ときめき part 0



モナコ(モナコ)
2000年10月



カジノとオペラハウスが入っている建物の左隣にある瀟洒な Hotel de Paris。












人目を引く、なんとも鮮やかな色使いの観光車。













モナコ大公歴史博物館展望台から、モナコ港とモンテカルロ地区を望む。





マルセ-ユ(フランス) 2000年10月

マルセーユ旧港。




二-ス(フランス)
2000年10月

紺碧海岸コート・ダジュールも海の女神の気まぐれで、あいにく今日は灰色。






ルノワ-ル美術館(フランス)
2000年10月


ルノア-ルが晩年をすごし、終の棲家となった屋敷が、美術館として一般公開されている。

ニ−スの西方30km程、カ−ニュ・シュル・メ−ルの町の小さな丘(レ・コレット)と呼ばれるところにある。

写真の古木は、屋敷の庭にある樹齢数百年のオリ−ブ


アルル近郊(フランス)
2000年10月




ゴッホの跳ね橋。

この橋は、1960年観光目的で、往時とは違う場所に復元された。









アルルの南方、カマルグ湿原地帯東端の町サロン・ド・ジローにある塩の山。

塩田製法によるもの。





レホー・ド・プロバンス(フランス)
2000年10月


丘の上に、中世、南フランスで最強を誇ったレポ−家の城砦都市遺跡がある。

城砦は、ルイ13世によってすべて破壊された。





その城砦遺跡からの眺め。(右の写真)。

ここから、クロ−平原とアルビ-ユ山脈が遠望される。(下の写真)。





サン・レミ・ド・プロバンス(フランス)
2000年10月


ゴッホが1889年5月から1年間入院していた旧サン・ポ−ル・ド・モ−ゾ−ル修道院の内庭。





アヴィニヨン(フランス)
2000年10月


サン・ベネセ橋。

戦争や氾濫で何度も破壊され、現在は二つのア-チ橋脚と礼拝堂だけが残っている。

建造時は、22のア--チ橋脚があったといわれる。





フランス王の庇護の下、1309年から60数年間、7人の法王が在位した法王庁宮殿城壁から、アヴィニヨン市街を観る。





オランジュ古代劇場(フランス)

2000年10月


紀元前1世紀末建造のロ-マ古代劇場遺跡。

世界で最も保蔵状態の良いロ-マ遺跡といわれる。

音響効果の良さは抜群で、19世紀半ばから、毎年夏に音楽祭が開かれている。




アルデ−シュ峡谷(フランス)
2000年10月


アヴィニヨンの北西40kmに位置するアルデ-シュ峡谷。

川が石灰岩を浸食し広大な峡谷が形成されている。

ヨ-ロッパのグランドキャニオンと呼ぶ人もいるそうだ。


ニ-ム(フランス)
 2000年10月

紀元1世紀建造のロ-マ古代闘技場。

1853年から闘牛が始められ、今ではオペラ、バレエ、ロックやジャズのコンサ−ト、スポ−ツ競技など多目的に活用されているとは、驚き。




ゴヤ美術館(フランス)
2000年10月


ゴヤ美術館の前庭。

ゴヤ美術館は、フランス南部ミディ・ピレネ-地方のカストルにある。

カストルは、カエサルのガリア平定の野営地となったところといわれる。




ランドック地方のプラタナスの街道。

ナポレオン3世が街道にプラタナスを植えさせたことが始まりとされる。





アルビ(フランス)
 2000年10月


アルビはミディ・ピレネ-地方のタルヌ川に面した街で、ロ-マ帝国によって創建されたといわれる。

画家、ロ−トレックの生家や美術館がある。



コルド(フランス) 2000年10月

コルドは海抜291mの丘上にあり、「空の上の街」と呼ばれている。

中世に、皮革と織物業で栄えた城塞都市で、現在は、観光を中心に、1000人程の人々が暮らしている。



トゥールーズ(フランス)

2000年10月


トゥ-ル-ズは、ミディ・ピレネ-地方の中心都市である。

左写真は、朝市の風景。

旧市街は、レンガ造りの建物が多く、夕日などを浴びると、町全体がピンク色に染まるので、「バラ色の都市」と呼ばれている。








背景の建物は、1759年建造のキャピトル。右翼が劇場、左翼が市庁舎となっている。

トゥ-ル-ズには、エアバス本社やその工場、またフランス第三番目の規模を有する大学などがあり、産業学術都市として発展している。




パリ 春(1)(フランス)

1994年4月

Lefevre Boulevard通り、 4月末、日中に摂氏30度を越す異常な陽気のパリ。



パリ 春(2)(フランス)

1994年4月



パストゥ-ル病院。

赤いマロニエの花盛り。













Georiges Braisens公園のチュ-リップ。

パリの春は、花、花、花・・・。

いたるところに、スズラン売りが立っている。






オペラ座。

オペラ座の怪人は、今日はどうしているのかな?




