ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2014年6月]を短くまとめてのせています。
『すべての人を救う神の恵み』 テトスへの手紙 2章11節−2章15節 2014年 6月29日(日) パウロがテトスによい生活を整えるようにクレテ島のクリスチャンたちに勧めている箇所ですが、三つのポイントで覚えたいと思います。 第一のポイントは「恵みに基づく生活をする」ということです。11節に「すべての人を救う神の恵みが現われ、」とありました。イエス様を信じるよい生活は神の特別な恵みに基づく生活だ、ということです。恵みに基づいて、慎み深く、正しく、敬虔に生活をするのです。不敬虔とこの世の欲、罪の価値観から救われたのですから。 第二のポイントは「イエス様の再臨を希望に掲げる」ということです。13節に「キリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望む」とありました。パウロは何度も繰り返し「主の再臨の希望」を語って来ました。イエス様が再び来られ、さばきと救い、新天新地、神の国の完成の希望です。これは敬虔に正しく生きていくためになければいけない希望であり、信仰です。イエス様が再び来られるその栄光を私の希望に掲げましょう。 第三のポイントは「贖いの深い意味を忘れずに歩む」ということです。14節に「不法から贖い出し」とあります。イエス様は私たちを罪の奴隷、不法の奴隷から、ご自分の流された血を代価にして買い取ってくださったのです。それは、私たちがもはや自分ものでさえなく、イエス様のものとなり、良いわざに熱心な者として、きよめるためだったのです。 神様の恵みの救いが、良いわざに熱心にさせます。救われると生き方が変わり、また変わり続けるのです。イエス様の再臨を希望に掲げ、贖われた意味をしっかりととらえ、恵みに基づく慎み深く、正しく、敬虔な生活を心がけるのです。このような「すべての人を救う神の恵み」に相応しく歩んでまいりましょう。 |
2014年 6月22日(日) 飯島勅先生メッセージのためお休み |
『健全な教えにふさわしいこと』 テトスへの手紙 2章1節−2章10節 2014年 6月15日(日) 1節でパウロは「あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい」とテトスに命じています。テトスが遣わされていたクレテ島の教会では不健全な教えや忌まわしい行ないの危険がありましたがそれに対比させて「健全な教え」と言っています。肉体や精神の「健康」が大事なように霊的な健康というのが大事です。 この健全な教えがどのようなものであるかを、老若男女、そして奴隷に対してそれぞれに、2節以下で具体的に教えていきます。老若男女についてはそれぞれ自分に当てはめて読むといいでしょう。奴隷に対しての教えもクリスチャンの生活倫理、職業倫理として読むこともできます。その会社でよい成果を得るよう全力を尽くすこと、これがクリスチャンに求められていることなのです。 いずれにしても私たちが模範とする教えの健全さが問われています。そしてその健全さと自分のふさわしさ、言葉の相応しさ、行いの相応しさについて考えさせられるところです。 先に、霊的な健康ということを申し上げましたが、これらを読むと、肉体的健康や精神的健康も大事ですが、霊的な健康がもっとも大事です。霊的な健康とは、一言で言えば、聖書の健全な教えに喜んで生きるということです。 この時代にこそ霊的な健康、「健全な教え」は大事で、それは今でも変わらない神の言葉です。この「健全な教え」とその「ふさわしさ」に歩んでまいりましょう。聖霊なる神様の助けを豊かに頂いて、喜びがある真の生き方のよき模範となって、今の時代に歩んで参りましょう。神様の子どもとされたものとして相応しく歩み続けてまいりましょう。 |
『信頼すべきみことば』 テトスへの手紙 1章5節−1章16節 2014年 6月 8日(日) クレテ島の教会の問題収拾のためにテトスが遣わされ、そのテトス宛に書かれたのがこの手紙です。今日の箇所ではテモテへの手紙同様教会のリーダーを選ぶ条件が書かれています。それを一言で表しているのは今週のみことばでもある9節です。この9節にある「教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守る」というのはクリスチャン一人一人の大切な指針です。 今日はペンテコステですが、聖霊なる神様が私たちの助け主となってくださった日です。聖霊なる神様は私たちの内に働きかけ私たちを神様に喜ばれる者と変え続けてくださっているのです。もしその人が変えられていなければ、聖霊なる神様はともにいないことになります。ですから「教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守る」というのはとても大切なのです。御言葉を知っているだけではダメで、それをしっかり守るということがとても大切です。信頼すべきみことばではないものを守っても意味がありません。聖書の教えにかなった、信頼すべきみことばを中心としていなければいけません。これは私たちのどの時代もどの社会にあっても変わらない基準なのです。 私たちは、まずみことばは、私たちの為に大切で実際的な意味のあるものであると信頼すべきです。次に、その「信頼すべきみことば」に従って歩むということが求められます。そしてそれは継続され、いつも「信頼すべきみことば」に触れ続けて、自分が変えられ続けているということを保っていくことが必要なのです。さらに健全な教えをもって励ます、反対者を正すということにつながっていきます。今週も教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守ってまいりましょう。 |
『永遠のいのちの望み』 テトスへの手紙 1章1節−1章4節 2014年 6月 1日(日) テトスへの手紙は、クレタ島の教会の伝道者テトスを励ますためにパウロが書いた手紙です。テモテへの手紙との共通点が多く牧会書簡と呼ばれています。この手紙では「健全な教え」と「良いわざ」の2つが切り離せないものとして教えられています。早速1節で「敬虔」と「真理の知識」と言う言葉が出てきます。まさに「良いわざ」と「健全な教え」が別の言葉で表されています。私たちクリスチャンの信仰の知識と信仰の生活が一致するようにと教えられているのです。 さて2節で「永遠のいのちの望み」という言葉は出てきますが今日のタイトルです。パウロは、確信を持って生涯、揺るがず、永遠のいのちの恵みを信じ、かつ、宣べ伝えました。それは再臨と世の終わりがあることを確信し、そして今すでに始まっている「永遠のいのち」が必ず完成するという確実な希望に揺るがず立っていたからです。 「永遠のいのち」とは、神様との交わりの中で心満たされて永遠に生きていくことを表します。いつまでも続いていく神様との素晴らしい交わりのことです。 「永遠のいのち」は「偽ることのない神が、永遠の昔から約束」されたことであり、「定められた時に明らかにされた」イエス様の十字架と復活、また聖霊降臨以降の「みことばを宣教によって明らかにされた」福音宣教によって確かなものとされました。ですから「永遠のいのち」は絶対的に確実なものであり私たちの唯一無二の望みです。「永遠のいのち」は、イエス様が救い主であるというよい知らせである福音を聞いて信じる人にだれにでも惜しみなく与えられます。私たちは「永遠のいのちの望み」をもって、今週も歩んで参りましょう。 |