ときめき part 27



タリン 展望 
(エストニア)

2014年9月

タリンは、エストニアの首都。

13世紀半ばに、ハンザ同盟に加盟し、16世紀半ばまで商業都市として隆盛を極めたといわれる。

これは、トームペア城の北の展望台からの眺めである。



これも北の展望台からの眺め。

タリンは、バルト海のフィンランド湾を横断してヘルシンキまで、直線距離で90km、バルト三国の北の玄関口である。

朝を迎え、クルーズ船が出港していく。






これは塔頂まで、124mあるといわれる聖オレフ教会の展望台まで、狭い死の螺旋階段を登って撮った写真。

旧市街の様子がよくわかる。

タリンの旧市街は、1997年に世界文化遺産に登録された。






これも聖オレフ教会の展望台からの写真。

緑の森に囲まれた標高20余mの丘に築かれたトームペア城の構造がわかる。




タリン ラエコヤ広場
(エストニア)

2014年9月

旧市庁舎前の広場。

中世には、市や祭り、結婚式、ときには処刑なども行われていた。

中央の一番背の低いレンガ色の屋根の建物で、14世紀から続く市議会薬局が店舗を構え、今も営業している。



広場のこちら側は、彩り鮮やかな民族衣装のお人形さんがお出迎えしたり、温もりを感じる雰囲気がある。











午後5時半頃の広場は、客の争奪戦を前にして、まだのんびりしたムードだ。












こちらのサイトは、修復を終えたばかりの建物だろうか、新築のように光り輝いている。。




タリン 夜のラエコヤ広場
(エストニア)

2014年9月

14世紀半ば創建された旧市庁舎。

北ヨーロッパに残る唯一のゴシック様式の市庁舎とされる。

高さ65mの「トーマスおじさん」と呼ばれる尖塔が、夜空に冴えわたっている




夜の9時を過ぎると、レストランで食事をとる人の姿もまばらになってきた。










昼はあんなに賑わっていた広場も、閑散としてきた。

名残惜しいタリンとの別れを告げるには、ふさわしい環境と言えるかもしれない。




タリン 城壁は残った
(エストニア)

2014年9月

塔は、「のっぽのヘルマン」という愛称で親しまれている。

塔上には、いつもエストニア国の三色旗が翻っている。塔高は約50m、監視塔であろう。

城壁内に、一見ふつうの建物に見えるのがトームペア城。


左側の角塔は、中世、売春婦の牢であったので「乙女の塔」(ネイットルン)と哀愁を込めて呼ばれている。

右側の円塔は、領民の暮らし向きを観察するための、「台所をのぞけ」という意味のドイツ語「キーク・イン・デ・キョク」という愛称がつけられている。





右側の丸い形の大きな酒樽のような建物はなんでしょうか。

中世の食糧庫でしょうか?

トームペア城の城壁は見取り図で測ってみると、驚くことに周長2.5kmの8割程度が残っている計算になった。




タリン ヴィル門界隈
(エストニア)

2014年9月

旧市街入り口の一つ、ヴィル門前に軒を連ねる花屋さん。

この花束はどうですか、まだ何か、タリンかしら?







旧市街から見たヴィル門。

右手の門塔の基部は、城壁が切り取られたようにも見えます。










夕暮れ時、これから淑やかに旧市街へ向けて出走する馬車。

御者は、これがまた粋なことに、濃紺のマントを羽織った男装の麗人でした。




タリン 中世の街並
(エストニア)

2014年9月

「三姉妹」と呼ばれる15世紀に建てられた3軒の商家の集合体。

正面の家壁の上部に、屋根裏倉庫に荷揚げするクレーンの支柱が突き出ている。

今は、ホテルになっていて、天皇陛下が2007年にお泊りになった。




道幅も狭く、曲がりくねっていて、建物の入り口に上がり框もなく、なんとなく中世の雰囲気が感じられる。









この行き止まりの路地奥には、思わず誘い込まれてしまいそうな、魔女の住む雰囲気がありました。

このおばあさんが魔女!、そんなご冗談は・・・・。





タリン ヴィル通り
(エストニア)

2014年9月

中世では、タリン港に通じるビック通りやライ通りが、賑いを見せていたそうだが、今は、ヴィル通りが旧市街のメイン・ストリートになっている。

後方が、ヴィル門。





降りもブレーキを引く手に力が入るけど、お客を乗せたこのながい登りはそりゃー大変なんだ。

後ろの白壁は、旧市庁舎。










石に描かれた中世の若人、まるで生きて立っているように見えます。




タリン 街歩き
(エストニア)

2014年9月

午後5時、うつむいて歩く女性の後ろ姿のせいでしょうか、なんとなく寂寥感が漂うショット。








ピンク色の建物を引き立てる、街灯、黄色い旗、白い建物、白い上衣をまとった女性、それに右側の古色蒼然とした家壁。

すべて計算されたような配置の妙を感じました。









ドイツ系とおぼしき若い男性観光客?、これに似た街並みは見たことあるよなぁー!どこだったっけ。









午後4時過ぎ、みずみずしい草花で飾り付けられたレストラン。

にぎやかな夜を前にした、静かなひと時でした。




タリン あれこれ
(エストニア)

2014年9月

9月14日日曜日、タリンに到着したとき、街は国際タリンマラソン2014で盛り上がっていました。

紙電車で参加している陽気な人たちは、どんなグループなんでしょうね。




アレキサンドル・ネフスキー聖堂。

1901年ロシア皇帝アレキサンダー3世によって創建されたロシア正教教会。

議会の前にこの教会が建っているのは、エストニア人にとってわだかまりを感じるものらしい。





聖ニコラス教会。

聖ニコラスは航海人の守護聖人、現在この教会は教会美術の博物館になっている。



タリンの近郊 離宮
(エストニア)

