ときめき part 5


テージョ川(リスボン・ポルトガル)
2006年10月

リスボンの街は、テージョ川の河口部に向かってひらけている。

テージョ川の河口部は、川幅が狭いところでも2km、広いところでは湿地も含め15kmほどもあり、海ではないかと錯覚する。

左の写真は、
テージョ川にあるヨットハーバー。
向こうに見える建物が、天正少年使節団も訪れたジェロニモス修道院。
この港の左方に発見の記念碑やベレンの塔が建っている。



左の写真は、
ヨーロッパ最長(2227m)の吊橋といわれる4月25日大橋を南側から渡りきった辺りから見たテ-ジョ川岸


 


アウグスタ通り(リスボン・ポルトガル)
2006年10月

リスボンの繁華街にあるアウグスタ通り。

モザイク模様の石畳が美しい。

通りの中央を、こちらに歩いてくる男性は、逞しく、いかにも人がよさそうで、ポルトガルの船乗りではないかと想像するのは、こちらの勝手な思い込みであろうか。

この通りを真直ぐ進むと、テージョ川岸に出る。


サンタ・ジュスタのエレベーター(リスボン・ポルトガル)
2006年10月

 左の写真の中央部の細長い建物が、サンタ・ジュスタのエレベーターである。

丘の多いリスボン。
エレベーターの背後の丘に人や物を運ぶために造られた。

頂上から横に伸びた水平橋は現在閉鎖されている。

頂上には、カフェと展望台があり、眺望が素晴らしい。

設計は、エッフェルの弟子フランス人ルイス・レイナルドである。





サンタ・ジュスタのエレベーター展望台から、街並みとテージョ川を望む。




ピカのケーブルカー(リスボン・ポルトガル) 2006年10月

リスボンには、ケーブルカーが3線あるが、現在営業しているのは、このケーブルだけ。

下の終着駅まで、250m弱しかないので、市民にとって、あまり利用価値がなくなっているのかもしれない。乗客は、ほとんどが観光客である。

今後どんな運命が待っているのだろう。


路面電車 28号線(リスボン・ポルトガル)
2006年10月

リスボンには、路面電車が、5路線あり、どの路線も健在である。

1755年のリスボン大地震で、罹災を免れたアルファマ地区の、細い迷路のような路地や、ケーブルカーでしか登降できないように思える坂道を、平気で走るこの28号線は、観光客に一番人気がある。





この軌道は、アルファマ地区住民の生活道路でもある。

乗用車も人もこの道路を共用している。

先方の車は、バックしてわき道に入っていった。









右側の建物と路面電車の間隔は、人がやっと通れるほどの狭さである。


 



地下鉄(リスボン・ポルトガル)

2006年10月

リスボンには、地下鉄が4路線ある。

地下の通路、駅などの構造物は、ゆったりとした空間をもった造りになっている。

壁面などには、いかにもリスボンらしい淡色のタイル絵が各所に配置されていて心が和む。



リスボンの1日乗車券「7colinas」

リスボン市内の地下鉄、路面電車、ケーブルカー、エレベータに1日乗り放題。

お値段は3.8ユーロ、150円換算で570円である。

格安で、極めて使い勝手がよい。日本のスイカと同じように自動改札機にかざすだけでよい。

市内各所にあるキヨスクの売店で購入できる。






地下鉄 車内の風景




リベイラ市場(リスボン・ポルトガル)

2006年10月

 リベイラ市場は、130年の歴史を持つリスボン最大の市場である。訪れたのが、午後であったために、残念ながら、1階の市場は、店じまいになっていた。

2階のダンスホール、ご老人たちがダンスに興じていた。入口で、若いお兄ちゃんが入場券を販売していた。

イワシの塩焼き(リスボン・ポルトガル)
2006年7月

 
リスボン名物、イワシの塩焼き。

イワシは炭火焼である、臭みもなくあっさりした味で、とても美味しく食べやすい。

日本で食べるイワシとは、全く違った上質の味わいであったのは、旅での心の高揚のせいばかりではなかろう。



この日 2人で昼食として注文した品々は
イワシの塩焼き 1皿、アサリの酒蒸し 1皿
野菜スープ 1皿、グラスワイン 1杯、コーラ 1缶

注文なしで付いてきたもの
オリーブ 1皿、野菜サラダ 1皿
インゲンとジャガイモの茹でもの 1皿
パン山盛り 1篭

以上で勘定は 26.75ユーロ 150円換算で4013円であった。


エヴォラ(ポルトガル)
2006年10月

 
エヴォラは、世界遺産に登録された古都である。

旧市街は城壁に囲まれている。


左の写真右手に見えるのは、古代ローマの遺跡ディアナ神殿である。
2、3世紀ごろに造られたといわれる。







ジラルド広場?













エボラの住宅街





エヴォラの公園(ポルトガル)
2006年10月

 ポルトガルは、空気も水気をふくみ、樹種も豊富で、スペインからこの国に入ると、われわれ日本人はなんだかほっとした気分になる。

10月だというのに、公園の芝生は色も鮮やかで初秋とは思えないみずみずしさである。









胡椒の木、
大航海時代東洋から持ち帰った胡椒。

その胡椒の木に赤い実が房状にぶらさがっている。






エヴォラ大学の学生(ポルトガル)
2006年10月

 エヴォラ大学は、1511年創設のイエスズ会派の神学校を前身とする、古い歴史を持つ大学である。

天正少年使節団も、ここを訪れたと伝えられている。

エヴォラ大学の新入生であろうか、町のいたるところに、ストームをかけていた。





彼らを見ると、われわれの脳裏にも、青春時代の思い出が蘇ってきて、彼らが差し出す帽子に、つい気持ちよく硬貨を投げ入れてしまった。
                                            


エヴォラの焼き栗売り(ポルトガル)

2006年10月

焼き栗はポルトガルの名物である。

ジャガイモが栽培されるようになるまで、ポルトガルでは、栗を主食にしていた地方もあるといわれる。

いかにも人のよさそうな、はにかみ屋のこのおじさんの焼き栗は、誠意に満ちた味がするのだろうか。