2002 入学前の日記

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2002.04.08 脳波検査

春休みなので、やりそこねてた脳波検査を決行しました。
ドラくんは今までにもう3回も脳波はとっていますが(内1回は熱性けいれんを起こした後の爆睡状態で取ったので
薬は飲んでいません)もちろん異様に甘くっておいしくないという噂の眠り薬(トリ○ロ)に慣れるハズもありませんので
検査をするのはとても気が思いのですが。
最近のドラは以前に比べていろいろな事をよく理解しており、しかも嫌な事に対してはちゃんと主張するように
なっているので、もしかすると今回は空振りになってしまうかもと覚悟はして病院に行きました。

でも実はドラくんは、この病院はとても好きで(看護婦さんがとても優しい)「○○病院に行きます」と言ったら
私を道案内して病院まで到着。そして小児科に着いてもまだゴキゲンでした。
なので「ドラくんはこれからお薬を飲んで病院でお昼寝します」と説明。まだうんうんとうなづいている。
でも看護婦さんか薬を持ってきたのを見た途端「うぉ〜〜」といって逃走(爆)・・・やっぱりねぇ。
看護婦さん、飲みにくいので薬を水で割ってくれたらしく量が結構ある。
なので持ってきていた水筒のコップに入れ換えて「ドラくんは飲みます」と言ったら、戻ってきてコクッと一口飲みました♪
でも飲んだらやっぱりまずいので、今度はなかなか飲んでくれません。
なので持ってきたドラくんの超大好物のドライクランベリーを見せる。するとまたちょっと飲んでくれました。
そしてそれを5回くらい繰り返し、どうにか全部飲んでくれたのでした。良かったぁ。
2年前は3人がかりで羽交い締めにされて飲まされたドラくんだったけど、今回はどうにか自分で飲んでくれたのでした。
でも面白かったのが、心配して見に来てくれた先生や看護婦さんたちに、シャツをあげてお腹を見せるんですよ。
ドラくんは病院はお腹を見せるものだと思っているらしく、多分「お腹を見せるから許してくれ〜」とでも
言いたかったのかもしれません。

それから検査室のほうに移動してしばらく私が抱っこしながら待合室で待っていました。
もうかなり眠いようではあったのですが、テレビの音が気になるらしくなかなか寝られません。
そして検査の時間がきたので、検査室の方に移動しました。
今回私は検査の為に、保育園で使っていたパジャマとSSTカードを持っていきました。
そのままでも寝そうだったのですが、やはり検査の機械で遊びはじめたので
カードを見せて「ドラくんはここでお昼寝をします。かあかも一緒だから大丈夫だよ」と言ったら・・・泣かれてしまった(笑)
でもそれからすんなり着替えはじめて、ベットに寝かせた時は今度はゲラゲラと笑っていました。
一緒に添い寝をしていたのですが、どうも今回は薬の効きがいまいちのようでした。いつもはバタっと寝るのですが
何故か寝る時は普通の時と同じような感じでした。でもどうにか30分遅れで検査は開始する事ができました。

そして検査結果は「今回は全く問題なし」という事でした。
ドラは5歳の時から熱性けいれんを起こしています。そしてこのけいれんはいつも発熱がない状態で起こるので
(発熱は後からくる)いわゆる「てんかん予備軍」の可能性がある事を指摘されています。
なので早期発見の為に、年に1回は脳波を取る事を勧められている子なのです。
でも今回の結果は、疑いようがない結果だったようで
「これでもうけいれんがないようであれば、もう脳波検査はいらないよ」とまで担当医は言ってくれました。
でもこの先生は楽観的性格でして(笑)
実はドラくんに関わってくれている小児神経医は、ここの病院を含めて3人もいるんですが
あと2人の先生には「まだまだ要注意よ〜」と言われております(笑)
だからまた2年後くらいには検査しなくてはいけないでしょう
ね。今度は検査する時は、もっと楽にさせてもらえるかなぁ?
2002.03.31 卒園式

例年よりずいぶんと早い桜が咲いている日に、ドラくんの卒園式がありました。
保育園に着いてすぐにドラを捜したら・・・見つからない(笑)
「どこにいるんだろう?」と思っていたら、最初に私が入った部屋で先生が絵本の読み聞かせをしていた
その集団の中にまぎれ込んでいました。
私はその時先生に挨拶したのに、ドラは私の声に気がつかなかったんだろうか?
とにかくお友達の輪から動かずに、ちゃんと座っていました。どうも信じられない(笑)

式の会場には、園児が歩く場所に小さな花鉢が置いてありました。ううっ、ドラは気になってしまわないのだろうか?
先生が「正面の右側の席に座って下さいね。ちゃんとドラくんの顔を見てあげてくださいね」
・・、そんな事してドラははしゃいで私のところにきたりしないのだろうか(笑)
そんな心配を抱えながら、式は始まりました。
ドラくんゆっくりですけどちゃんと歩いてきて、私を見つけてニコーッとしました。
でも特に動く事もなく、式の最中もちゃんと座っていられました。ぴっくりですわ(笑)

