ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2013年4月]を短くまとめてのせています。

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   『われは聖霊を信ず』
(使徒信条シリーズ10)
ヨハネの福音書 14章16節−20節
2013年4月28日(日)

 使徒信条講解説教10回目「われは聖霊を信ず」という箇所です。
 父なる神様と御子イエス様が生ける神であり、人格であることからも聖霊なる神様も生ける人格なのです。人格とは、知性、感情、意志を備えた統一された意識のある方という意味です。聖霊様には豊かで多様なご性質とお働きがありますし、ノアやモーセに語った父なる神様、弟子達や民衆に語ったイエス様のような、聖霊様の言葉が、聖書に多くありませんので人格がないと感じてしまうかもしれません。
 しかし、イエス様は聖霊のことをご自分に代わる「もうひとりの助け主」(ヨハネ14:16-17)と呼んでいますし、「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エペソ4:30)とあるように聖霊は感情のあるお方であり、意志をもって行動するお方(Tコリント 12:11)です。聖霊様は、考え、教え、行動し、喜び、悲しむ、「生ける人格」でいらっしゃるのです。
 さて、イエス様は、お約束どおりに、私たちに助け主である聖霊を送ってくださいました。助け主であり慰め主である聖霊は、私たちのうちに住んでくださいます。これを内住といいます。驚くべき恵みです。みなさん一人一人のからだも聖霊の宮(Tコリント6:19)なのですから、きよく、たいせつに管理しなくてはなりません。
 聖霊は生ける人格ですから、聖霊を悲しませるならば、離れてしまうこともありましょう。聖霊を悲しませることとはなんでしょうか。罪はみな聖霊を悲しませますが、とくに無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなど(エペソ4:30)です。
 私たちはこの聖霊なる神様を悲しませないように、ますます、私たちに働いてくださるように、歩んでまいりましょう。
  『かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん』
(使徒信条シリーズ9)
マタイの福音書 24章29節−31節
2013年4月21日(日)

 使徒信条講解説教9回目「かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん」という箇所です。
 使徒信条は父なる神に対する告白、御子なるイエス・キリストに対する告白、聖霊なる神に対する告白の三つの部分に分けることができます。その第二の部分も三つの部分、つまり過去、現在、未来に分けることができます。前回は現在のイエス様、そして今回は将来のこと、つまりこれからのイエス様について告白しているのです。
 イエス様は再び、この地上に、復活の栄光に包まれた姿、誰もがこの方が神であると分かる姿で来てくださるのです。使徒信条は「生ける者と死にたる者とを裁き給わん」ため、すなわち裁くためであるというのです。最終的にその人が救われるかどうかは、その裁きの座において決定されるのです。
 私達はこのことを真剣に受け止めることはとても大切です。最後の裁きに対する恐れをもって、生きることは大切なのです。しかし、それよりも最後の審判の日に私たちに下されるはずの裁きは、すでにイエス様が私たちの代わりに負ってくださったことを覚え、死を恐れる必要はなくなったということを信じ神様に対して信頼と感謝をもって、そのような愛の神様を喜ばせようとする生き方が大事なのではないでしょうか。
 信じる者は、永遠の命の中に、神様との永遠交わり、永遠の平安と喜びの中に入れられるのです。終わりの日は信じる私たちにとって、恐ろしい日ではなく、希望の日となるのです。
 私たちはこのイエス様に信頼し感謝して、希望をもって、頭を上げて、前を向き、終わりの日に向かってしっかりと歩んでまいりましょう。
 『天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり』
(使徒信条シリーズ8)
使途の働き 2章25節−36節
2013年4月14日(日)

 使徒信条講解説教8回目「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」という箇所です。
 旧約聖書には大事な「契約」の概念が何度か出てきます。それらの契約はことごとくイエス様にあって成就しました。その一つがダビデ契約です。Uサムエル7:12に「あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。」とあり、続く13節には「その王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」とあります。その約束は彼の息子ソロモン王において成就するかに見えましたが罪を犯し、その次の代では王国は南北に分裂し、後の滅びを招きました。ダビデ契約は、ソロモンの罪と弱さのために成就しなかったのです。
 しかし約千年後、神の御子イエス様によって成就するのです。死に対しても勝利を収め復活されたイエス様は、天に昇り、父なる神の右の座に着かれたのです。ダビデの王座は地上から天に移されたのでした。そのことによって「神の御国」が到来しました。
 王としてご支配なさるイエス様はマタイの最後のところで「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」とおっしゃられたあとに「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)とおっしゃってくださいました。たしかに悪魔がこの世では王のように振舞っています。けれども、イエス様は王として神様の右の座に着かれておられながらも共にいてくださるのです。ですから、たとえどんな苦境にあっても、私たちには確かな希望があります。信仰を働かせて忍耐と希望を持って、御国が拡大し、完成するように祈り、主に信頼し従ってまいりましょう。
ダン・マックストン師特別礼拝
2013年4月7日(日)