2011年3月11日東日本大震災 福島原発事故 双葉町の一部の様子  HOME

 勝手に記録します(以下記録は当サイト管理者の佐藤敏宏が作りました)

 以下の内容がツイートされた音声は聞き取りにくい。聞き間違い有り 誤字脱字有り  内容を読んで 正誤の判断は各自にてお願いします。 JVJA ジャーナリスト達には県内を北上し移動中なので了解を得ていません 

         私が見たしまった ツイート内容
   JVJA(佐藤)森住氏、昨日の取材の様子を動画上で説明。音声は悪いですが、昨日のプレスリリースより詳しい内容です。http://bit.ly/gZboMn
 

ジャーナリスト達が危険だと警鐘をならしています 下記の内容に成らないことを 祈ります 

 記録をおよみくださいませ  (3月17日続報 映像が公開されました)
 
 取材開始 2011/03/13

森住卓
:今日(13日)午前中双葉町にはいりました。日本ビジュアルジャーナリスト協会のメンバーとデーズジャパンの編集長の広河さんと。私、それから綿井野田、それから豊田山本)の5人のメンバーと今日の朝 広河さんと6人で(双葉町に)入ったんですね

放射線測定器を三種類の測定器を3台持って。一台ずつね持っていって。国道228号線をずーっと行ってですね。10時前後ですかね正確な時間は分かりませんが。双葉町に入って放射線の測定を始めたんですね

もう凄く高くって、役場やその前の手前に高校が在るんですけども。そこの近くでもチェルノブイリ原発の4号炉の、あそこから200mぐらいの所ですかね。測った。 広河さんの話しなんですけども。それよりも高いと。

双葉町役場 双葉厚生病院

で役場に行って汚染の酷さを伝えようということで。役場に行ったんだけど。もう全員避難していて、誰も居なくってですね。(双葉町)役場の玄関で測定をしたところ、我々が持って行った計測器3台とも振り切れてしまって測定不能というような状況になってしまいました。

さらにその後 町の病院が在るんですが。双葉厚生病院。昨日(12日) すでに被曝者が出た病院ですね。ここに入って行ったらですね、玄関の所にストレッチャーが斜めに倒れかかっていたり。それから色んな物が散乱しているんですね。もの凄く慌てて逃げ出したって いうような感じがしたんですね。

1階のロビーには、ベットが斜めに横たわっていたり。あるいは輸血用のプラスチックの細いビニールパイプが散乱していたりですねしていました。 1階のロビーも。それから、そこには小児科の診療する部屋があったり、受付があったり、検診の部屋があったりしたんですが。検診の部屋を覗いて見ると そこも(放射線)チェックをするともの凄い汚染で。これも計測不能というような状況になっていたんですね。


 老人がいた

(双葉)町には。(凄い汚染)だから人っ子一人居ないと思っていたら、老人の方が自転車に乗ってね〜「何してるんだ〜」っていうような話をしたんで「ここはもう凄い汚染をしているので危険なので早く逃げなさい」っていう話をしました

町で見かけた男性は2人。バイクで通り過ぎて行った男の人が一人。あとは車が一台ぐらいかな〜僕の記憶では。 1時間ぐらい滞在してましたけれども、その期間に目撃した人でした。

最初ですね検問があるって思って。町に入る前にね。入れないんじゃないかと思っていたら、何も無くってスムーズにすーっと入れてしまったんですね。

ですから、我々が引き返して町から逃げる時に、国道288号線を逆に双葉町に戻って行く人たち、住民の人たちが居るんですね。その人たちを、途中で止めて「引き返した方が良いよ」という話しをしたんです。が。彼らは「衣類をとりに」行ったりね。、農家の人は「花に水をあげに」行ったり。そんなことをするんだって話をしていました。

ですから自由に出入りが出来るような状況になっていたんですね。そんなところです


撮ったビデオ映像より (聞き取りにくい)

 (役場での様子)広河:・・東京と同じ0.01の処でスイッチを入れると東京ではこの当たりに数字が行くはずなんです。ここでは(キー音)振り切れてしまいました。・・100倍でようやく、・・チェルノブイリ原発ではこのぐらいの値では・・・・・振り切れているから。この先どこまで行くのか分からないんです。これはもう放射能が・・・

(病院の様子玄関先)ストレッチャーがそのまま放置しされています。(中に入って)これは病院の受付待合い室があるところなんですが。そうとう本当に慌てて脱出したようにも見えます。物があちこちに散乱しています。 入院して急に脱出せざるを得なくなったような印象です。もう今病院の中は混乱・・



どういうかたちで 取材をしているのか

 放射線検知器

広河隆一さん(フォトジャーリスト):いつも自分の持っている放射線検知器で、東京なんかで測る場合には0.01レントゲンか 0.02レントゲン。この値は世界のどこの都市にもだいたい同じですけれども。今日も郡山を出るときはそれほど反応してなかったんです。けれども。途中の所から、すこしずつ上がり始めていきました。途中って10キロ圏に近づいた当たりですね

