ときめき part 26


リガ 展望
(ラトビア)

2014年9月

ラトビアの首都リガ。

13世紀末、ハンザ同盟への加入を契機に発展し、バルト三国で最大の都市となった。

バルト海からダウガヴァ川を30km遡上したところにある。




リガの旧市街は、1997年に世界文化遺産に登録された。

これらの写真は、13世紀に建立18世紀に改装された聖ペテロ教会の尖塔にある展望台から撮った。



リガ 中央市場
(ラトビア)
2014年9月

巨大な敷地面積を誇る中央市場。

「まかしといて!」 生きのいい売り子のおばさん、どれもおいしそうにみえますね。








カマボコ状のドームが、縦に4個、横に1個並んでいるがこれが中央市場。

20世紀初頭に、ラトビア領内に建てられたドイツのツェペリン飛行船の格納庫を解体移設したものらしい。

もう、歴史的建造物の資格十分か?。


リガ ユーゲントシュティール建築群
(ラトビア)

2014年9月

19世紀後半から20世紀にかけて、ヨーロッパを中心に起こった美術運動をドイツ語でユーゲントシュティール、フランス語でアールヌーヴォーという。

その独特の装飾性と造形で異彩を放った。



リガには、ヨーロッパの都市の中で1番多くユーゲントシュティール様式の建物が、残っているといわれる。

リガで最も活躍した建築家は、地元出身のユダヤ系ドイツ人ミハエル・エイゼンシュタイン(父は、有名な映画監督)だそうだ。



リガ 旧市街
(ラトビア)
2014年9月

市庁舎広場に市庁舎と向かいあつて建つ、かってのギルト会館ブラックヘッドのギルド。

リガ創建800周年の記念事業として2000年に再建完了したばかりで、ここに大統領執務室があるそうだ。





金持ちのラトビア人の商人が、ドイツ人が支配的なギルト組合に加入できなかったことを根にもって、ギルトハウスに尻尾を向けた猫の建物を造った。

ギルトハウスが音楽堂に代わると、音に誘われて猫は180度向きを変えたとユーモアーたっぷりに語り継がれている。




リガ 街歩き@
(ラトビア)

2014年9月

景気はどうかね?

うーん、もう一つだね。








大聖堂近くにある瀟洒な街並が続くTirugonu通り。

写真には写っていないが、この通りに面した左手前の建物の一階に、キッコーマン直営のレストランがあった。









ユーゲントシュティールの街、リガにふさわしい風情のあるレストラン。

女性も微笑んでくれた。





リガ 大聖堂
(ラトビア)

2014年9月

リガ大聖堂は、1211年に建築がはじまり、幾度もの増改築をかさね、18世紀後半に現在の姿になった。

塔の高さは、90m。

聖堂内には灯がともり、コンサートの準備が始まっている。



大聖堂にあるパイプオルガンは、1883年に造られたもので、パイプが6718本、長いものは10mにも及ぶ当時世界最大級のものであった。

パイプオルガンコンサートは、貴重な体験になった。








午前11時半、一雨来たせいか、昼食にはまだ早いのか、レストランも閑散とし寂しげだ




リガ 街歩きA
(ラトビア)

2014年9月

紫を基調にして、それにマッチした色合いの花々が配置され、細やかな気配りが感じられるレストラン。








地元の小学生だろうか、お土産の風船を貰って記念撮影です。













公園わきの果物屋さん、こんなところでこんなにたくさん売れるものなんですかね。

なーに心配ご無用といった表情のおばさんでした。




ルンダーレ宮殿
(ラトビア) 2014年9月

ロシアのピヨトール大帝の姪アンナが、愛人ビロン公のために建設を始めた宮殿。

完成したのは、両人が居なくなった1768年。

⇒は、黄金の間。









公の寝室。

左右にある陶器の置物は、暖炉。











宮殿の2階から見える庭園の景観。

この宮殿は、「バルトのヴェルサイユ」とも言われているそうだ。







宮殿は、第2次世界大戦後のソ連時代には、無粋なことに倉庫として利用されていたらしい。

現在は、政府のレセップション会場として使われたり、博物館として一般に公開されている。





ビリニュス ケディミナス城からの眺め
(リトアニア)

