槻橋修さん 最初の建築 体験記       home  

 AM8:30〜  AM10:30〜  AM 11:00〜 AM 11:15〜 まとめ 


AM 11:15〜

● コロコロ転げ落ち跳ね戻され辿り着いた奥の部屋の楽しさは先に書いたけど、近頃の内壁は白が多いんのかな・・なんだけど、色彩は流行りに同じでも、奥のコロコロたのしき真っ白な洞窟に辿り着いちゃったので・・ホットする。楽しい・とても気持ちいい〜。玄関先で得た抜けるあの気持ちよさとも異なるぬくーい感じ。 この部屋をお借りし、電源は厨房から拝借し 持参したコードを伸ばす〜、初挑戦だよ!インタビュー!・・。

玄関先から 戻られた槻橋さんには 西奥のソファーに腰掛けていただき、いよいよ開始する〜・・ドントン順調に話は進んでいく〜・・やく20分ほど経ち記録されているかどうかビデオ操作をたしかめると・・?!・・何も記録されていないじゃん〜あんれま〜・・慌てて・・ビデオをひったおし壊しそうになるも 寸前抱えて破壊を免れ、再度カメラをセット。インタビューのやり直し〜・・せっかくいい話で乗ってきたのに〜・・このドタバタ ドタバタ ・・を許していただきまして〜  槻橋さん苦笑してる酢。

まぁ 初めてってのは 何でも上手くいくわきゃないんだけど、上手くやりたい気持ちが勝って、ドジルを重ねるってのが 関の山なんだね (笑) 


文字おこが済んだインタビュ内容は 現在校正中で、公開するかどうか決めていなのだ が、この建築は仙台の若い人向けて提案した内容をもつこと とか、発注者が施工者でもあり、工務店の展示建築も兼ねていること等から 話が始まっています。工事前や現場において、建築家と工事現場の人とのコミュニケーションのいろいろな事が次に語られました。

槻橋さんが 東大の生産研究所で学生だった時分に すでに「私は建築家です」と宣言していたのだそうで、長〜い実作無き 建築家時代があって、十数年を経てよやく この建築を世に送り出されたわけです。 (拍手パチパチパチ〜)長い無作の時代 のことや 現在の意気込みなども 語られています。

建築家が最初に建築を社会に送り出す瞬間に有る あの 様々な矛盾をはらんだエネルギーの存在を静かに感じることができる 初建築ですし 語りだと思いました。寸評で片を付けるような訳にはいなない、そんなことしたくない 楽しき豊かさがあるのです。 公開は10年後かもしれません・・それまでお待ちくださいませ(笑)


● 質問し忘れたこと

聞き手は施工会社の設計部を経て建築事務所を開き 建築の設計を生業とし生活してきたのだが、 その体験から推測すると 建築の発注者が同時に施工者であるような 仲良しの関係になることは困難ではないだろうかという疑問がまず浮かぶ。 被害妄想気味に書けば、むしろ施工者には避けられたり、脅かされたり、排除されるような事が多かった。だから設計者と施工者のラブラブな関係を想像できない

建築家がよき建築を目指す事態と 施工者が建築を作ることによって収益を上げ生きるということは、同じ土俵では矛盾し成立しない と思う。それはJR西日本宝塚線でおきた脱線事故の 安全対策と効率による利潤追求のように 同地に育つような価値感ではない。 だから 土俵を違えて条件を守り、整えてようとする中で 健闘しあわなければならない事態のように思う。 

 仕事ほしさに建築コストを下げるためと称し 地震時の度に体験的に学んだ 破壊状況によって得た知恵知識の数かを 土台に改正されつづけている建築基準法をも犯し 構造計算を粉飾して その建築の所有者を不安のどん底に突き落とすし輩も出た。建築士の社会的信頼も一気に溝に突き落としてしまった馬鹿者。 その 様な 対立するんしゃない〜の〜 建築家と施工会社との関係・・のなかにあって 将来を見据えてどのような 関係を構築していこうと したのだろうか? 



今回の場合は発注者のセルフビルを目的に作られた建物ではないようだけれど そのときにボンヤリ思いだした  一つのケースがあった。

それは作ることと 考えることの分業化を否定するかのような建築的事態。「カイタクシャノイエ」と呼ばれた 長野県菅平にある農業を営まれている正橋さん所有の住宅建築である。レタス農家正橋さんが発注し 建築家の石山さんが設計し、正橋さんが12年ほどかけ施工し完成した、ドラム缶のような機関車のような建築。 建築雑誌で取り上げられたので知っている方も多いと思う。建築家と発注者であり施工者でもある、完全なるか〜? あの関係である。 

川合さんドラム缶建築は渥美半島の根本の二川にある ドラム缶建築の本家・家元と 菅平にある正橋さんが施工した弟子ドラム缶建築を 聞き手は以前に訪ねている。

河合さんにはお目に掛かることができなかったが正橋さん(正橋・石山氏は河合さんの兄弟弟子−昭和住宅物語・藤森照信 著p396)にはお会いし、話を聞くことができた。正橋さんは「もう一軒自分の設計で作るよ」と笑っていた。その時の印象では 設計者と施工・発注者が共に目指したはずのユートピアって「微妙だったんだな〜」と思ったことだ。

その微妙な、横ずれした感じは 正橋さんは農家のかたで建築の施工が素人だったことによるのか、農業を営み建築の使う手としての体験から滲みでて来てるのか、施工の余りにも時間が掛かりすぎたからか、兄弟 弟子間の競争芯() から生まれのか 判断ができないんだけど・・。写真に撮ったり 文字や絵に書いて済ませることが出来ない 簡単に澄ませちゃ〜いけないような 幸福な関係であったのだろう。

「うまくいくのかな〜 発注者が施工者であるような建築と建築家の関係ってのはな〜」・・「そこにどんな意図を発明したり再解釈を 槻橋さんは重ねたのだろうかな〜」  施工会社に所属する建築家が、学問の世界に所属する建築家のように 時代を引っ張る建築を世に問わない現実のなかで は学問の建築に身を置く槻橋さんにとっては不利益を招くことにならないのだろうか・・と。うぶな心配をしちゃたりするのだが・・


 ●★ 続く