ときめき part 29



シュべリーン城@
(ドイツ)

2015年5月

シュベリーン城は、シュベリーン湖とブルク湖の間にある小島に築かれている。

10世紀に、スラブ人がここに城塞を築いたのが始まりとされる。

現在の城は、1857年に完成したネオ・ルネサンス様式である。



この城は、フランスのシャンボール城をお手本にしているそうだ。

今日も、幾組かの結婚式が行われたようで、記念写真を撮る場面に何度か遭遇した。







玉座の間。

寄木の床にご注目。





シュべリーン城A
(ドイツ)

2015年5月

城の窓越しに見えるシュベリーン湖。

遠方に、ヨットが浮んでいる。










現実に存在するのではなく、絵のように感じられる風景。













こんなところにゴンドラがと違和感を感じてしまうが、これもご愛嬌、お客様に悦んでもらえればいいことでした。





シュべリーン城B
(ドイツ)

2015年5月

空中回廊。

美しい景色を眺め、陽春の香気をふくんだ微風に触れて、なんとも心地よい気持ちになりました。








このお城は、地元の人々にとっても憩いの場であることがわかりました。











城の窓越しに見える風景です。





シュべリーン
(ドイツ)

2015年5月

シュベリーンは、ハンブルグから東へ、94km隔った湖水地方にある。

ここには、11の湖と池があり、州都ながら人口は9万人。


管楽器の街頭演奏は、いかにもドイツ趣向である。




マルクト広場。

正面の大聖堂は13世紀に完成した新教の教会。

白い列柱の建物は、18世紀に常設市場として建てられたもので、現在はカフェになっている。







マルクト広場に面した市庁舎では、新婚のカップルが祝福を浴びていた。












几帳面で、綺麗好きなドイツ人らしい飾り付けではないだろうか?




蒸気機関車モーリー号@
(ドイツ)

2015年5月

バルト海沿岸の街、バート・トラーベンとキュールングスボルン間15.4kmを走行する蒸気機関車。

「モーリー号」の愛称で親しまれている。

蒸気機関車がバート・トラーベン駅を出発したところである。



鉄道は、1886年にバート・トラーベンとハイリンゲンダム間6kmで開業したが、1914年にキュールングスボルンまで延長された。

左は、バート・トラーベンの街なかを走るモーリー号。








モーリー号が、まるで路面電車のように、街をゆっくりと走り抜ける。

軌道幅は90cmで、鉄道としては世界最狭軌だそうだ。




蒸気機関車モーリー号A
(ドイツ)

2015年5月

愛情のこもった眼差しで、モーリー号を見送る人々。











単線のため、ここで停車して下り電車の通過待ちをした。












余談になるが、この鉄道の中間地点にある街ハイリンゲンダムでは、2007年6月に主要国首脳会議が開催された。




蒸気機関車モーリー号B

(ドイツ)

2015年5月

森林地帯になると、遮断機のついた踏切があった。









森林地帯を、スピードアップしてモクモクとひた走るモーリー号。












終点キュールングスボルン西駅に到着して、機関車は列車から切り離された。





蒸気機関車モーリー号C
(ドイツ)

2015年5月

終点キュールングスボルン西駅には、モーリー博物館が併設されている。

そこに展示されている蒸気機関車。

案内板には、1951年製と書いてあった。思ったほどの老兵でもない。




モーリー博物館は、自然な環境のなかに、設営されている。












終点キュールングスボルン西駅を出て、すぐに、目にした街の景観。





 車窓の風景@
(ドイツ)

2015年5月

街路樹から萌黄色の若葉が芽をだし、
道端には黄色のタンポポが並び咲き、
麦畑と菜の花畑が絨毯を敷きつめたように広がる。

北ドイツの大地は、いま、春の息吹に満ち満ちている。



道路の両側に、開放的で明るい住宅地が続いている。

ライラック、マロニエ、リンゴなどの樹々には、白色・赤色・紫色の花々が咲きほこっている。









車道わきには、人・自転車専用道が併設されていて、人々が余暇を楽しめるよう十分配慮されている。





車窓の風景A
(ドイツ)

