ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2014年4月]を短くまとめてのせています。

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  『「義と信仰と愛と平和』
テモテへの手紙第二 2章22節−2章26節
2014年 4月27日(日)

 テモテへの手紙の大事なテーマのひとつは「忠実に信仰に歩む」ということです。この箇所ではそれを具体的に「義と信仰と愛と平和」を追い求めるということを挙げています。
 22節で情欲を避けるのは、そこに失敗や罠、悪魔の突き入る隙があるからです。また一人の時に誘惑は強くなりますから、「きよい心で主を呼び求める人たち」つまり、仲間と共に罪から遠ざかることが大事です。主を呼び求める本当のクリスチャンと共に「義と信仰と愛と平和」を追い求めるのです。
 「義」とはこの世の正しさや自分なりの正しさではなく、神様の前での正しさ、聖書基準の正しさです。
 「信仰」とはいつでもどこでも神様に心をしっかり向け、どのような状況であっても神様に信頼することです。
 「愛」とは愛である神様を愛し、イエス様が私たちを愛されたその愛をお手本にして人々を愛することです。
 「平和」とはイエス様の十字架の犠牲によって与えられた神様との親しい関係と、それを基にした私たち相互の良い関係のことです。
 これらを追い求めるのです。これらは決してこの世では完成しません。常に意識して追い求め続けるものでもあります。そして、愚かで無知な思弁を避け、争いを避け、優しくよく教え、よく忍んで柔和な心で訓戒し、一人でも多くの方を真理と悔い改めに導くのです。それを「きよい心で主を呼び求める人たちとともに」忠実に歩んでいくのです。
 今週も「義と信仰と愛と平和」を追い求めて忠実に神様の使命に歩んでまいりましょう。
  『よみがえられた』(イースター)
コリント人への手紙第一 15章1節−15章8節
2014年 4月20日(日)
 イースターは、イエス様が復活されたことを覚える大切な記念日であり、私たちの信仰の神髄でもあります。もちろん復活は間違いない事実ですが、残念ながら、ありえない、作り話だ、と考える人はたくさんいます。しかし、5節で「ケパに現われ、それから十二弟子に現われた」とあります。またイエス様に反対していた人たちのリーダーでもあったパウロ自身が8節で「私にも、現われてくださいました」と証言しているのです。イエス様は、40日の間、500人以上の弟子たちの前にくりかえし復活の姿を現されたのです。また弟子たちの命がけの伝道の姿や、揺るぎない信仰の確信は復活の事実を物語っています。
 このイエス様の復活の事実は私たちに何を教えているのでしょうか。まずイエス様がそれまでに言っていたことは本当だったということです。イエス様の言葉は決して私たちを裏切りません。そしてそのことはイエス様が「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)と言われたことも真実で確かなものなのだということです。たとえこの世界が滅びても、たとえ肉体が死を迎えても、それを越えた存在である神様、創造者であり支配者である神様との関係がつながれていれば「いのち」をもち続ける、つまりイエス様が約束してくださった永遠のいのちをもつことができるのです。
 さらにマタイ28:18-20にあるように、私たちには「十字架の恵みと永遠のいのちの福音」を伝え、弟子とし、洗礼を授け、神様の命令を守るよう教えていく使命が与えられていることになります。
 イエス様はよみがえられました。復活の証人としての使命に歩んでまいりましょう。
 『十字架のことば』(受難週)
コリント人への手紙第一 1章18節−1章25節
2014年 4月13日(日)
 18節の「十字架のことば」とは「十字架を通して語られる福音のメッセージ」という意味です。聖書に十字架上のイエス様の7つのことばに注目してこの「十字架のメッセージ」を受け取りたいと思います。
@「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ルカ23:34 イエス様が最初に発せられたのは、赦しの宣言でした。十字架は「あなたは赦されている」との宣言です。
A「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23:43 この重罪人と同じ罪人である私達ですが、同様にイエス様が救い主であること告白して救いが与えられます。
B「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」「そこに、あなたの母がいます。」ヨハネ19:26,27 イエス様は、人の痛みを忘れることなく、悲しみに暮れる母マリヤを思い、愛弟子ヨハネに託されました。
C「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」マタイ27:46 御子イエス様が、私達の代わりに断罪され、神様との関係を絶たれた時の悲痛な叫びです。
D「わたしは渇く。」ヨハネ19:28 父なる神様の愛や恵みから切り離され、交わりが途絶えるという最も大きな渇きを覚えられたのです。
E「完了した。」ヨハネ19:30 神様のご計画の通り十字架にかかり、苦しみを味わい、救いのみわざを「完了」してくださったのです。
F「父よ、わが霊を御手にゆだねます。」ルカ23:46 神様に従わない私たちの代わりに、神様に従順に従い、完全にゆだねられたのです。
「十字架のことば」つまり「十字架を通して語られる福音のメッセージ」を心にしっかりと持って、悔い改めと感謝と愛をかみ締めながら歩みましょう。
 『自分を神にささげる』
テモテへの手紙第二 2章14節−2章21節
2014年 4月 6日(日)
 パウロはテモテを励まして、タイトルのように15節で「自分を神にささげる」ようにと教えています。
 主に従う者は「真理のみことばをまっすぐに説き明かす」ことが大事です。自分が言いたいことを聖書から話すのではなく、聖書そのものを教えるのです。その忠実に働きに取り組む姿勢こそ「恥じることのない働き人」であり、「自分を神にささげる」ことになるのです。「私は自分を神にささげる」という人ほど、みことばに誠実に向きあい、みことばに忠実に歩み、みことばをまっすぐに説き明かす人なのです。
 この箇所ではもう1つ大切なことを教えています。それは21節にあるように「尊いことに使われる器」となりなさいということです。
 金や銀の器にたとえられるクリスチャンたちがいましたが、同時に異端の影響を受けている人々もいました。彼らのことを「木や土の器」「卑しいことに用いる器」と言っているようです。しかし21節「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。」というのです。主のご栄光のために用いられる器になる、ということほど光栄な事はありません。私たちにとっては、有名になる、立派になる、財を築く、ということがすばらしいわけではないはずです。私たちの人生の指針は「尊いことに使われる器」でいるということです。今どのような器であっても「主にとって有益な尊い器」「尊いことに使われる器」となることができます。主のご栄光のために用いられる器になる、という光栄に与るのです。
 どうぞ「自分を神にささげる」者となってまいりましょう。そして「尊いことに使われる器」として歩み続けてまいりましょう。