予定変更された「買い物学習」

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学年末のある日、学校で買い物学習が行われました。
近くのスーパーに、自分の好きなお菓子を買いに行くという事になっていました。
でも、それがとんでもない事になってしまったのです。これは学校側に提出した手紙です。

今回の経緯

買い物学習の行き先は○○スーパーという事でした。
お金は学校で用意し、各自好きなお菓子を買うという説明でした。
この日の朝、ドラは自分で洋服を持ってきて着替えようとしていました。
母は特に朝、説明をした訳ではありませんでしたが、何故か理解していたようで
「○○に買い物を行くんだね」と言ったら、とっても嬉しそうな顔をしていました。
今年度は、学校に行く時自ら着替えた事はなかったので、母もとても嬉しく思っていました。
きっと、その時点でもう既にドラの頭の中には、何か買いたいものがあったのかもしれません。
でも実際には、何故か隣のコンビニに変更になり、しかも買ったお菓子は学校では食べさせてもらえずに
自宅に持ち帰ってきました。

先生方の説明(連絡帳に書いてあるとおりです)

「小雨が降っていたので、近い所のほうが良いとの判断」

「買い物に行く直前には、コンビニに行くと伝えた」

「買ったものを持たせるという事は、プリントでお知らせしてある」

「買ってすぐに食べられないので、ちょっとぺそかき気味でしたが、前からあった
アーモンドチョコポッキーを1本とおせんべいを少し食べ」

その後の説明で

「買ったものを公園などで食べるというのは、低学年のうちで高等部や中学になると
学校に戻ってから、また自宅に持って帰る」というのが、段階的指導です」

「自閉症のお子さんの障害の理解については、お子さんによって得意なこと、苦手なこと
許容範囲の広さ、狭さ・・様々であり、ひとりひとり違うと思います。
クラスの子供たちみんな個性的で障害も違いますので、個々の子供が混乱をおこすようなことは
なるべくしないようにと思っています」

さて。

>「小雨が降っていたので、近い所のほうが良いとの判断」

スーパーとコンビニは隣です。行き方によっては、スーパーのほうが近いです。

>「買い物に行く直前には、コンビニに行くと伝えた」

ありがとうございます。
でも「視覚支援」ではなく、「視覚指示」になっていませんでしたか?

>「買ったものを持たせるという事は、プリントでお知らせしてある」

すみません、見落としていました。

>「買ってすぐに食べられないので、ちょっとべそかき気味でしたが、前からあった
アーモンドチョコポッキーを1本とおせんべいを少し食べ」


学校に戻って買ったお菓子を食べさせないのに、別のお菓子を与える事に
どういう意味があったのでしょうか?

>その後の説明で
「買ったものを公園などで食べるというのは、低学年のうちで高等部や中学になると
学校に戻ってから、また自宅に持って帰る」というのが、段階的指導です」


発達段階は個々により違います。
本人に突然「今日から高学年になって、おにーちゃんなんだから」と説明しても理解できません。
説明できない事を、どうやって段階的指導するのか理解できません。
自宅に持ち帰るという事が「がまん」を強いるだけなのであれば最悪の場合
その教育自体が「マイナスの教育」になってしまう事もあります。

>「自閉症のお子さんの障害の理解については、お子さんによって得意なこと、苦手なこと、許容範囲の広さ、狭さ・・様々であり、ひとりひとり違うと思います。クラスの子供たちみんな個性的で障害も違いますので、個々の子供が混乱をおこすようなことは、なるべくしないようにと思っています」

もちろんです。だからこそ、コンビニでなくてはダメだった理由があるのでしたら
自己選択をさせて頂きたかったのです。
「スーパーとコンビニ、どっちがいい?」と子供達に聞いて欲しかったのです。
それで本人がコンビニに行くと決めた事であれば、そこには達成感が生まれます。
一番大事なのは「自己決定、自己責任」なのですから。

今回の事で一番問題なのは、ドラ本人が納得していなかった事です。
家に戻ってから、ドラはお菓子を自分で出しませんでした。
そして母が出してやったら、怒りながら食べていました。納得できていなかったのでしょう。
確かに家でもこういう事はよくある事です。
最近は勝手に「冷蔵庫に○○がある」と思いこんだり、順番が違うと怒ったりと
いわゆる「俺ルール」が炸裂してます。
そういう時は、できる事であれば「今度ね」と約束をして、その約束は必ず守るようにしています。
約束を守ってあげれば、そこにお互いの信頼が生まれ、信頼している人の言うことならば
そのうち渋々かもしれませんが、聞いてくれるようになります。
例えば予定が変更になった場合に納得できない場合は
「お母さんに連れてってもらうように頼もう」と、ドラにわかる文字や絵で手紙を持って帰ってきて
ドラが私にそれを見せれば、伝わったというので嬉しくなると思います。
そういったやりとりを数多くする事で、コミュニケーションの根っ子の部分を
育てる事になると、私は確信しています。

何度も何度も繰り返し言っておりますが、私は「我慢」を覚える為に
ドラを学校に行かせている訳ではありません。どうか子供をスキルなどの
表面的なものだけに囚われず、「心の動き」に注目してあげてください。

よろしくお願いいたします。