卒業というと感動の涙はつきものなのですが、ドラくんは笑いの天才児なので
もろちんいろいろとやらかしてくれました。
式といっても園長先生などのお話しと、証書や記念品をもらうだけです。
ドラくんが証書をもらう時、名前を呼ばれて園長先生の前にやってきたドラくん。
「○○ドラくん」と園長先生に言われるとうんうんとうなずく。
「1年間、よく通いました」と言われると自分で拍手(爆)しかも最後にばいばいまでしやがって。
・・・・実は園長先生はとても優しいので大好きなのだ!
記念品をもらいに行くときもドラくん「〜をいただきましょう」と先生が言うたびに
「えっ?何かくれるの?」と反応してねー。もう私はおかしくっておかしくって(爆)
でもちゃんといろんなものを嬉しそうにもらってきて、またちゃんと座っていられたので
本当に別人に変貌したなぁとつくづく実感してしまいました。

もちろん家でのドラくんは、こんなにしっかりしたヤツじゃありません。
でも保育園では「座っている時間は座るのが決まり」であり、それを守る事ができるようになったのだと思います。
もちろん一朝一夕で座れるようになったのではないと思います。
それは保母さんたちが「根気よく、でも絶対にドラに負けないで」指導してくれた賜物だっと思っています。
ドラを本当に可愛がってくれた先生たちばっかりです。
いつもドラが抱っこをせがむと嫌がらずにしてくれるお気に入りの先生。
いつもおいしい給食を作っていただいた先生たち。・・・よくドラはかまってもらってたらしいです。
いつもドラが泣いてると「いいよーいいよー」といってかばってくれた優しい園長先生。
いつも厳しく指導していただいたドラ担@2号先生。
でもちゃんと障害の事は理解してくれているので(実は元養護学校の教師)厳しくしすぎないように
ちゃんとフォローもしてくれていたのでした(笑)
そしてずーっと3年間ドラを見てもらって、心底可愛がってくれたドラ担@1号先生。
実は先生証書を渡すとき、感極まってドラの名前がなかなか呼べませんでした。
そんな先生を見て思わずもらい泣きしそうになってしまった私。・・・・って普通逆だろがっ!(爆)
保育園全てのスタッフの方たちに感謝いたします。皆さま、どうもありがとうごさいました。
2002.03.05  生活発表会

毎回恒例なのですが(笑)イベント嫌いのドラくん、生活発表会の本番が近づくにつれどんどん機嫌が悪くなっていく。
特に今回はとても強硬に嫌がって、朝コタツに入ったきり出で来なくなったりしていました。
「い〜や〜だ〜」と叫び、私にしがみついて離れません。
でも着替えさせてしまうと諦めがつくようなので、本番までは着替えを手伝ってやっていました。
そりゃあ嫌な所に行くために着替えるなんて、論理的ではないですもんねー(笑)

保育園でもかなり抵抗はしていたようでした。小さい子供のクラスが外で遊んでいるを見て
「ボクは何で外で遊べないんだろう?」とさめざめと泣いてたらしい(爆)
でも帰ってくると何故かとってもいい笑顔。「練習、頑張ってきたんだぁ。偉いね〜」と言うと、えっへんとした顔をする。
本人にとっては、今回はかなり頑張っているという自覚はあるように見えました。そうゆう事は初めてです。

そして発表会当日。
ドラパパは「何か太鼓をたたくらしいよー」と聞かされていたのに、なっ、なんと
「合奏で太鼓を叩き」「棒を持って踊り」「ハンドベル」にも出演!!・・・こりゃあ、大変だった訳だわ〜。
でもドラくん、どれも逃げる事なく一生懸命やりました。
あっ、でも2回くらい逃げようとしたっけな?・・まあそれくらいは誤差範囲ですわ(笑)

でも今回1番びっくりした事。お着替えをして再度登場した時に、私を見つけてちょっと得意げな顔をした事。
いつもこうゆう時は凍った顔して、救いを求めるような顔をするドラくん。
今回はしっかりと「見ててねぇ」とでも言いたげな顔をしているのでした。またひとつ階段を登った音がしました。

発表会は1時間ほどでスムーズに終了。終わって私のところに来たので、もちろんめちゃめちゃ誉めまくりました。
ドラくん嬉しくって、はしゃぎまくって大騒ぎ〜♪でもしばらくしたら・・・しゃっくりが止まらない〜(笑)
やっぱり相当緊張していたのでしょうねぇ。その上夕方から吐き気で調子まで悪くなったドラくん。
母は「もう終わったからね〜。大丈夫だよ〜」と、何度も何度も言い続けたのでした。
2002.01.12 年末に想うこと 〜母のつぶやき〜(番外編)

