ときめき part 4



ガウディの世界(バルセロナ・スペイン)
2006年10月

サクラダ・ファミリア教会、グエル公園、カサ・ミラなど、ガウディの作品を観た。
それらの作品から、彼の幼児のような純粋無垢な自然観察眼と、その眼で捉えた動植物を独創的に造形化する奇才を、十分感じ取ることができた。

この教会の完成した姿を観ることができるのは、いつの時代の人々であろうか。
何百年かにまたがる壮大なプロジェクトの現場を、この目で垣間見ることのできた感動は忘れがたい。







動植物を極彩色のタイルで造形した作品群や柔らかな曲線を多用した構造物がもたらす効果であろうか。
グエル公園に足を踏み入れた途端、何となく童心に戻ったような気分にさせられてしまった。












グエル公園にも、このような大人の雰囲気を感じさせる領域もあった。





サン・ジュセップ市場(バルセロナ・スペイン)
2006年10月

サン・ジュセップ市場は、バルセロナで一番規模の大きな市場である。
バルセロナ最大の繁華街、ランプラス通りに面したところに、市場の入口がある。

肉屋の店頭にところ狭しと吊り下げられた豚の塩漬け腿肉(生ハム)








多種で新鮮、色鮮やかな果物の店














市場の一角には、屋台があって、美味しそうな食材に刺激されて、活発に動き始めた胃袋を、即座に満たすことができる。




大道芸人(バルセロナ・スペイン)
2006年10月

 市民や観光客が大勢集うランプラス通りは、大道芸人のパフォーマンス競演の格好の場所となっている。

うっかり、本物の彫像と騙されそうになったこのパフォーマンスは、その中でも、出色のできばえであった。


バレンシア(スペイン)

2006年10月

バレンシアは、人口80万人、スペイン第3の都市である。

温暖な気候、オレンジ、パエリアがよく知られているが、スペインが誇る芸術科学都市とも言われ、都市の近代化が著しい印象を受けた。

魚を模ったデザインの建物や陽光に華やぐ広場の風景は、この都市を象徴しているように感じられた。






開放的なレストラン。




クエンカ(スペイン)
2006年10月

 クエンカの旧市街は、川の浸食と風化によってできた丘のうえにある。
その奇観から、「魔法にかけられた町」といわれるそうだ。

架け橋の右上に見える、断崖に張り出したかたちの建物は、「宙吊りの家」とやや誇大広告的な呼び名が付けられている。
二百数拾年前までは、、市庁舎として使われていたそうだが、現在は抽象美術館になっている。





右側の丘の上に建っているのが、パラドール・デ・クエンカ。
かっては、修道院であったが、改装されて現在ホテルとして利用されている。










パラドール・デ・クエンカのなかにあるレストラン。木組みの天井に修道院の名残が感じられないだろうか。
真正面のタイル張りの壁画は、心を和ませる色調である。




マドリッド(スペイン)
2006年10月


プラタナスの並木がたおやかに繁り、緑陰がすがすがしいプラド通り。
15年前にみた景色と全く変わっていない。
ここだけは時間が止まり、樹木も眠りについていたのでないかと思えるほどであった。









国立ソフィア王妃芸術センターの中庭。

ピカソの「ゲルニカ」は、42年間にも及ぶ亡命生活を経て祖国に帰り、プラド美術館別館に展示されていたが、現在このセンターに安住している。





セゴビア(スペイン)
2006年10月

 ローマ水道橋。
長さ728m、高さ28mといわれる。
紀元1世紀から2世紀頃に創られたとみられている。

南フランス、ポン・ジュ・ガールに残るローマ水道橋に比べると、橋自体の構造は小さいけれども保存状態は極めて良好である。






とても2000年近い歳月を、生きながらえてきたとは思えないほどの壮健さである。
現在も水路として利用されている。









アルカサル・デ・ゼゴビア。
ディズニー映画「白雪姫」のモデルとなったお城。

14世紀に建てられ、イサベル女王の即位式、フェリペ2世の結婚式は、ここで執り行われた。


トレド(スペイン) 2006年10月

古都トレドの支配者は、2000年前にはローマ人、その後西ゴート族、次にイスラム教徒と代わり、1085年にレコンキスタ(国土回復運動)によって、キリスト教徒が支配権を奪回した。

このような歴史のなかで、キリスト、イスラム、ユダヤの文化が融合し、個性的な街が形作られていったといわれる。

この街の細い道が入り組んだ迷路は、イスラム文化の影響を強く受けていることを感じさせる。



大聖堂。スペイン・カトリックの総本山である。

15年前訪れたときは、カテドラルの内部はほの暗く、構造物は薄墨を塗ったように黒ずんでいた。
歴史の重みと、なんとなく身の引き締まるような尊厳さを感じさせる雰囲気が漂っていた。

その後、修復が施されたのであろう。
いまや、創建されたばかりかと見まがうほど、神々しく光り輝いている。






トレドで一番賑やかなソコドベール広場、その西側建物中央部にある歩廊を抜けると、そこは坂道に通じていた。

トレド自慢のアーモンドの粉で作ったお菓子、マザパン(MAZAPAN)の老舗は、ソコドベール広場に面した西側にある。
お土産として好評であった。日持ちがするのが何よりである。








