ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2009年9月]を短くまとめてのせています。

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『祝福の子』
創世記 11章27−12章5節
2009年 9月27日(日)

今週は、

矢ノ倉 新神学生による礼拝メッセージでした。

 

『世の光として輝く』
ピリピ人への手紙 2章12−18節
2009年 9月20日(日)

 パウロは誕生して間もないピリピ教会の様々な問題に対して手紙を書き送ってい ます。その問題の一つが2章3、4節に書かれている「自己中心」「虚栄心」「たか ぶり」「他人を顧みない」といった行動をする者たちの存在でした。パウロはヘ リくだってイエス様の十字架の死に至るまで従順に従われたことを思い出すよう に(2:6-11)勧め、12節の言葉につながってきます。
 パウロがいない今、ピリピ教会の人たちは様々な問題を抱え、不安を覚える中であっても、むしろそういうときこそ、人や組織に頼るのではなく、神様という方に頼ることを教えようとしています。
 私達も同様、神様を信じていると言いながら、実態はそうではない、という時に問題があるのではないでしょうか。14節に「つぶやかず」にと教えていますが、 信じていないと、不平不満に満たされ、つぶやいてしまいます。しかしつぶやかずに、信じぬくことを教えられます。そして、つぶやきから開放されることによ って「世の光として輝く」(15、16節)ことができるのです。
 私たちはいつも主に心を向け、たとえ、どのような状況の中におかれたとしても 、救いは神様にあるという生き方であり、不平、不満ではなく、つぶやきから開 放され、信じ感謝する生き方でありたいと思います。それにはイエス様の十字架の恵みをいつも心に保ち続け、イエス様が共に歩んでいてくださることを意識し、聖霊様にいつも私達を満たしていただいて歩むことが必要でしょう。
 私たち一人一人がイエス様の十字架の恵みをいつも心の真中に置き、主によって救われている事を感謝し「世の光として輝く者」として生きる者たちでありたいと願います。

『仕える者の姿』
ピリピ人への手紙 2章1−11節
2009年 9月13日(日)

 1章の終わりの箇所に引き続き「信仰のための闘い」、そして「一致」というテーマで書かれています。1章の後半では「対外的な戦い」でしたが、この箇所の前半は「内なる戦い」という内容です。
 1節に「愛の慰めがあり、・・愛情とあわれみがあるなら」とあります。神様の愛 に満たされると人は、心に満足と平和が満ち、他人に対しても批判せず、受け入れ、一致することが出来る愛なのです。ですから神の愛に満たされるのが一致の初めであると言えるでしょう。
 3節に「へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」とあります。クリスチャンは、自我が砕かれなければ、一致には至りません。クリスチ ャンは自由ですが不自由をも選ぶ自由であるといえるでしょう。
 4節「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」とあります。自分 が幸せになって他人が悲しむのは本当の幸いではありません。自分の幸いを願い、他の人の幸いも願うというのが一致する秘訣です。
 さて、三つの「内なる戦い」に対処する勧めを見てまいりました。その勧めの後 パウロは5節で「それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」といってイエス様の模範を示しています。
 タイトルを「仕える者の姿」といたしました。これはもちろんイエス様の事であ ると言うことは言うまでもないことですが、これは私たちの信仰の戦い、内なる 戦いに対処し、勝利をしていく秘訣であると教えられます。
 イエス様の事をいつも思い、目を離さず、そしてそれだけでなく、イエス様がさ れたように私たちもへりくだるもの、「仕える者の姿」を実践して歩むものとさ れるなら幸いです。

『キリストのための苦しみ』
ピリピ人への手紙 1章27−30節
2009年 9月 6日(日)

 ここからテーマは「信仰のための闘い」となります。そのためにピリピの教会に一致を勧めます。一致して何をするかというと、しっかりと立ち、奮闘し、驚かされることはないように、福音にふさわしく忠実に歩みなさい、教会生活、信仰生活を送りなさいということです。ピリピ教会とパウロと,それぞれの闘いや試練は具体的な状況において違いがあったにせよキリストのための闘いやキリスト のための苦しみの中で、パウロは励ましを与えている箇所です。そのような中で扱われている「信仰者の苦しみ」というテーマです。
 29節に「信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わった」とあります。 信仰は神が与えた賜物であるということが出来るでしょう。加えて「キリストのための苦しみ」も神様の与えた恵みであるというのです。そうであるならば、クリスチャンとして「苦しみ」をどのように捕らえたら良いのでしょうか。
 積極的に苦しみの訓練を受けることが大切です。苦しみは賜物であり、神様が確かに解決も与えて私に必要なものを与えているという強い確信です。そして、救
いと脱出を祈ることです。さらに自分の願いどおりにならないこともありますから神様の答えを従順に受け入れることも大事です。そして苦しみのときにこそ忘 れてはならないことは、神様の報いを望むことです。私達も、困難や苦しみにあ っても、しっかりそこから主にあって何度でも立ち直り、さらに主に喜ばれるも のとして成長する歩みが大切なのです。
 キリストのための苦しみを賜った歩みは、私たちを信仰と永遠のいのち、そして苦しみの中にあっても恵みの中を確信して歩むことが出来る素晴らしい人生であ ることを覚えて今週も歩んでまいりましょう。