去年の大掃除に向けて、我が家は「要らないモノ」をとにかく捨てまくりました。
ドラの障害がわかる前に買ったおもちゃ、買ってきたけど色や模様が気になってしまい
あまり着せなかったドラの洋服などです。(使ってもらえそうなモノは保育園にもらってもらいましたが)
私の洋服もドラが気になってしまうモノは捨てました。
ワンポイントがあるもの、ボーダーのモノなど、基本的に全てのものが気になってしまうようなので。
元々若い頃着ていた洋服は、色的にも現在は(母は○1歳)かなり無理があるモノもたくさんあり(笑)
でも思い出もあって捨てられなかったのもたっくさんあったのです。全てをとにかく思い切って捨てまくりました。
そしてこれからは、洋服は○印商品とユ○○ロにお世話になる事に決めたのでした(笑)

実は大掃除をやりながら私は、「なんか久しぶりに掃除しているような気分」になっていました。
なんとなーく適当にやっている掃除(もともと掃除は嫌い)でしたが、ドラが生まれてから
いや多分ドラの障害がわかってからは、まともにやっていなかったのだと思います。
いろんな所は油にまみれ、鍋はこげついているし、賞味期限の食料品がごそっとありました。
まぁ病気のせいでまともに料理できなかった事もあったのですが、使っていない調味料(特に○○ソース系)が
とにかくごそっと出てきて、ぞ〜っとしましたわ〜(爆)そしてそれらもぜ〜んぶキレイに廃棄したのでした。
あ゛〜、もったいないおばけ様。もうこれっきりにしますので、お許くださいませ〜♪・・という気分です(笑)

ドラが生まれてから、いろんな事が変わりました。普通の子供が生まれても変わっていくと思いますが
ドラは普通よりかなり不思議な子なので、変わった事も数えきれない程です。
家の中が鍵だらけになり、毎日どこかに必ずおでかけして、朝はお正月でも9時までには起きるようになりました。
朝寝坊を止めたのは実は今年からですが。以前は「年に1〜2度のお休みくらい」と親が寝坊したいばっかりに
寝坊させてたのですが、あとあと大変なので今年からやめました。
そして洋服も総とっかえして、ドラに合ったおもちゃを探し、部屋には余計なモノを置かなくなっていきました。

ドラの就学が内定し、ほっと安堵したこの年の暮れ。なんとなくいろいろな事に想いをめぐらせていました。
障害の告知を受けると、まず家族は間違いなく混乱をします。
そしてしばらくするとそこからはい上がって、今度は「この現状を何とかしなくては」と思い
混乱しながらも歩き始めます。でも一朝一夕には、その混乱からは抜け出せる訳ではありません。
毎日が思考錯誤の連続でした。ドラが少しでも喜んだモノは、おもちゃとして活用できないかと思ったり
逆に嫌がったモノは「どうして嫌がるのか?どうしたら克服できるのか?」と考えたり。
本当に毎日観察しまくりました。そのうち「こうやって関わればいいんだ」という事がなんとなく理解できるようになり
随分楽になっていきました。しかしその中には「理由がわからないけど」というモノも結構ありました。
でも障害の事を知りたくて始めたネットの中で、自分の知りたい情報を大半は見つける事ができました。
・・・それでも未だにわからない謎はたくさんありますが(笑)
そしてネットを始めたおかけでたくさんの人達に巡り合い、本当に助けていただきました。

障害告知の混乱から抜け出した後に家庭を立て直す時期が来るのだと、どこかで聞いた事があります。
我が家もやっとその時期にたどりついたのかもしれません。
もちろんこれからも問題は山積みだし、やるべき事はたくさんあるのですが
「やるべき方向性」は見えてきたという事なのだと思います。
ここまでくるのに障害の告知をされてから3年かかったという事になります。
でも思い返してみても、長かったのか短かったのかもよくわからないです。やっぱりかなり混乱してたのね〜(笑)

ドラの主治医にしみじみと言われた言葉があります。
「ひいろさん、よくドラくんの事をここまで理解できるようになったわねー」と(笑)
そして「みんながそうゆう風に子供の事を理解できるといいんだけど」とも言われました。
私は「自分自身で消化していないモノは、いっくら他人(たとえお医者様でも)が説得しても無理だと思います。
自分で考えて、試してみて、そしてやっと納得するんだと思う。私だってひと通りの事やったもん(笑)
そしてその中で『ドラに合った関わり方』を見つける事ができた」
・・・医者に面と向かってこんな事を言うヤツも珍しいと思うが(笑)でもそうゆう事なのだと思います。
ドラくんも来年は学校に行きます。ドラの足で歩いて5分かからない場所にある養護学校に就学予定です。
きっとまたいろんな事件を巻き起こす事でしょう。でも母はもう混乱はしていてませんから、きっと大丈夫でしょう。

                   という事で、今年もよろしくお願いしまぁす♪