1986年  月刊テルミー  4月号 掲載記事

コンクリートによる住宅建築に挑み続ける建築家  佐藤敏宏さん 37才

コンクリートの灰色の地肌が露出していた建物が多くの建築家によって作られている。建築雑誌の最新号を開いてみると、様々な意匠を施したこうしたビルの紹介記事が紙面を飾っている。その大半は商業ビルであり、たまに住宅が紹介されたとしても、建築費用は驚く程高い。つまり日本の最先端をいく建物なのだ。
 福島市に住む佐藤敏宏さんは、これまで4つのコンクリート住宅を手がけてきた。1つは5年前に建てた自分の家。それまで勤めてた福島市内の設計事務所を飛び出して、独立したきっかけに、自分の建てたい建物を初心に返って追求した答えが”コンクリートの住宅”だった。仕事の具体的な見通しもたたない中で、借地・借金で自分自身を建て主とした一つに賭。失敗すればすべてを手放し、実家へ戻って農業を手伝う決心をしていたらしい。
 佐藤さんは福島市大波の農家に生まれた。家計を助けるために、中学校の頃から工事現場で働いていた。県立工業高校に進学したのも、建築に興味があつたというよりも、早く一人立ちしたい一心だったらしい。高校時代も日雇い労働で学費をまかなったが、穴掘りなどの下請け労働を繰り返す日々の中で、いつしか建築の世界に入るなら設計士しかないといった強い確信を得た。
 卒業後、東京の大手建築会社に就職し、念願の一級建築士の資格をとる。十年間の東京時代に、倉庫や工場・アパートなどのあらゆる建築を手がけ、7年前に帰郷。して5年前に独立する。

自分の建築の根拠を”コンクリートの住宅”に定めたのは、素材を限定し自分自身を試したかった―という。
 だから現代建築の最先端とは無縁のところで仕事を続けたい。佐藤さんのねらいは明確なのだが、最近、佐藤さんが戸惑うほど”コンクリートの住宅”への照会が多い。1年に1つの住宅が入れば上出来と考えていたのに、昨年は2つ手がけた。たった一人の設計事務所・TAF設計にとっては生活の基盤を支えている”コンクリートの住宅”以外の仕事の依頼に支障を果たしかねない勢いなのだ。
 昨年相次いで完成した、岩瀬郡長沼町の学校教員・Oさん宅と。福島市渡利のアパート経営者・Tさん宅にお邪魔した。Oさん宅は、竹藪を背景に人家もまばらな農地の一角に建っている。
 5年前、佐藤さんをの自宅を訪ねたOさんは「車が好きな人はガレージに住めばいい」との言葉に今まで抱いて一般住宅に対する疑問が晴れたという。Oさんの住宅に対する考え方の中心は「流行に流されない平凡な住宅」だつた。が、次々に発表される商品としての住宅は、どう見てもファッションにしか過ぎなかった。自分の考えが反映したオリジナルな住宅を求めていたOさんにとって「ガレージに住めばいい」といつた佐藤さんの一言は大きなヒントになったという。
 それ以来Oさんは、4年にわたり自分の住宅を考え続けた。それは岩郡長沼町にある父母の農地を考えることであり、Oさん一家を考えることでもあつた。4年をかけて佐藤さんの言葉を納得したOさんは、設計を依頼した。今0さんの居間には竹藪に向かって大きな窓が開かれており、訪ね来る知人はよく描かれた絵画と見間違ったりするという。

 福島市渡利の住宅街の角地に建つTさん宅は地下室があり、2階部分までの吹き抜けの居間があり大きな骨組みは佐藤さんの自宅に似ている。子供の多いTさんは、コンクリートの堅牢さに似して、建設コストの安さ、空間の独自性が魅力だったらしい。空間の魅力に子供達が一番敏感だ。佐藤さんは自分の自宅を建ててから、三人の子供達の反応に注意した違和感を持たない自分の子供を通してコンクリートの住宅みら持つ空間の自信を深めた。実際Oさん宅もTさん宅も、子供が目を輝かせて住んでいる。「建て主の大人よりも、子供達に嫌われたら明らかに失敗だと思う」佐藤さんの住空間に対するもう一つの信念だ。

 意外なことだが佐藤さんは”コンクリートの住宅”に関しては、建て主の細かな要望を一切聞かない。依頼された地形や環境とまず対峙する。コンクリーは、型枠と呼ばれる木組みを工夫すれば、理論的にはどんな形でも作ることが可能だ。その一方で一度固まってしまったコンクリートの存在は人に威圧感さへ与える。設計の段階での誤魔化しは必ず形に現れる。依頼主の具体的な要望は無意識的にせよ、その時々の流行に影響されていることが多い。佐藤さんが住宅建築に関して最高に魅力を感じているのは、一般の商業建築にはない”非生産性”にあるのだ。建物を建てることによって利潤追求という代償を建て主から要求されない空間。その空間に建築家としての可能性をできうる限り試してみる。その意味で佐藤さんの”コンクリートの住宅”は佐藤さんの生きている証としての作品なのだ。建て主が何年かかっても対決していくような住空間の創造が佐藤さんの夢だ。その理想の住空間を「母親みたいなもの」と、少々照れて語ってくれた。


「建築とはなんでんです?」と問われたら、僕は「家族や人間とは何ですか?」と問い返したい。
ファイル  福島`84 家  1984年11月17日

福島市泉の住宅街の一角に、喫茶店とも倉庫ともつかぬ建物が建った。建築設計士佐藤敏宏さんは(33)才の自宅。門はない。壁は内も外もコンクリートの打ち放し。道路に面した北側には窓がなく、南側は吹き抜けのガラス張り。太陽光線を最大限にいかした生かした造りは夕方、空の色とともに刻々と表情が変わる。
 地下室、1階、中2階の台所、2階の子供部屋と高さにメリハリをつけて、仕切や戸障子をいっさい作らなかった。戸があるのはトイレと風呂場だけ。ピアノや壁の形で視覚的にさいぎられているが、「オーイ」と呼べばどこにでも聞こえる。「プライバシーは生活の仕方。壁をはりめぐらしたからと言って、守れるものではない」と佐藤さん。温水配管を張りめぐらし、黒塗りで夜間放熱効果を考えた床、ゆったりと大きなソファーと、体に触れる順に金をかけた。
 「ここまでは入っていいですよ」と区切るのは嫌なので、玄関もつ作らなかった。ガラス張りの4つのドアからいきなり居間か台所へー。気が付いたら農家の作りだつた。

「秋葉原感覚で住宅を考える」(石山修武・著、晶文社)という本が売れている。佐藤さんも「住宅は高い買い物なのに、買う人が一番調べてない」という。「生活の大切にしている部分って、一人ひとりちがうはず。その個性を表すとしたら、家しかないと思う。車好きはガレージに住めばいいし、頼む人がもっと自己主張すればいい。それがないので設計士も適当に図面引いてしまう」と。「平均的な家族」なんてないように「平均的な建て売り住宅」もあり得ない、という。
「ありもしないだんらんを、さもあるるあかのように家具なんて並べちゃうから、どこの家も同じなっちゃうんだ」
( 10日、福島市泉仲田の佐藤さん方で。一家5人 )
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その3
84年11月朝日新聞福島版・・・ ・・・・・・ 1986年  月刊テルミー4月号
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