ソコドベール広場の周りには、バルやカフェがたくさんあって、人々は思い思いにトレドの夜を楽しんいた。


ラマンチャ地方の風車(スペイン)
2006年10月

 ラマンチャ地方、カンポ・デ・クリプターナの丘に立つ風車。

ドンキホーテが、巨人と間違えて戦いを挑んだとされる風車である。

この丘の360度開けた展望も、また風車に劣らず素晴らしい。



ラマンチャ地方 プエルト・ラピセ村(スペイン)
2006年10月


ラマンチャ地方は、「ドン・キホーテ」の物語の舞台となったところである。










プエルト・ラピセ村もドンキホーテが旅した村のひとつだそうだが、いろんなところに、ドン・キホーテやサンチョパンザが居て、旅人の微笑を誘う。





グラナダ(スペイン)
2006年10月

 グラナダは、スペイン南部アンダルシア地方にある古都。
街の南東部にシェラ・ネバタ山脈が聳えている。
イベリア半島でもっとも長く(約800年)イスラムの支配下にあった。

左の写真:アルハンブラの丘からの展望







サン・ニコラス広場近くの居酒屋では、地元の人々が、ギターを奏で、歌声を張り上げ、秋の夜長を愉しんでいた。





アルハンブラ宮殿(スペイン)
2006年10月


アルハンブラ宮殿は、イスラム教徒が14世紀後半に、グラナダ王国の宮殿として完成させたが、1492年には、無念にも、カトリック教徒に無血で開け渡すという悲運に泣いた。

アラヤネスの中庭

池に映っているのが、コマレス塔。
このなかにコロンブスがイサベル女王に謁見した大使の間がある。





ライオンの中庭

ここはハーレムで、王様以外の男性は入れなかった。
繊細で、シンメトリックな美しさに心をうたれる。
庭の中央には、12頭のライオンが支える噴水がある。






アセキアの中庭

アセキアの中庭はヘネラリフェ離宮のなかにある。
この離宮は、夏の別荘として造られた。
50mほどの水路に水が流れ、噴水が優美な曲線をかたどり、いかにも涼しげな風情である。




ミハス(スペイン)
2006年10月

 コスタ・デル・ソルの白い村ミハスは、海岸線から車道を辿って、9Kmほど内陸に入ったミハス山脈の山麓に、街並みがベルト状に広がっている。

昔、村人は、オリーブとアーモンドの栽培で生計を立てていたそうだ。








現在、この村は、外国からあこがれてやってきた移住者が、人口の50%近くを占めている、との説明であった。











日本から来た放浪の若人が、路上販売からスタートし、お洒落で素敵な装身具と衣料品の店を2店舗、繁華街に開設するまでになったという成功譚を、在住の日本女性から聞いた。




ミハスの家並(スペイン)
2006年10月


村人は、自分の家を年に1度は、白く塗り替えることを義務付けられている、との話であった。

だけど、何時も、まるで洗いたてのような純白さが保たれているのは、人為によるものであろうか、はたまた、気候など天意によるものであろうか。

右の写真:1日の仕事を終え、家路につく馬車。









ミハス ガイド写真の定番、サン・セバスチャン通り。





ミハスのロバ・タクシーと闘牛場(スペイン)
2006年10月

 ミハス名物のロバタクシー

夕刻、広場で仕事から開放されたロバ達が、「ああー、今日は疲れたよー」といわんばかりに、大きな声で泣き叫ぶのを、御者が、必死になってなだめている、なんともほほえましい光景を目撃した。







ミハスの闘牛場

この闘牛場は、四角い形が珍しいと喧伝されるが、いかにも村の闘牛場らしく、ちっぽけで可愛らしい



ジブラルタル(イギリス領) 2006年10月


ジブラルタルは、領土のほとんどが石灰岩でできた標高426mのターリク山である。イベリア半島の南端、スペインから陸続きの半島に位置している。

この場所は、地中海から太西洋への出口に当たるので、軍事的な要衝である。18世紀初頭、スペインがスペイン継承戦争でイギリスに敗れ、それ以降、イギリス領となり今日に至っている。

平地が極めてすくないので、ジブラルタル空港の滑走路の真ん中を、スペインに通じる幹線道路が横切り、飛行機が離着陸するときには、遮断機が降りて、通行禁止になる。

上の写真は、スペイン側から見たジブラルタル。

右の写真は、ターリク山南側の岬。
ここから地中海を20kmほど隔てたところが、アフリカ大陸のモロッコである。







ターリク山から見たジブラルタル港の風景。



ジブラルタルの繁華街(イギリス領)
2006年10月

 ジブラルタルは、タックス・ヘイブンである。
酒、タバコなどが安く買えるので、週末ともなると、スペインから大勢の買い物客が押し寄せてくるそうだ。

この写真は、月曜日の繁華街の賑わいである。


ジブラルタルの猿(イギリス領)2006年10月


この猿は、北アフリカ原産という。ジブラルタルに定住するようになった経緯は不明らしい。

「ジブラルタルから猿がいなくなったとき、イギリスの統治も終わる」という伝説が、ヨーロッパにはあるそうだ。

第二次大戦中に、チャーチル首相が、「この猿をもっと増やせ」といった話も残っていて、イギリスは今もこの猿を、北アフリカから補充しているという。

日本の観光地にいるニホンザルに比べると、大変お行儀がよく、人間に悪さなどしない、気立てのいい猿どもである。(上の写真の子猿は例外、例外、お許しあれ)

悟りきった大人の風格を備えたボス猿のようにも見えるし、認知症であるようにも見える。



セビリア(スペイン)
2006年10月

 セルビアは、グアダルキビル川をくだって大西洋に出られるため、大航海時代には、スペインの新大陸貿易の中心地として大いに繁栄した。

左の写真は、スペイン最大の規模を誇るセビリア大聖堂とヒラルダの塔。

コロンブスの墓がこの大聖堂の中にある。







この街の雰囲気に合った白馬車。
















旧市街の一角。
この街では、黄色が好まれるようだ。
建物の柱、窓枠、梁などに、この色がよく使われている。














民家のパティオ。