ときめき part 18


ポルトフィーノ@(イタリア)

2011年7月

ジェノバからラ・スペッチアに至る110kmの東リビエラ海岸、その避暑地の中で、ポルトフィーノは最高級地。

富豪やスターに、ひそかに愛されている。




サン・ジョルジヨ城塞がある丘の上からの眺望。

左手に広がるのはジェノバ湾。

右に降るとポルトフィーノの入り江に通じている。









船の大きさによって、停泊場所が仕分けされているように見える。













サン・ジョルジョ城塞がある丘の小道。






ポルトフィーノA(イタリア)

2011年7月



観光船が出入りする入江の最奥部は、庶民的な観光地の雰囲気が漂う。







平地が極めて少ないので、建物が、船着き場まで迫っている。













お昼時、のんびりと客待ちをするタクシー・ボート。












ヨットハーバー。














停泊中の豪華船内で、寛ぐ人々の様子が窺える。






サンタ・マルゲリータ・リグレ
(イタリア)

2011年7月

サンタ・マルゲリータ・リグレは海岸線が長く、鉄道も通っているので、東リビエラ海岸ではもっとも開けたリゾート地といわれる。










午前9時半早くも、海水浴で、賑わう砂浜。












このヨットは、アメリカから大西洋を横断し、はるばるとやって来たのだろう。







リオ・マジョーレ(イタリア)

2011年7月

リオ・マジョーレは、チンクエテッレを構成する五つの村の中で、最東端に位置する小さな村。

鉄道駅前を飾る壁画は、印象的。


チンクェテッレ愛の小道(イタリア)

2011年7月


マナローラ村からリオ・マジョーレ村まで、海にそそりたつ崖を削って遊歩道が作られ、愛の小道と名付けられている。

左下は、マナローラの鉄道駅。







好天に恵まれ、風もなく穏やかなこの景観にひたれば、恋人同士夢や希望に胸が膨らむ思いがするに違いない。

また、雨風に打たれて歩けば、恋の厳しい道程を象徴しているようにも思えることだろう。








泳ぎだけでは、物足りないよ。

釣りも楽しまなくっちゃー。













この辺りは、長さ数十メートルの墜道になつている。

ここは、記念写真のスポット。










先方に続く小道を左に曲がって進めば、終着地リオ・マジョーレ村に辿りつく。






マナローラ(イタリア)

2011年7月


海上から見たマナローラ。
ここもチンクエテッレの一つ

我々の乗っている定期船の到着を待つ乗船客が行列をなしている。







マナローラには、船留まりがないために、船は陸に揚げられている。













ハット人目を引く店作りではあるが、何となく近寄りがたい感じもする。












砂浜がないので、若者独占の海水浴場となっている。











10メートル以上はありそうな岩頂からのダイビング。

やはり勇気がいるらしい。構えの姿勢から踏切るまで、かなり時間のかかる若者もいた。





ヴェルナッツア@(イタリア)

2011年7月


ヴェルナッツアは、チンクエテッレの5つの村の中でも規模が大きい。

正面右寄りの黒い塔が建っているところが城砦跡。
ブドウ畑からの俯瞰。






ブドウ畑に通ずる崖路から見た風景。












城塞は、今やレストランやホテルとして活用され、土地の人々の暮らしを守っている。






ヴェルナッツアA(イタリア)

2011年7月


ここには、人工的に造られたと思われる防波堤がある。











防波堤の中には砂浜もあり、子供連れの家族や老人たちの格好の遊び場となっている。













にぎやかで、愉しい海辺のレストラン。











観光地での皆揃っての記念写真。

この行動パターンは、日本人の専売特許ではない。





チンクェテッレ遊覧船(イタリア)

2011年7月

チンクエテッレとは、東リビエラ海岸の東端部に並存する5つの村の総称である。

海岸線は断崖絶壁が続いているため、昔は交通手段として船に頼るしかなかつた。

漁業とワイン造りで生計を立ててきた。




5つの村は、それぞれ世界遺産に登録されている。

われわれは、ポルトヴェーネレで遊覧船に乗り、チンクェテッレの海岸線に沿って航行、ヴェルナッツアで下船した。









断崖絶壁の続く海岸線。

家や畑が今にも海にずり落ちそう!











