくださるということです。愛に満ちた主として私たちを良いものとしてくださるように近くでいつも働きかけ、しかも定住、永住してくださるという意味です。
 3つ目は、今日のタイトルのところですが、キリストの愛を知り、満たされるように(17後半-19)という祈りです。キリストの愛は、「人知をはるかに越えた」私 たちの頭では理解できないほどの大きな愛です。しかしパウロは、その計り知れない「キリストの愛を知ることができますように」と言うのです。信仰の中心は、いのちを投げ出してくださった程のキリストの愛です。
 パウロの祈りは、私たちに対する神様のみこころです。どうぞ私達もそのみこころを目指し、また真剣に熱心に祈ってまいりましょう。