地唄 「鐘が岬」
立方 萩井三千栄
宝暦九年(1759)十二月、大阪中村座初演。
初代中村富十郎が江戸で踊った「京鹿子娘道成寺」が評判となり、後年上方へ帰って上方唄に直して「九州釣鐘岬」の名題で上演し、その曲が残ったものです。
もともと娘道成寺を下敷きにしているだけに、地唄舞としては他の曲に比べて大変華やかで、派手な技巧も取り入れられており、それを柔らかく優艶に表現するところにこの作品の魅力があります。
舞は長唄と同じ歌詞の「鐘に怨みは・・・」から、毬唄の「縁じゃえ・・・」の留めで終わりにしていますが、それだけに引き締まった作品になっています。