掲載された佐藤敏宏
建築を作りながら生活してるのですし、折々に。バカボン猿なりに一所懸命にもがき考えて来たと思います。格好いい悪いは別にして・・さらしてみます。無学でたいした努力しませんからほど良い知識がないので、下記の内容には首を傾げることも多いですが、新聞や雑誌などに掲載されたものを整理・再提示して眺めることにします。それらを反芻してこれからのスタートの足がかりにしたいと思います。間違いなど可笑しいぞ・などありましたらメールいただけると嬉しいです  佐藤敏宏 m(_ _)m
どんな成り行きで朝日新聞の福島版に1年間イラストを描くようになったか良く覚えていないが、たぶん東松照明さんの「いま」という全国で展開された写真展の実行委員会に加わりその人脈続き等で頼まれたのだろうと思います。

1983年1月15日から毎週一回原稿を眺めては絵を付ける仕事をしました。文書は今は亡き会田健一郎さんが担当でした。その後数年間は今は廃刊になつた信夫野というタウン誌移りイラストの仕事が続きました。

楽しい大変ジャンと思いました。FAXなどない時期でしたから、担当記者が最終電車で朝日本社まで原稿を送るのですが、出来るのをそばで待つ・・超時間との戦いでした。ホッ・・今でもあの緊張感は一寸思い出せますね(-_-;)・・懐かしい限りと・・会田健一郎さんの安らかなあの世での生活をお祈りいたします
上記絵は私が1983年1月15日朝日新聞福島版に書いたもの
東松照明さんの「いま!!」は県文化センターで前年の12月18〜26日まで開きましたので。やはりその実行委員「噴出」の関係でしょね。新聞の方々ともだいぶ飲んだくれてたようにおもいだしますから。
みなんなどこでどんな暮らしをしてるのでしょかね (?_?)会田健一郎さんは私に最初に仕事を依頼してくれた人です。TV局の編集者を退職されジャズ喫茶・写真家・陶芸家でした。ともても博識で豊富な人脈がありましたね。BOX2が彼が依頼してくれた建築です。
上は展のチラシ
仕事をはじめたころは旅館の部屋の改修を頼まれて生きていた。そうした人との関係の中で生まれました。数々の呑み・話し合いの中で構築された催しだったと思います。
 土湯温泉の青年会のみなさん・舞踏家霜田誠二さん・私が1984年7月27〜29日まで「10ミニッツソロパフォーマンス」を企画開催した。
 全国から93人の参加者があり宿泊費は旅館が運営費は私が交通参加費は各自がとそれぞれの負担で3日間コンサート・ミニFM・実況レポートソロパフォーマンスがくり広がられた。
 後に記録集を出版しますがこれがはじめての本づくりの体験でした。手元に一冊もないので残念です。
 勅使河原三郎さんにお会いしたら、買い求めていました。80年代に何度か福島で踊りました。今は世界的踊り手演出家になってます。霜田さんのその後は解りません・・
1984年毎日新聞福島版掲載記事
左の絵は私佐藤敏宏がはじめてマスメディアから依頼され書き掲載された紙面です。金をいただいて書きました最初の文章です。毎日新聞1984年9月12日東北6県版でした。まだ生原稿が手元にあります。この文章を編集長がすこぶるほめてました。なぜだかわかりりませんでした (?_?)  いくらもらいどうしたか覚えてません(>_<)残念 私にとっては記念すべき文章なのであらためて打ち直して下に表示してみます。
メビウス的社会

真夜中によく叩く。賢い奴なのでつい時を忘れる。朝一番の飯坂線からけたたましい音が鳴り響く。奇怪な格好をし、朝を迎えるおかしな自分の姿に気付く。朝日に輝く信夫山に向かって背伸びをすると、頭の中から血の気が引いていく。スーッと
異次の世界にワープする
 ICに詰められた脳味噌が、色鮮やかに店先に並んでいる。脳味噌を交換する人々の姿が見える。たぶん僕の子孫なのだろうか。似たような顔をした人が行き交う。表情は父が入院してた病室の患者のように、目は虚ろで周囲の状況の変化にさしたる反応もしない。とても
シュールな風景だ。
 腹の虫が無情にも、今の時空に引き戻す。
「誰か仕事くれ!」「生物らしく無事生きていたいよー!」身辺の無事を考え出すと、家族のこと、友達のこと、どんどん広がって当然のように社会状況のことや生態系のことへと考えが進んでいく。しかし理論武装や連体して権力や制度へ立ち向かう気にはなれない。それらは同一平面上のことのように見えるからだ。
 
紙を細く切る。片面に「権力」もう一方に「反権力」と書き込み、一度ねじって紙の両端をつけてみる。メビウスの帯上に浮かぶ二つの単語。巷に飛び交う主張は一見、正反対のように見えるが実はこの帯上にある文字のように思える。だから一人で行動する人を信用する。原始なるコミュニュケーションを望んでいる。
 最近警備会社が月々数千円で家庭の安全を買いませんかとセールスに来る。これは最も身近な共同体の崩壊を意味している。だからと言って外へ出て趣味的サークル活動や生活を守る協会などの団体を作り、身内で盛り上げるようなことはしたくはない。
 7月27日から29日までの3日間、福島市の土湯温泉で「
パフォーマンスとシンポジューム84」を催した。聞き慣れない言葉で申し訳ないが自らの肉体と5感を用いて芸術表現や自己を主張する。一方通行的な表現活動の欠点を補うため、3日間同じ釜の飯を食い時間の許す限り討論する。単純に言えばこうなる。言葉で表現しきれないから、行動を起こすのだ、約100人の参加者が、土湯の時空や観客とコミュニケーションする。無惨にも自然にのみ込まれてしまう音や映像、表現行為や肉体の連続。「異常空間」の出現でもでもあり「素敵空間」の出現でもあった。
 参加者がステージに立つ緊張感は、人が無防備なる太古に帰る証か。奥底に眠る生への叫びか。あまりにも私的で奇妙な表現の数々と怪信号に、人々の反応は「ないやってんだべー」「トット
いかれてんでねーべがー」と一様に驚き混乱する。やがて素直に受け止めてくれる人達もいた。
 精神障害の土湯の
花摘みばあさん、町の青年達が植えた美しい花をすべて摘んでしまいみんなからそんな愛称で呼ばれてる。老婆の表情は、出演内容の良否を判断するには十分
 地元の子達は、お気に入りの参加者をお化け大会に招待したり、文通お始めると言う話も聞いた。
 柔らかな感受性は日常の多量な情報によってしらずしらじに硬化しると言うことか、目前から発せられた情報が最も快適で信用出来ると言うことなのだろうか。土湯の町には3日間不可思議な共同体が成立していた。最終日、全裸になった友人が逮捕された。僕の目から流れ落ちた涙は、パンツ一枚で管理されてることへの悔し涙だったのかもしれない。
 土湯の地の豊かな感受性と参加者への感謝を込めて、3日間の
全記録写真集を制作してる。パフォーマンスと言う言葉によって出来る垣根を取り払ってくれるはずである。
 今年の夏はバカに暑った。老婆も今日はポツンとベンチに腰掛けていました。神様仏様明日も
核爆弾がさく裂しませんようお願いします。 
80年代中ばから90年代へとまだ続ます  一端終わります m(_ _)m
以上1984年9月12日の毎日新聞掲載の原稿でした
1年間イラスト担当
HOME↑
佐藤敏宏へ
NEXT→
NEXT→
10ミニッツソロパフォーマンス記録集へ