2015年5月

この季節、北ドイツはどこまで行けども行けども、菜の花畑が続いている。

これから、菜種油が搾りとられる。








雲間から射す光が、大地に幻想的な色模様を創り出している。












北ドイツでは、いたるところで風力発電塔を目にした。

プロペラがまわるときに出す音は、人間の脳神経に害を及ぼすので、ドイツでは立地規制があるそうだ。



リューベック@(ドイツ)
2015年5月

リューベックは、中世、ハンザ同盟の盟主であった。
12世紀に領主から自治権を得たハンザ商人たちが、都市建設を始め、14〜15世紀にかけて全盛を極めた。現在の人口21万人。

2個のトンガリ帽子を被った建物が、リューベックのシンボル「ホルステン門」、城の西門である。
1478年に建設されたが、3.5mの厚い壁の重みで傾いている。

左手前の建物が、運河に面した倉庫群。

ここにある4枚の写真は、聖ペトリ教会塔からの展望である。

リューベックは、バルト海の河口から約10kmほど遡上したところに立地し、旧市街の周りを運河が取り囲んでいる。

運河の左側が旧市街。

正面が、聖マリエン(マリア)教会。 100年の歳月をかけて1350年に完成したゴシック様式。

この教会は、ハンザ商人たちがつくった教会。 聖母マリアはリューベックの守護聖人。

他のハンザ都市もこの教会を真似たとされる。

1705年、バッハが、この教会のオルガン奏者ブクステフーデの演奏を聴くために、アルンシュタットから400kmを、歩いて来たことは有名な話らしい。

広場は、マルクト広場。

広場に面して柱廊のある建物が13世紀に建てられた市庁舎。

柱廊のある建物の様式や壁の色がそれぞれに違う。

そのことが増築を重ねた歴史を物語っているそうだ



リューベックA
(ドイツ)

2015年5月

ホルステン広場通りは、新緑で心が浮き立つ思いがした。








旧市街中心部のブライテ通り。

聖ヤコブ教会の尖塔が見える。

この教会は、船乗りたちの教会である。








修復中の建物は、ハイリゲン・ガイスト病院。

聖ヤコブ教会の筋向いにあり、13世紀に建てられたゴシック様式で、なかには酒蔵レストランもあるらしい。







これは、「ガング」と呼ばれる長屋。

ハンザ商人が商人の未亡人達のために、館の奥庭に建てた長屋形式の住宅。

リューベックには、数十か所のガングが現存しているとのこと。




リューベックB
(ドイツ)

2015年5月

マルクト広場では、「中世祭り」が開かれていた。

舞台が始まる前の腹ごしらえでしょうか?

男性ばかりが飲み食いしていますネ。





見張り役のオジサンでしょうか、いかにも眼力がありそうです。

女性の立派なお尻も気になります。









この人は、いかにも中世風の身繕いですが、足元に目をやると白い運動靴を履いていました。

そのいい加減さに、親しみを感じました。



リューベックC
(ドイツ)

2015年5月

マルクト広場の「中世祭り」の続きです。

お二人の醸し出す雰囲気がいいですね、心が和みます。








お兄さんの目つき、笑っちゃいますね。












これは、手動式の観覧車です。

乗っかっている坊やは、おっかなびっくりでしたよ。

手に力が入っています。





リューベックD
(ドイツ)