双葉町に入った頃からは、自分のその計器がおかしいんじゃないか?と思うぐらいの振れ方をしまして。それを ちょっと自分では信じられなかったんですけれども。この値ってどういうことかって言いましたら。私の放射線検知器は0.01、0.02っていう その当たり・・・大きく超えたところで振り切れてしまって。ピーーっていう凄い音が鳴るんですけど。その時には10倍に設定して。それでようやく中頃に当たりで止まるんですけど。その値というのが、だいたい0.4レントゲン、つまり普通の日本の東京から、測った場合の10倍ぐらいっていう。そういう値です。

ということはこの数値というのは僕には大事な数値で。チェルノブイリの事故の後の、現在 死の町になっている・・町の中で測たときにはだいたい それぐらいの数値ですから。

ところがそれだけではなしに。ドンドンドンドンそれを超えて、数値を超えていったわけですね〜。町の中に双葉町の町の中に入った頃からさらにそれでも、振り切れてしまって。100倍に設定して。100倍に設定しながら、だんだん原発方向に近づくっていうか。町の役場とか、それから病院なんかは、原発に近いところにありますから。3kmとか。そういう所で測った場合に僕の計器の100倍にセットしたのも振り切れてしまった。


計測不能の意味

そこで僕の放射線検知器の能力はそこまでなんですね。それ以上の放射線に対しては適応できないような仕組みになっているです。

だから僕自身はいままで、放射線っていうのは形も無い色も無いし。だから、どれぐらい恐ろしいことになっているのかって自身(では)感じることができないんですね。体の方は後でドンドンドンドン色んな(放射線障害)それを。あるいは癌のかたちで、被曝っていうのを、時限爆弾のように顕していくわけですけれども。(被曝してる)その時は見えないですから。

だからこの計器一つが頼りなんです。この計器が振り切れしまったときには僕はもう動揺してしまってどうしたらいいか分からない。そういう状況になるわけです。僕の放射線検知器が振り切れるっていうことはそういうことです。

チュルノブイリ事故の場合

チェルノブイリ原発の場合はもちろん事故が起きたときには現在の私達が計測している放射線の何千倍から数万倍っていう値がでましたから。だから即死するぐらいの。そういう放射能を浴びせられることです。だけどそれがこれだけの(25年?)の時間が経って原発の事故も鎮火して。そういう時間が経ってようやくその現在のかたちで汚染・・・それでも振り切れ寸前になることあって、振り切れる場所ってめったに無いんですね。


放射線の影響が出る範囲

そういう振り切れる場所ってどういう所かって言いましたら、何も10km圏内だけじゃないんです。10km圏の中でも、それより放射線の放射能低い所も在りますけれども。だけど逆に60km80km100kmでも いつまでもそういう値を出し続ける場所が在るんですね。

一番遠い所で僕の検知器が限度振り切れるぐらいになった距離は原発から280km離れてもだめ。だからもう はっきり言ってここ(双葉町)で何か起こった場合は東京も飲み込んでしまうぐらいの距離の所に。たとえばがそちらの方に吹いていたり、あるいはが降っていたら。そういうような状況がもし重なったりしたら、それの値が出てもおかしくないわけです。

チェルノブイリの場合は事故で。本当に日本の半分ぐらいの・・・・(地域)が汚染地域になってしまいました けれども。汚染地というのは大変な計器の振れようがあるので、放射線管理地域に。そういうようなかたで。そこに住むのは全く適さないっていう。

ところがそういう所でも住まざるを得ない人たちは現在も居るわけですけど。だけどこれがもし数基の原発が万が一の事故を起こしたら、今その(の確率が)万が一が1/100〜ら 1/10(何十分の一)に近づいているような状況があるんです けれども。

だけどそういう中で。もしもそんなことがあってしまったら、これは本当に、想像もしたくないけど。日本が消えてしまうこともありうるということですね。



 知らせない行政 とその危険性

最後にですね。非常に今厳しい状態にあるわけですけど、今後どういうふうに広河さんたち取材をすすめて、どういうことを、伝えていきたいとか、感じているのか教えて下さい。

広河:今日は。行政の方が汚染の数値を発表しないために。あれだけの汚染があるのに。行政は知らない訳じゃない。モニタ・リング一杯ありますから。

その数値を出さないために、その放射能を気付かず大勢の人たちが自分の家に置いてきた物を取りに戻ったりしている。 あるときは子供の乗った車なんか見付けて。ビックリして後追いかけて「ここにはもう滞在しない方が良いから」って。そういうこと言わざるを得ない。我々はそんな所でやっている

、これは行政がやらなければいけないと 監視人がそこに立ってどういう場合には許可するどういう場合は駄目、今も放射能が高いからだけど、低くなったら許可するなど 何かの対応しないかぎり、大勢の人々がいらない汚染を、被曝をする・・・・

 映像は切れる 



 以上公開されている映像からの言葉です 読んでいただきありがとうございました

 ジャーナリスト達は国・県などの行政の怠慢と 東電の情報隠蔽体質に対して警鐘をならしています。 多くの県民の人々や 日本に暮らす人々に 大変な事態だよと 注意を促しているのです
 危険な現場に入って警鐘を鳴らしていただいたジャーナリストの皆さん、ありがとうございます

 皆さんとも力を合わせ この困難をのりきって いこうではありませんか
 
    (記録作成:原発事故難民が暮らし始めた 福島市の一市民 佐藤敏宏)


  (3月17日続報 映像が公開されました)