マナローラに途中寄港。

船首から乗船用の桟橋が繰り出される。




ポルトヴェーネレ(イタリア)

2011年7月

ポルトヴェーネレは、ラ・スペティアの西側に伸びる岬の先端部にある。

12世紀に都市国家ジェノバの出城が築かれ、現存している。









港に面したレストラン。

11時近く、天候も回復してきた、今日も千客万来間違いなし!











港で出漁準備に余念のない漁師さん。

この恰好は、万国共通。











かっての城砦が、今も人々の暮らしと共に生き続けている。













こんな場所でお遊戯すれば、自ずと歴史感覚が育まれることだろう。











がんばれ、がんばれ、素晴らしい眺望が待っているよ。





ラ・スペティア(イタリア)

2011年7月

ラ・スぺティアは、東リビエラ海岸の東端にあり、東リビエラ観光の拠点である。
長い海岸線に沿って、リゾート施設が整然と緑豊かに整備されている。



また、ここには、イタリア海軍有数の軍港が設置されている。

写真の人物と船舶は軍関係か?



パルマ@(イタリア)

2011年6月


パルマは、ミラノの南東120km。
中世時代から美食と芸術の街として名高い。

食では、パルメザンチーズと生ハムが有名。小説「パルムの僧院」の舞台にもなった。





オペラ劇場「テアトロ・レージョ」。

パルマは、指揮者トスカニーニ生誕の地。









中世時代の領主ファルネーゼ家の宮殿。

現在は、国立美術館、国立考古学博物館、ボトニー美術館、ファルネーゼ劇場が開設されている。








ドゥオーモ広場で課外授業を愉しむ学生たち。





パルマA(イタリア)

2011年6月



ドゥオーモ広場で、撮影合間の休憩をとる役者たち。











みんな気取った感じはなく、気さくに観光客との記念写真にも応じてくれた。












サン・ジョバンニ・エヴァンジュリスタ教会前の広場には、中世時代の撮影用セットが無造作に置かれていた。












子供たちの背後の建物は、12世紀ロンバルディア・ロマネスク様式のドゥオーモ。











ドゥオーモの内部。

コッレッジョが描いたフレスコ画「聖母被昇天」が有名。




モデナ(イタリア)

2011年6月


モデナは、ミラノの南東160kmにある小都市。

ローマ広場にあるエステ家のドゥカーレ宮殿。現在は士官学校。






モデナは、バルサミコ酢の名産地。

ブドウ果汁を自然発酵させ、樽に詰めて熟成して造られる。

熟成年数をかけるほどに、味がまろやかになり、高価にもなる。

チーズに高価なバルサミコ酢を乗っけて、味見をさせてくれた。

酸味というより、まろやかな甘みが心地よい。









街の中心部にある市場(メルカート)。











柱廊をめぐらした長い建物、中世にタイムスリップした雰囲気。



 



ボローニャ@(イタリア)

2011年6月

ボローニャは、ミラノの南東200km、ベネチアの南西120km、
エミリア・ロマーニャ州の州都である。

古代から交通の要衝、穀倉地帯の作物の集積地として栄えてきた。






1088年に創設されたヨーロッパ最古のボローニャ大学。












大学の建物の内部には、色鮮やかなフレスコ画が描かれている。















中世、宗教界の圧力に屈せず、世界初の人体解剖が行われたボローニャ大学の解剖室。














ファッショナブルな出で立が、街に彩を添える。




ボローニャA(イタリア)

2011年6月


マジョーレ広場とネプチューンの噴水。












右手の修復中の建物がサンペトロニオ聖堂。











ボローニャは柱廊(ポルティコ)の街である。

ほとんどの建物が、通りに面して柱廊が設けられている。

この広壮な柱廊は憩いの場ともなっている。









ボローニャ名物の2本の斜塔。

中世、貴族は高い塔を競って造った。

高い方はアツネッリ塔、498段の階段を登れば、頂上に達することができる。












ボローニャでもつとも華麗だといわれる柱廊。





ミラノ(イタリア)

2011年7月


午後6時、斜陽に輝くドゥオーモ










ビットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア。

なお、1992年のミラノは「ときめきPART 0」に掲載。