ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2012年9月]を短くまとめてのせています。

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 2012年9月30日(日)

 講壇交換 中村 宏章師
 『神から生まれた者』
ヨハネの手紙第一 3章3節−12節
2012年9月23日(日)

 神の子とされていることは、すばらしい特権ですが、責任もあり、神の子には、神の子としてふさわしい歩みがあるのです。
 神様の子どもに求められているのは、清い歩みです(3節)。イエス様は罪を犯されたことがありませんでしたが、私達は罪がないという人はいません。しかしイエス様を信じる者には十字架の贖いで、完全な罪の赦しを約束してくださるのです。そして罪の赦しを頂き、義と認められ神の子とされた私たちは、清い生活を求められているのです。
 今日の個所で「罪のうちを歩む」と何度も書かれています。これは、罪を犯しつづける事です。罪と知りながら犯しつづけるのは神の子ではありません。イエス様は、十字架にかかってくださり、身代わりとなって死んでくださったのですが、それは私達がきよくされ、私たちに勝利を与えるためだったのです。そのようにして大きな犠牲が払われたのですから私達は清さを保ち、清くあろうとしなければなりません。
 また神の子どもに求められているのは、義を行うということです(7節)。私達は儀式を守ることや、良い行いによって、救われたわけではありません。しかし神様を信じているにもかかわらず、実践の伴わない生活を送っている人々に対して、行いの大切さを教えています。また「義を行なう」というのは、偉大な社会貢献をするということもあるでしょうが、それよりも大切なのは、私たちの身近な家族や友達に実践する小さな愛の行為なのではないでしょうか。
 愛するとは、イエス様が愛の模範を示してくださったように、主の愛を増し加えて頂いて、私たちの身近におられる方々にまず愛を実践し続けようではありませんか。
  2012年9月16日(日)

<野外礼拝を行ないました。[東京都町田市 ひなた村]>
 
  『私たちは神の子ども』
ヨハネの手紙第一 3章1節−2節
2012年9月9日(日)

 3章に入ります。最初の所では、私達が神の子とされた事実について書かれています。そしてイエス様によって救われた私たちは、神の子どもとされたのですから、そのように生きるように勧められています。
 子どもは、親の愛情を受けることができます。1節に、「御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう」とありますが、神の子どもとされたクリスチャンは、神様の愛情をいっぱい受けるのです。
 神様の愛についてはヨハネ3:16の言葉の通り「実に、そのひとり子をお与えになったほど」で、まさに筆舌にしがたい神の愛が注がれているのです。しかも神の子でない者、相応しくない者を神の子としてくださいました。私たちの限られた頭脳では理解できないほどのすばらしい神の愛が現わされたのです。
 また2節に「私たちはキリストに似た者となることがわかっています」とあります。私たちは、親の遺伝子を受け継いで、生まれてきますから、良きにつけ、悪きにつけ、親に似ます。しかし神の子とされたものは、神様のすばらしさ、完璧なイエス様と似た者となるというのです。しかも神の子どもとされたということは、無限の成長の可能性があるのです。
 聖書は「神様の子供になりましょう」というのではなく、イエス様の贖いのわざと、それに対する応答の故に、私たちは、すでに「神様の子どもとされている」というのです。ですから神の子とされていることはすばらしい特権だとしっかりと覚えましょう。神の子どもとして神様の愛情をいっぱい受け、神様に似る者とさせていただき、益々成長させていただこうではありませんか。神から生まれた者に相応しく歩んでまいりましょう。
  『キリストのうちにとどまって』
ヨハネの手紙第一 2章18節−29節
2012年9月2日(日)

 「今は終わりの時」とヨハネは告げます。世界の終わりがあることを聖書は教えています。いつ終わるのか誰も知りません。しかし確実にいえるのは、世の終わりが刻一刻と近づいているということです。
 「今は終わりの時」の「今」とありますがヨハネがこの手紙を書いている時代を指しています。そして、その頃には多くの反キリストが現れていたと言うのです。そして、多くの反キリストが現れたのは、決してヨハネが生きている時代だけではなくまさに今現在も、そう言えるのではないでしょうか。だから、「キリストのうちにとどまっていなさい。」と聖書はいいます。
 反キリストを見分けるのは簡単で、イエス様を否定するもの、イエス様が唯一の救い主であることを否定するものです。御子を否認する者は、御父を持っていない、すなわち信じていない、救われていないということです。イエス様が救い主であり、この方を信じてより頼んで生きるしかない、そう心に留め、守るならば、御子キリストの内に留まることができるのです。
 イエス様に留まるには、いつもイエス様に触れ続け、真理であるイエス様と交わり(御言葉と祈りの時)を持ち、イエス様を中心とした交わり(教会の交わり)をしっかりと保っていくことの大切さを教えられます。まさに偽者の見分け方を示し、信仰の基礎を確認し続けるのです。
 正しい信仰の土台に立って、キリストに留まりつづけるように、神様は導いて下さるのです。御言葉を通して働かれる御霊の導きに従って、キリストに留まり続け、みことばと祈りと交わりの中に、強くせられ成長させていただこうではありませんか。