2015年5月

レンガ造りの建物は、1535年に建てられた船員組合会館、シッファーゲゼルシャフト

船乗りたちは、航海前の打ち合わせなどをここでしたらしい。

今は、レストランになっている。




ここで、昼食をとった。

帆船模型が吊るされたり、ムード満点の店づくりに感動した。



シュトラールズント
(ドイツ) 2015年5月

ハンザ都市の多くは、波浪と海賊を避けるために、河口から遡上する河港に造られているが、シュトラールズントは、バルト海に直接面していて、珍しいケースだ。

目の前に大きなリューゲン島があり、バルト海が入り江のように入り込んで安全は確保されている。

この付近には、城壁が残り、静謐な時が流れている。

マルクト広場に面した右側の建物が市庁舎。

13世紀に着工、ファサードだと4・5階建てに見えるが、中身は2階建て、アーケードもある。

シュトラールズントは、1234年に領主からロストックに授けられた法、すなわち「リューベツク法」で自治権が認められ、建設が始まった。

リューベックの孫娘都市といえる。人口は6万人弱。

港に、係留されている帆船。

中世のハンザ同盟時代の帆船としては、立派過ぎるが、時代考証は不明のまま、残念でした。

先方に見える陸地は、リューゲン島。


リューゲン島(ドイツ) 2015年5月

リューゲン島は、ドイツ最大の島。広さは、926Kuで佐渡島のおおよそ1.1倍、人口は7万人強である。

島のこの地域は、「カルパチア山脈の現生ブナ林群とドイツの古代ブナ群」という長い名前で、世界遺産に登録されている。

珍しい生き物にも出会えました。

民族衣装の女性は、現地ガイドのコニックさん。

ビンツ地区。

ここは、白砂の長い海岸線が続き、海水浴のできるリゾート地として人気があります。

海岸に面して白亜のリゾート・ホテルが建ち並び、この時期でも結構賑わっています。


ドイツの父の日 (ドイツ)

2015年5月

キリストの昇天祭の日は、ドイツでは「父の日」です。今年は5月14日。

父の日は、父親が、家長としての力量と男らしさとを育む日とされ、日本とは随分違います。

父親たちは、仲間たちと徒党をくんで、好きなところに出かけ。好きなことをして、羽目を外すのが習わしだそうです。

この日ばかりは、世間も怖い怖い奥方様達も、大目に見てくれるそうです。

この連中は、ビールとワインで相当出来上がっていました。

われわれのバスを軽々と追い越して行きました。


この車は、ややシャイなお父さんのグループでしょうか?

それにしても、運転手は、どうやって決めるのでしょうネ、随分割損な役回りに思えますが。

父の日は、交通事故件数も増えるそうですが、これも社会的には許容範囲なのでしょう。


ロストック
(ドイツ)

2015年5月

ロストックは、1228年リューベック法を採用して、リューベツク市民により建設が始められたハンザ都市である。人口は20万人。

1300年には、都市全体を取り囲む城壁が完成していた。

バルト海からヴァルノウ川を13km遡上した、リューベックから東北東に120kmの距離にある。

当時の船足で2日行程である。


18世紀に、バロック様式で改装された市庁舎。

広場では、おとーさんたちが、これから出かける「父の日」出征の打ち合わせ中。。







ロストック大学前広場。

この広場には、ナポレオンと戦ったブルヒャー将軍の銅像が建っていた。









市内を走るトラム。

何ともユニークな広告を纏っていたので、ついシャッターを。



車窓の風景B
(ドイツ)

2015年5月

羊の放牧場。

柔らかくておいしい春草を、夢中に食べている。

近くで、水も飲めて最高だよね。






こんな広い牧草地に、2頭だけ放牧されていた。

馬肌の色艶のなんと鮮やかなこと!







牛の放牧。

この牛はホルシュタイン種。

ここ、ドイツ最北部のシュレースヴィッヒ・ホルスタイン州から、アメリカに連れて行かれ、ホルシュタインと呼ばれたのが命名の由来だそうだ。



ヴィスマール@
(ドイツ)

2015年5月

ヴィスマールは、リューベック法を採用して、ロストックにやや遅れて、建設が始ったハンザ都市。

バルト海が切り込んだ湾奥に位置している。人口は4万人強。

リューベックの東方60km、中世の船足で1日行程の距離である。

写真の左側にあるのは、1602年に造られたマルクト広場の古井戸。



やや鄙びた古都の雰囲気がただよう街並。









マリエン(マリア)教会の塔。

第二次世界大戦で破壊され、今は記念碑として、高さ80mの塔だけが残されている。










見事な紫色のライラックの花と、美しい色合いの家壁に、心癒される街角。



ヴィスマールA
(ドイツ)

2015年5月

宿泊したホテルの前庭からの眺め。

前方に、バルト海の湾が展望される。







ヴィスマール港。

港の一番奥まったこのあたりは、漁船の船溜まりになっていて、船で漁師の御かみさん達が、海産物を売っていた。










港の中ほどは、帆船のたまり場になっていて、開けた港の風景が気持ち良い。










ホテルの近くを散歩していて出会ったドイツの若者。

元気はつらつ、まったく屈託がない。

記念写真のシャッターを押してあげた見返りに、こちらも写真を撮らせてもらった。




車窓の風景C
(ドイツ)

2015年5月

野はタンポポの花盛り、早春の長閑な風景です。










できることならバスを止めて、足を運んでみたくなる、フーズム郊外の邸宅。

白い花をつけているのは、リンゴの木でしょうか?