ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2009年6月]を短くまとめてのせています。

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『光の子どもらしく』
エペソ人への手紙 5章8−14節
2009年 6月28日(日)

 5章には「歩みなさい」ということばが3回出てきますが、この箇所はその2つめ「 光の子どもらしく歩みなさい」というところです。
 8節をみますと「以前」と「今」の対比があります。私たちは、罪と罪過に死んでいた者で、神も望みもなく人生を歩んでおりましたが、今は恵みの中を歩むものと変えられている(2章)のです。さて、そんな私たちが「光となった」と書かれています。これは私たちが光となるために、まず真の光であるイエス様がこの世界に来られたということです。そして闇の中にいた私たちの心の闇、つまり罪に光 を当て心の隅々まで照らして、罪を示してくださいました。
 そして私たちを光で照らし出すだけでなく、闇の中に歩んでいたものを作り変えて、私たちを光としてくださったのです。クリスチャンは、神様の恵みによって、周りの方々に希望と道を示すことのできる者と変えられているということを覚 えたいと思います。パウロはそんな私たちに「光の子どもらしく歩みなさい」と言います。光とされたクリスチャン、神様の子とされた信仰者は、どのような生活を期待されているのでしょうか。
 それは実を結ぶことです。ここでは、結ぶ実として三つ上げられています、善意 と正義と真実です。光の子どもらしく歩むとは、善意と正義と真実という実を結び、具体的に親切で正しく、真実さをもって歩むことが期待されているのではないでしょうか。そしてそれは10節にあるように、神様に喜ばれるような歩みをするということでしょう。
 「光の子どもらしく歩みなさい」とおっしゃる神様は、助けと導きとを与えてく ださる方です。イエス様によって光の子とされた私たちクリスチャンは、光の子 どもらしく歩んでまいりましょう。

『愛のうちに』
エペソ人への手紙 5章1−7節
2009年 6月21日(日)

 1節に「愛されている子どもらしく」とありますが、神様は父なる神で、私たちは神の子どもであり、神様に愛されているのです。そして「神にならう者となりなさい」という勧めがあります。愛の神様がまず私たち赦し、受け入れ、愛してく ださった事実を覚え、神様に愛されている子供として一つでも多く神様の性質を 受け継ぎ、倣う者になるようにと言われています。そのためにエペソのクリスチ ャンたちに具体的に示されるのが3節以降です。
 3節に不品行、汚れも、むさぼり、と出てくる言葉は性的な事と深い関係があります。悪魔は、とても賢く、信仰から躓(つまず)かせようと攻撃してくるのです。「不品行 」に陥らないように、警戒しながら歩みましょう。
 4節のことばの問題に関する教えは、4章やヤコブ書でも学びました。下品な冗談 を避けるように教えられていますが、4節の最後のところには「むしろ、感謝しなさい」と記されています。感謝の言葉が人を傷つけたり、良くない言葉を口から出したりすることから私たちを守ってくれる可能性が高いということでしょう。
 5節では偶像礼拝を罪について書かれています。偶像とは仏像のようなものだけとは限らず、神様より大切、神様より信頼するものの事です。お金が偶像になった り、名誉、名声が、あるいは快楽が偶像になっている人もいるでしょう。だれかこの人という人を偶像にしてしまうこともあるでしょう。神様に信頼して歩んでいるか点検が必要でしょう。
 「神にならうもの」(1節)「聖徒にふさわしく」(3節)「感謝して」(4節)「御国を 相続するものとして」(5節)、私達は「愛のうちに」に歩んでまいりたいと思います。私たちはまず、神の愛に感謝しながら、そして愛を持って、愛を実践して歩ませていただきましょう。

『互いに赦し合いなさい』
エペソ人への手紙 4章29−32節
2009年 6月14日(日)

 25節から32節にかけて、「新しくされた人」の歩みについて、6つのことを勧めていますが、この29節からは後半3つが書かれています。
 29節は徳を養うことばについて書かれています。先日までご一緒に読んでまいりましたヤコブ書でも、舌の影響力、ことばの問題について述べられていましたが 、大切なことは、私たちが愛と恵みに溢れ、人を励まし、慰めることのできることばを語るということしょう。私たちは確かに愛の乏しいものですが、愛に満ち溢れさせて下さいと主に祈り続ける者でありたい、恵みのことばを語る者でありたいと願います。
 30、31節には聖霊を悲しませてはいけないと書かれています。聖霊なる神様は、 悲しまれることも、喜ばれることもある人格的な存在です。愛や信仰をお喜びになられ、偽りや罪、不正を悲しまれます。ですから31節にあるすべての悪いことをみな捨て去り、不要物を捨て去るように勧告しているのです。
 さて最後32節には、互いに赦し合うことが教えられています。この32節が、今週のみことばでありタイトルの箇所です。ここに親切、優しさ、赦しという3つの勧告が記されていますが、それら3つを守ることは大切です。しかし、その原点がキリストにおいて、私たちが赦されているということが最も大切なことです。
 私たちもイエス様と出会い、赦され、受け入れられ、愛されている事実を再度確認いたしましょう。その上で人の徳を養う恵みのことばを語る者として歩んでまいりましょう。そして聖霊を悲しませていないか、いつも、点検しながら歩みつつ、むしろ聖霊に喜ばれるようにともに歩んでまいりましょう。さらにパウロが 教えるようにイエス様の大きな大きな赦しを覚え「互いに赦し合う」歩みを実践してまいりましょう。

『悪魔に機会を与えない』
エペソ人への手紙 4章25−28節
2009年 6月 7日(日)

 パウロが言う「新しい人(24節)」について6つのことを述べています。その前半25-28節から3つの点について考えたいと思います。
 一つ目は、「偽りを捨てて、真実を語る」ということです。私達は人をことばで傷つけ、悲しませることができます。真実でない噂話などは、決して人間関係をよくするものではありません。また偽りは自分の体を傷つけることは愚かなことに似ているといいます。神の家族として偽りを捨てて、真実を語り、愛し合うことを期待されています。
 二つ目は「怒りに注意をする」ということです。イエス様も神殿で、両替をして商売をしている人々に激しく怒りました。ですから怒ってはならないということではありません。しかし怒りから関係を壊すことはしばしばです。ましてやパウロは怒ったままでいることは危険であり悪魔に機会を与えていることになると警告します。聖霊の導きに従っていつも平安な心で生活させていただきましょう。 三つ目は、正しい勤労と施しです。盗みは、十戒でも戒められ、神様に喜ばれないのはもちろんのこと、人を傷つけることでもあります。パウロはその盗みをやめる、のみならず困っている人を助けるためにも働くようにも勧めています。私 達は盗まないというだけでなく忠実に働き、神様に仕え、神さまの栄光のためになすことが大事なのです。
 悪魔は、偽りや怒り、盗みや怠惰などで私たちを誘惑し、攻撃を仕掛けます。「 悪魔に機会を与えない」ように、偽りを捨て、真実なことばを語り、感情をイエス様の十字架の赦しと恵みによってコントロ−ルし、聖霊の実を結び続け、与えられた働きを丁寧に行い、そして主に忠実に、みことばに誠実な歩みを続け、神 様の栄光のために私たちに与えられた日々をご一緒に歩んでまいりましょう。