2014年9月

18世紀前半、ロシアのピヨトール大帝が妃エカテリーナのために造らせた離宮。

現在は海外美術館として、一般に公開されている。






大帝はエカテリーナのために、この離宮とそれを取り巻く広大な「カドリオルク公園」を造った。

この写真は、離宮の内にある庭園




タリンの近郊 カドリオルク公園
(エストニア)

2014年9月

カドリオルク公園の中にある噴水池。

朝の陽射しがまぶしい。








カドリオルク公園内の天使像。

手にかざしているのは、ロシア正教のロシア十字架。











カドリオルク公園の近くにあるヨットハーバー。

港の向うはバルト海。



タリンの近郊 歌の原
(エストニア)

2014年9月

歌の原、1988年9月11日に、国内各地からエストニア人の3分の1にあたる30万人がここに集い、独立の篤い思いを歌にした。

この民族の凄まじいパワーが、1991年の独立を勝ち取るための起爆剤になったといわれる。




5年に一度開かれる「エストニア歌と踊りの祭典」の最終日に、各地から観客10万人と民族衣装の3万人の歌い手がここに集い、大いに盛り上がるそうだ。




ムフ島 野外博物館
(エストニア)

2014年9月

われわれは、地元エストニアのテレビ局が、この島の伝統的な民族舞踊を取材中に訪れるという、幸運に恵まれた。

踊り手は妙齢を過ぎたご婦人ばかりですが、次代への引き継ぎは心配無用ですよね。





好天に恵まれ、お披露目も無事に済んで、本当によかったわ。

きれいな織物でしょう。
優しくたたんであげるから、もう帰りましょうね。







この野外博物館は、もともとエストニアの作家ヨハン・スムールの生家であつたものだそうだ。

19世紀に建てられたものらしいが、茅葺と石積のせいだろうか、もっと古いもののように見えてしまう。




ムフ島 コグヴァ村
(エストニア)

2014年9月

野外博物館のあるコグヴァ村のこのあたりの家々は、敷地の周りにパドック風の低い石組塀をめぐらし、木組みの手開き門を設けているところが多い。







のどかな島暮らし、ほんわかムードでおっとりタイプのネコちゃんですね。

知らない人たちに、あまり近づいてはいけません。おばあちゃんが心配して見てるよ。








樹にはリンゴの実が、赤く色付きはじめています。

ここに、カケスや仔羊が登場したらベストショットになるのですが。





サーレマー島 クレッサーレ城
(エストニア)

2014年9月

14世紀後半に、島の西側を支配していた僧正によって造られたお城。

城郭は、修道院型といわれる正方形で、典型的な騎士団の城となっている。






お城の一郭で、ドイツの音楽学校で修行中という御嬢さんが、中世の楽器を演奏してくれた。











城郭の粗い石組の大きな部屋で、地元で採れたばかりのキノコの展示会が開かれていた。

その種類は200種ほど。

色や形も違い、大きさも20cm以上もある物から微小なものまで、ただ驚くばかりであった。







午後9時過ぎ、宿泊したホテルの窓から撮ったライトアップされたクレッサーレ城。




サーレマー島 クレッサーレの街並 
(エストニア)

2014年9月

クレッサーレは、島の中心的な街で、13世紀に島が僧正領になってから拓かれてきた。

午後5時50分過ぎ、車がお出かけから帰ってきた。

何を買い込んできたのかな! 隣のおじさんは興味津々。



午後6時、土曜日のお出かけお疲れ様でした。

私、東洋からの観光客で、怪しいものではありませんから、ご心配には及びませんよ。









お城を背景にした大きな道路の真ん中に、テーブルをセッティングして、これから結婚披露宴といった雰囲気でした。

今日は土曜日、おそらく当たりでしょう。




サーレマー島 クレッサーレの海岸
(エストニア)

2014年9月

午前8時、夜明け間もないクレッサーレの海岸。

大漁をよろこぶ漁師夫婦のユーモラスな像が建っている。

港を出るとバルト海。ホテルの窓から撮影した。





地元の釣り人たちが釣り糸を垂れていた。結構な釣果のようだった。











海鳥も、お相伴にあずかってご機嫌。
ここらの人とはみんな仲良しなんだもん。

 



サーレマー島の風車
(エストニア)

2014年9月

アングラという地名の場所にある風車群。

左の風車は、風向きに合わせて首が動くオランダ式。
右のふたつは、体全体が動く構脚式。

ここには、全部で5個の風車が並んでいた。



クレッサーレの町で、レストランの敷地内にあつた風車。

石組み首振り構造のオランダ式、もともとここにあったものか確認できませんでした。




サーレマー島 カーリ・クレーター
(エストニア)

2014年9月

隕石落下でできた穴。直径110m、深さ16m。

落ちたのは、数千年前と言われ、はっきりした時期は解らないらしい。

それにしても、隕石は地下深くにあるのですよね。


この穴は、確かに貴重な遺跡には違いない。

しかし、見た目には単なる大穴にすぎないので、馬子にも衣装でもなかろうが、遺跡に付随して、手入れの行き届いた公園が造られている。

 



サーレマー島へ渡る(エストニア)

2014年9月


フェリーは、約30分程で、エストニア本土側のヴィルツ港に着く。