ジュネ−ブ駅からTGVに乗って
(スイス)
1994年4月


ジュネーブ駅のホーム。
このTGV列車に乗って、パリ、リヨン駅を目指して出発。



レマン湖畔(スイス)
 1994年4月

レマン湖畔の高速道路。

レマン湖と雪を頂いたアルプス連山が微かに遠望される。

もうすぐジュネーブに着くはずだ。



登山電車の車窓から(スイス)
1994年4月


クライネシャイデックからグリンデルワルトへ降る登山電車の車窓から。正面の山は、ヴェッターホルン(3701m)



グリンデルワルト(スイス)

1994年4月


グリンデルワルトには、インターラ-ケンとクライネシャイデックを結ぶ登山鉄道の中継駅がある。
当地の人々は、世界で一番美しい村と自讃する。




ユンブフラウヨッホ(スイス)

1994年4月

上の写真:ユングフラウヨッホのスフィンクス・テラス(3573m)からの展望。
下の写真:ユングフラウヨッホの雪原、四囲をアルプスの山々の頂や氷河が取り巻く。



クライネシャイデック(スイス)

1994年4月




インターラーケン・オスト(東)駅からクライネシャイディックに向かう登山鉄道の車窓から、ユングフラウを望む。







クライネシャイディックの駅前広場の風景。













クライネシャイディックから正面に見えるのがアイガー北壁、アイガーの右奥にユングフラウ(4158m)の頂が見える。



インタ−ラ−ケン(スイス)

1994年4月

早朝のインターラーケン。
アルプスの山々は、もう朝日に輝いている。

インターラーケンは、アイガー、メンヒ、ユングフラウなど4000m級の山々へ登る基点となっている。





インターラーケン・オスト(東)駅。

ここが、ユングフラウなどの山々へ登る登山鉄道の始発駅である。




ファドゥ−ツ
(リヒテンシュタイン公国)

1994年4月

リヒテンシュタイン公国は、世界で6番目に小さい、アルプス山麓の国である。
面積は、浜名湖の三個分程度、人口は3万強。
リヒテンシュタイン侯爵家が、国家元首の立憲君主国。

右写真、首都ファドゥ−ツのメインストリ−ト。丘の上に見えるのは、リヒテンシュタイン侯爵家の住まいファドゥ−ツ城。




ノイシュバンシュタイン城(1)
(ドイツ)

1994年4月


ノイシュバンシュタイン城の麓、ホ−エンシュバンガウの町。

お城に登る観光馬車が通る。









バイエルン王ル−トヴィヒ2世の夢想から生まれた作品、ノイシュバンシュタイン城。





ノイシュバンシュタイン城(2)(ドイツ)

1994年4月

望見するとこの城が、実戦目的ではなく、お遊びで造られたことがよく判る。
その希少さと奇抜さが、観光的な魅力の源泉ともなっている。



マイバ−ム(ドイツ)
1994年4月




マイバ−ム(5月の木)は、ドイツ バイエルン地方の木飾り。

木に付けてある飾りは、村人の職業を表す絵柄である。



フュッセン(ドイツ) 1994年4月

ロマンチック街道の終点フュッセン。

右側の建物は、市博物館。
奥の建物は、聖霊シュピタ−ル教会。ここから、ノイシュバンシュタイン城は近い。



ハルシュタット湖(オ-ストリア)
1994年4月


ハルシュタット湖は、映画「サウンド・オブ・ミュ−ジック」の舞台となったザルツカンマング−ト地域にある。

周りを山に囲まれた静穏な佇まいの湖であるが、湖畔には、先史時代から人が棲んでいた遺跡が残っている。

山には、その時代から堀りつづけてきたとされる岩塩抗が現存している。






マルクト広場。

独創的な家並み。

家壁には、蔓性の樹木が植生している。









湖畔まで山が迫っているので、このように狭い路地もあるが、それがかえって、情趣をかきたてる。




ヴォルフガング湖(オ-ストリア)