2014年9月

ビリニュスは、リトアニアの首都で、旧市街は1994年に世界文化遺産に登録されている。

その名が歴史上の記録に登場するのは、13世紀からといわれる。






ネリス川の向うに、新市街が広がっている。




ビリニュス 旧市街@
(リトアニア) 2014年9月

正面の塔は、大聖堂の鐘楼、その右手の建物が大聖堂。

19世紀に建てられたネオクラシック様式である。

ソ連からの独立運動「人間の鎖」は、この広場からスタートしたといわれる。




聖アンナ教会、16世紀に建てられたゴシック様式で、33種類もの赤レンガが使われているそうだ。

ナポレオンが侵攻してきたときにこの教会を見て、フランスに持ち帰りたいと言ったと語り継がれている。


ビリニュス 旧市街A
(リトアニア) 2014年9月

旧市庁舎から見た市庁舎前広場。

前方にみえる尖塔は、正教教会。







旧市庁舎から道路を挟んで東南側に建つ聖カジミエル教会。

1604年にイエズス会によって建てられた教会。

この教会は、支配者が変わるたびに変身させられた苦い歴史を有する。

ソ連時代には、皮肉にも無神論博物館になっていた。



ビリニュスの街歩き
(リトアニア)

2014年9月

ついシャッターを切らずにはいられない、ハイセンスな佇まいのお店でした。









この絵いいわネー。

この様子から察するに地元の夫婦連れであろう。

なんとなく生活感が漂っている。










月曜日の午後3時近くになってきた、陽もやや傾きレストランも一息ついているところだ。






ビリニュス 夜明けの門
(リトアニア)

2014年9月

15世紀に造られた9つの城門で現存しているのはこの一つだけになっている。

城門の上に礼拝堂が造られている。

これは城内からみた景観である。




礼拝堂には、聖母マリアのイコンが飾られていて、奇跡を起こす力があると信じられている。



ビリニュス 聖ペテロ&パウロ教会
(リトアニア)

2014年9月

17世紀に造られたバロック様式の教会。

この教会の凄さは、外観よりもその内部にある。







教会の内部は、2000にも及ぶ漆喰彫刻で装飾されている。

イタリアから招かれた彫刻家たちに、数百名の地元の職人が協力して30年の歳月をかけて完成したといわれる。


十字架の丘 (リトアニア)

2014年9月

朝霧にけぶる草原の向うに、、十字架の丘が遠望される

この草原は、リトアニアの北部シャウレイという町から北東約10kmのところにある。






帝政ロシア支配に反抗蜂起して殺されたり、シベリア流刑となった人々を悼んで、1831年頃から人知れずこの草原に十字架がたてられ始めた。

第2次世界大戦後のソ連時代には、KGBや軍がブルトーザーでなぎ倒し焼却を繰り返したが、人々は屈することなく十字架を立て続けた。




この丘は、十字架の国リトアニアのシンボルであるとどうじに、宗教迫害抵抗のシンボルでもある。

1993年、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がここを訪れた。

今や、世界中から十字架を立てに来る人びとがあとを絶たないそうだ。


クルシュー砂洲@ (リトアニア)

2014年9月

クルシュー砂洲は、2000年にユネスコ自然遺産に登録された。

左の本土側クライベター港からフェリーで内海を渡れば、5分で右のクルシュー砂洲の船着場に着く。





このあたりの海岸線に沿って、パルニッジョ砂丘が続いている。

ドイツ人作家トーマスマンが「北のサハラ」と呼んで親しんでいたと伝えられている。








「これ琥珀じゃないかしら?」

「うん、どれどれ、Perhaps・・・!」

バルト海周辺部には松林が多いので、波に誘われて琥珀がやってくる。


クルシュー砂洲A
(リトアニア)

2014年9月

この付近は、松の樹林帯を直線道路が真直ぐに貫いている。

地元の人たちにとっては、心も踊るキノコの狩場なのだ。






クルシュー砂洲は、全長98km、バルト海の東端にお箸の先端を北に向けて浮かべたように細長く横たわっている。

北側52kmがリトアニア領、南側46kmがロシア領。

検問所の向う側がロシア領、ウクライナ状勢を反映してか、不気味な空気を感じた。



クルシュー砂洲 トーマスマン博物館
(リトアニア)

2014年9月

ノーベル文学賞を受賞したドイツ人作家トーマスマンが、1930年〜32年まで、家族とともに暮らした家が、トーマスマン博物館として保存されている。







トーマスマンの執筆部屋。

質素でこじんまりとした部屋だが、窓外には素晴らしい景色がある。











博物館の眼下には、静寂なバルト海と海岸線が展開し、素晴らしい作品を産み出す環境が整っていた。




クルシュー砂洲 ニダ@ (リトアニア)

