小さな勝負と、ささやかな幸せ (注意:とらいあんぐるハート1のネタバレを若干含みます)
「…ふぅ。」
誰ともなく、俺はため息をついた。
別に不幸だからとか、そういったことからではなく。
今は、幸せだと思う。
可愛い恋人もいるし、実際楽しい毎日だ。
でもな…
「せんぱい〜」
後から、聞きなれた声が聞こえて、俺は振り向いた。
日本人離れした白い肌に、美しく長い髪、端正な容姿。吸い込まれそうな瞳の色は深い瑠璃色に耀き、ヨーロッパの血が入っていることを感じさせる。
付き合い始めたころよりかなり背が伸び、今は俺と同じくらいだ。
昔は可愛いと言う表現がぴったり来る彼女だったが、今は、美しいという表現がしっくり来る。
毎日見慣れたはずの俺ですら、たまに見惚れてしまう。
「……」
「…先輩?」
気が付くと、目の前にまで来ていた。
…どうも、また見惚れてしまったようだ。
内心の動揺を隠して、ゆっくりと微笑むと、彼女に呼びかけた。
「…ああ、おはよう、さくら。」
「うふふ…はい、おはようございます。」
どうやら、隠したつもりだったが、見つけられてしまったようだ。
花が咲いたような微笑を浮かべながら、さくらは俺を見つめる。
…まだ見つめている。
「……」
「……」
そして、ゆっくりとさくらが目を閉じる。
…その動作につり込まれるように、俺も目を閉じ、近付く。
別に不満があるわけではない。
しかし、いつもさくらに主導権を取られることについてはたまに、俺にも年上の意地と言う奴が出てくる訳で。
とは言っても、さくらは頭も良いし、知識もあるし、感受性も鋭いしで、なかなか俺が主導権を取るのは難しい。
で、こんなことを考えたわけだ。
今日は、俺達が付き合い始めて一年目。
俺の前には、今日の為にこしらえた、フランス料理のフルコースが並んでいる。
小鳥直伝の料理の腕だけは、さくらにも負けない域にまで達しているのだ。
今日はワインも用意してある。
というか、むしろこれがメインだ。
この日の為に、いろいろ調べておいたのだ。
一般的には、フランスの、ボージョレの「サンタムール(聖なる愛)」や、「カロン・セギュール(ラベルにハートマークが描かれている)」「シャトー・ミュジニ−・レザムルーズ(恋する乙女達)」が有名らしいが、あえて俺はこれを選んだ。
スペインのシェリー、「アモンティリャ−ド」だ。
結構きついし、癖のある酒だけど、この酒の意味は、スペイン語で「愛する人」。
こういう気取った料理には丁度良いと、これを買った店の人に薦められたのだ。
そして、俺もそこで初めて教えてもらったのだが、これを飲むと言うことには、もう一つの意味があるのだ。
その時の会話を思い出してみる。
「…という意味がありまして。こちらなどが、良いと思いますよ?」
まだ若そうなソムリエが、微笑みながらそのボトルを薦めた。
「…え、ええ、そうします。」
思っていたより高いけれど、目的にはぴったりだしな…これにしよう。
・・・・・・
さすがにあれは、さくらでも知らないだろう…。
俺はニヤリと笑うと、テーブルを整え、さくらが到着するのを待った。
と、玄関の呼び鈴が鳴る。
俺は急いで玄関に行き、ドアを開けた。
「こんにちは、先輩」
「ああ、いらっしゃいませ、さくらお嬢様。」
「え? …ふふっ、変な先輩」
いたずらっぽく笑うさくら。うう、可愛い。
…いかんいかん。今日の計画、計画。
「ええと、取りあえず上がって?」
「おじゃましま〜す」
笑いを収めて、さくらが居間へと来る。
「凄いですね…これ全部先輩が?」
テーブルに並ぶ料理の数々を見て、さくらが俺に問い掛ける。
「ああ。今日は記念日だからな。」
「…先輩も、覚えてたんですね?」
「勿論だよ…忘れる訳ないだろう?」
まるで、昨日の事のように思い出せる。
初めは、体の弱そうなさくらが心配で。
だんだん距離が近くなって。
付き合い始めて。
そして、さくらの秘密を知って。
氷村のことがあって。
今俺達が、こうしてここにいれるのは、様々な幸運があったからで。
「……」
「……」
「…まぁ、とりあえず、食事にしようか?冷めちゃうし。」
「……はい」
でも、それだけじゃない。
それが、幸運によるものだけじゃないことを、俺達は知っている。
さくらの親戚や、実家の人とか、いろいろあったけど。
二人で、何とか頑張って来た。
だから…
・・・・・・・・・
テーブルに並ぶ料理を、予め用意したとおりに出していく。
まずはオードブルを薦めながら、シェリーを用意する。
これは食前酒なのだ。
「あ、美味しいです先輩」
「そう…それはよかった」
「今日は、こんなものも用意してるんだけど…」
そう言いつつ、用意しておいたシェリーのコルクを抜く。
「これ…シェリーですか?」
「うん。そうだけど」
そう返事をしつつ、静かにグラスにシェリーを注ぎ入れる。
気のせいかもしれないけど、ほんの一瞬、視界の端で、さくらが顔を赤らめたような気がした。
「……えっと…じゃあ、頂きます」
「どう?」
グラスの中のシェリーを一口飲むさくら。
「美味しいですよ…先輩も、飲んでみます?」
さくらの瞳の中に、何かが宿ったような、そんな気がした。
グラスの中の琥珀色の液体を口に含み、さくらが近付いて来る。
そして、唇が触れ合い、その中の液体が、俺の中へと送り込まれる。
「……!?」
「……OK、ですよ?先輩?」
綺麗な顔に微笑と恥じらいとを浮かべながら、さくらがささやいた。
「……ああ」
シェリーのもう一つの意味。
男性から出されたシェリーを飲むと言う事イコール、「今夜はOK」と言う意味なのだそうだ。
(やっぱり、さくらにはかなわないな……)
顔に出ようとする苦笑を感じつつ、俺は無理やりそれを封じ込めた。
腕を伸ばし、さくらを抱き締める。
…料理は無駄になりそうだ。
…事が終わり、時計を見る。
時間は既に、日が変わろうとするころだった。
横には、何一つ身に着けないままのさくらが横たわっている。
「ねぇ、さくら」
「…はい?」
「その…シェリーのこと…知ってたの?」
「…はい。お爺様が、シェリーを好きで、良く召し上がってらしたんです。いつだったか、冗談交じりに話してくれました」
「ちぇっ。今度こそ、さくらに勝てるかな?と思ってたのになぁ…」
「そんな事…ありませんよ?」
「え?」
「私だって、いつも、思うんです」
不思議がる俺に、はにかみながらさくらは答えた。
「先輩を見てると、好きで、好きでたまらなくて。先輩のことしか、考えられなくなって。だから…私、先輩には、きっと勝てません」
そう言って、さくらは今度こそ、にっこりと笑った。
「私も、先輩に…負けっぱなしです」
そして静かに、俺の胸の中に顔を埋めた。
…そうだな。
さくらがそう思ってくれてるなら、お互い様だよな。
グラスに注がれたシェリーが苦笑したかのように、わずかに波立つのが見えた。
END
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