ここには、中野拓哉牧師の日曜日の礼拝メッセージ[2014年9月]を短くまとめてのせています。

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    『もうためいきは終わり』(中澤 信幸師:大野キリスト教会牧師)
ガラテヤ人への手紙 2章19節−2章21節
2014年 9月28日(日)  
   『わたしについて来なさい』
マタイの福音書 4章18節−4章25節
2014年 9月21日(日)

 イエス様は、「私について来なさい」と呼び掛けられました。これは「わたしと行動を共にしなさい」という、選択の余地がないほど強い命令の言葉です。このような強い言葉でイエス様が語りかけられたのは、「共に生きることが祝福である」というイエス様の真実の言葉です。また、イエス様は「人間をとる漁師にしてあげよう」と呼び掛けられます。この言葉は、とてもユーモアに富んだイエス様の言葉です。魚をとる漁師に「今度は人間に対してしてみないか」という招きの言葉でした。
 招かれた弟子達はその言葉に従います(20、22)。さらに25節では「大ぜいの群衆」もイエス様につき従ったことが書かれています。
 タイトルを「わたしについて来なさい」としました。弟子達のように意気揚々とイエス様についていくというのもイエス様に従うことですが、イエス様は私の苦しみを救ってくださるに違いないと期待し、イエス様に従ってゆくのもイエス様についていくということです。イエス様はそれを信仰と呼んで下さいます。イエス様に期待し、主に黙々とつき従っていく、そういう歩みもあるのです。ただ、主がわたしに呼び掛けて下さったのだから、わたしはこのお方の姿を見上げながら歩む、そういう信仰をもイエス様は喜んでくださるのです。
 イエス様は、人々を御国の福音、つまり、神様の国での永遠のいのちへと招いてくださいます。それは、思い患いや苦しみの中にあったとしても、神様の御支配の中に生きることができるようにと私たちを招いてくださっているのです。どうぞ「わたしについて来なさい」との御言葉に応答し、イエス様を信じイエス様に従って、イエス様を見上げて歩んでまいりましょう。
   『神様の御計画』
マタイの福音書 4章12節−4章17節
2014年 9月14日(日)

 17節にイエス様の言葉でバプテスマのヨハネが叫んだこととまったく同じ「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」というのがあります。「悔い改め」の元々の言葉の意味は、「方向転換」ということ、向きを変えるということです。「二度と同じ過ちを犯しません」というような謝罪のようなイメージとは少し異なります。何よりも大切なのは、悪いや過ちの根源にある罪深さがあることに気付き、人生を方向転換するということなのです。
 これまで、神様を信じないで、神様に聴き従わないで、自分の人生を生きてしまったこと、自分の力で切り開いてつくってきた人生は結局、どんなに愚かで、悲惨で、悪いことであるか、自己中心のものであったのだと、認めて方向転換をすること、それが悔い改めなのです。
 「神様の御計画」というタイトルをつけました。よく神様の御計画は何なのか、私に何をするようにと命じられているのかと考えることがあります。でも今日の箇所からすれば、神様が求めておられるのは「悔い改め」です。神様のご計画は、私達人間が悔い改めて全知全能の神様に心から喜んで従うことです。人生の方向転換をしてイエス様の十字架で赦していただいて、神様の御国に永遠のいのちをもって入ることです。
 私達はすべき事は、私が悔い改めることです。クリスチャンの人生は悔い改め続ける人生です。またイエス様の救いと御言葉に従って歩むということを自分だけではなく他の人々にも伝えることです。それが神様のご計画なのです。どうぞ、神様のご計画に従って、悔い改めの人生、いつも北を指す方位磁石のように、常に神様の方に向くように方向転換をし続けるように歩み続けてまいりましょう。
  『私はだれでしょう』(小林 正則師)
コロサイ人への手紙 1章13節−1章23節
2014年 9月 7日(日)