2014年9月

ニダは、クルシュー砂洲の中心の町だが、この一帯には古くからの伝統的な漁師の家が残されている。

我々がイメージを描く日本の漁村とは、あまりにも違う風景に驚かされる。






庭には、リンゴの木が茂り真っ赤な実をつけ、花々とテーブルセットが、巧みに配置されている。









どこを眺めても、まるで絵本の中にいるような心持にさせられ、童心にかえったような気分だ。

隣に負けないように手入れに精出すのは、何よりの楽しみなんですよね。

でも、それって毎日が大変ですよネ・・、つい、老婆心が出てしまいました。



クルシュー砂洲 ニダA
(リトアニア)

2014年9月

海辺から少し奥まったところに、お洒落なレストランがあった。

ここで昼食をいただきました。

「魚介のスープ」、「タラのホワイトソース」、「アップルパイ」どれもロケ-ションにまけないお味でした。




この二人の女性は、観光客。

彼女たちは、この景観にどんな感慨を持つたのだろうか。








漁師たちは、持ち船の帆柱にこのような風見鶏のマークをつけていたそうだ。




クライペダ
(リトアニア)

2014年9月

クライベタは、バルト海に面した港町で、リトアニアで3番目に大きい都市である。

ダニェ川と帆船。








ダニュ川に面した公園。

建物の屋根には、煙突掃除の怪盗ルパン?像がのっかっている。









劇場広場のみやげ物屋の屋台。

いいお日和なんですが、琥珀は売れてますか?

かって、ヒトラーがこの広場で演説した時には、ただならぬ緊張感が漂っていたことだろう。







ダニュ川に面して、古い倉庫の建物が残されていた。

トロイの遺跡発掘で有名なドイツ人シュリ-マンも、一時この付近に住んでいたことがあるそうだ。



パジャイスリス修道院
(リトアニア)

2014年9月

18世紀に建造されたイタリアン・バロック様式の修道院。

この修道院は、リトアニアの中央部、古都カウナス近郊の閑静な場所に建てられている。







静寂につつまれ、時間がゆったりと流れる修道院の中庭。












創建時は、24名の修道僧がいたらしいが、現在は尼僧院となっている。




カウナス 杉原記念館
(リトアニア)

2014年9月

第2次世界大戦初期、ナチスの迫害から逃れるためポーランドからリトアニアに流入してきたユダヤ人のために、日本政府の指示に反し人道上の見地からビザを発行し続けた杉原千畝領事。

その旧日本領事館が杉原記念館として残されている。

当時、カウナスはリトアニアの首都であった。

杉原氏が発行したビザはおおよそ3000通に及ぶといわれ、これによつて6000余人の尊い命が救われた。

彼らは、シベリアから日本を経由しアメリカ大陸へのがれていった。



カウナス カウナス城
(リトアニア)

2014年9月

13世紀にドイツ騎士団の侵入を防ぐためにつくられた城塞。

現存しているのはこの塔と城壁の一部だけである。






台地状のカウナス城址公園。

展望の良い、清々しい風が吹き抜ける気持ちのいい場所だ。

城址右端の眼下には、ネムナス川がとうとうと流れている。





カウナス 旧市街
(リトアニア)

2014年9月

18世紀半ばに建てられたバロック様式の旧市庁舎。

一見、教会のようにもみえるが、現在は結婚登記所して使われ、若いカップルの幸せをあたたかく見守っている。





15世紀に建てられた聖ペテロ&パウロ大聖堂。

リトアニアのカトリック枢機卿が司祭する教会。











市庁舎広場を彩る飾り物。

中世には、この広場で市場がひらかれていた。




カウナス いろいろ (リトアニア)

2014年9月

カウナスは中世の面影ただよう
リトアニア第二の都市である。

⇒は、15世紀に建てられたゴシック様式の「ベルクーナスの家」。

昔、雷神ベルクーナスを祀る神殿があったと伝えられている場所に建っているのが呼称の由来。

現在、図書館として利用されている。



花々の美しさを際立だせるために工夫が凝らされた飾り付け。









ヴィエニベス広場。

リトアニア独立のために犠牲になった英雄たちにささげる石積の記念碑が建っている。

カウナスでは結婚式後、記念碑に献花するのが伝統になっているそうだ。


トラカイ城 (リトアニア)

2014年9月

この城は、14世紀後半ドイツ・チュートン騎士団の侵入を防止するためにつくられた。

30数個の湖と森に囲まれた自然公園の内にある湖中の城。

首都ビリニュスから約30km離れている。






16世紀以降、この城は廃墟と化していたが、1961年から26年の歳月をかけて復元された。












王座が二つあるのは、この城を協力して建てたキェストウティス公とヴィタウタス大公のためのものであろう。









壁に掲げられた緞帳。

防御につく騎士の勇姿か?、はたまた、迫りくるチュートン騎士団が描かれているのであろうか?、聞き忘れてしまった。