1994年4月

ザルツカンマング−トにあるヴォルフガング湖。

湖の対岸、サンクト・ギルゲンは、モ-ツアルトの母の生地で、生家がのこされている。



ザルツブルグ(オ-ストリア)

1994年4月


ザルツブルグの目抜き通り、ゲトライデ・ガッセ。

右側黄色の建物が、モ-ツアルトの生家。








ミラベル宮殿。

ザルツブルグは、ナポレオンに滅ぼされるまでは、大司教領であった。

この宮殿は、1587年に就任した大司教が、愛人サロメのために建てたのがはじまりとされる。




ウィ−ン(オ-ストリア)
 1994年4月


映画「第三の男」にも登場した大観覧車からの眺め。

真下が遊園地プラ−タ-。

遠くにウィ-ン旧市街がみえる。






河畔のホテルからドナウ川を望む。

豊富な水量とゆったりとした流れ、その流域に連なる森が、歴史のロマンを深く包みこんでいる。




パリ 夏(1)(フランス)

1992年7月

シャン・ド・マルス公園とエッフェル塔。



パリ 夏(2)(フランス)

1992年7月

自転車ロ−ドレ−ス、ツ−ル・ド・フランスの最終ゴ-ル地点、コンコルド広場で
選手たちの到着を待つ人たち。



パリ 夏(3)(フランス)
1992年7月




シャンゼリゼ大通りに面した建物のバルコニ−や窓辺には、ツ−ル・ド・フランスを見物する人たちがすずなり。





シャンゼリゼ大通りは、ツ−ル・ド・フランスの見物人で溢れんばかり。

人垣を掻き分けて前面に出るのは至難の技。





パリ 夏(4)(フランス)

1992年7月



ル−ヴル美術館のピラミッド






ミラノ
(イタリア)
1992年7月



ドゥオモ広場で、鳩の群れと戯れる子供たち。









スカラ広場。

右手、レオナルド・ダ・ビンチ像、
正面、オペラハウス、スカラ座。











1878年完成のピットリオ・エマヌエ−レ2世ガレリア。

明治11年、ミラノでは、このように巨大なアーケード商店街が、産声をおあげていたのだ。










スフォルツェスコ城。

15世紀中頃、ミラノ大公フランチェスコ・スフォルツェスコが建てたお城。

城内に、考古美術館がある。




ベネチア(1)(イタリア)

1992年7月

水の都、ベネチア。
前に広がるのは、サンマルコ運河。
右手海上に浮かぶのは、サンジョルジュ・マッジョ−レ教会。




ベネチア(2)(イタリア)
1992年7月


サンマルコ広場の船着場。

ゴンドラやパポレット(水上バス)
が、いかにもベネチアらしい。







船頭さんは、狭い運河を巧みな棹さばきで、ゴンドラを流していく。












カンツォ−ネの美声が、運河に轟きわたる。













運河をまたぐ架け橋からの眺めも、また旅情をそそる。




ベネチア(3)(イタリア)

1992年7月

サンマルコ広場。
正面は、サンマルコ大寺院、右手に大鐘楼の赤レンガ色の下部構造が見える。



ベネチア(4)(イタリア)

1992年7月


ベネチアン・グラスの工房。

ガラスの色を出すのに、赤系統が高くつくらしい。




ロ−マ (1)(イタリア)

1992年7月



1762年に完成したトレビの泉。

泉に投げられたコインの行き先が気になるが、ユニセフへの寄付とのこと。





べネチア広場正面に建つ1911年完成のピットリオ・エマヌエ−レ2世記念館。

マヌエ−レ2世が、1861年イタリア統一を成し遂げた。







コンドッティ通り。

この通りには、世界の一流ブランドのブチックが、軒を連ねている。






ロ−マ (2)(イタリア)

1992年7月

古代ロ-マ遺跡、コロッセオ。



サンピエトロ広場(バチカン市国)

1992年7月

柱廊が周りをとりまくこの壮大な広場には、40万人収容できるといわれる。



アテネ(ギリシャ)
1992年7月



アクロポリスの丘に聳えるパルテノン神殿。










パルテノン神殿。













パルテノン神殿にいたる石段は、観光客で溢れんばかり。








1896年に、第1回オリンピックが開催されたときの競技場。

大理石でできた見物席、馬蹄型のトラックが印象的。

つい、子供たちは、夢中になって一周走ってしまった。