| 発症10日前 |
風邪をひく。セキがひどいタイプの風邪。熱はさほど出なかった。 市販の風邪薬を飲んですぐに治る。セキはすこし長引く。 発症2日前 |
幼稚園のお餅つき大会の準備で午後に幼稚園に行く。仕事をしながらふと気がつくと下唇がしびれて変な感じ。 |
| 痛くもないので気にもとめなかった。 発症前日 |
お餅つき大会当日。前日と同じく唇はしびれている。その上舌も少ししびれている事に気づく。 |
| その時は忙しかったので気にしていなかったのだが後で思えば身体の動きも少し悪かった。 |
| 足が重たくて1度階段を踏み外しそうになっている。でもまだ「寝れば治る」と思っていた。 |
| 仕事が終わってから、16キロのドラをのせて自転車で帰る力はまだあった。 発症1日目 いつものように朝起きようとしたら・・たっ、立ち上がれない(笑) どうにかつかまりながら立ち上がる。でも何故か立ってしまうと意外に普通に動けるので朝ご飯の支度をし |
| ドラのお弁当を作る。それから一息つこうとして座ったらまた立てない。 |
| 腰が抜けたような感じという言葉がびったりの気がする(腰は抜かした事ないけどさ) |
| さすがにこれはおかしいと思いはじめた私は、ドラのかかりつけの医院に予約を入れる。 どこの病院に行っていいのがわからなかったので。ここは個人病院なのだか先生が侮れない人だから |
| きっとどこかを紹介してくれるはずだと思った。 医院は歩いて数分、その日は小雨が降っていたので傘を杖がわりにして歩く。 |
| マンションの階段を降りて少しふらふらするが歩いていった。 |
| でも医院に入るのに階段を登ったとたん足を踏み外してこける(ドラパパがいたので大事には至らず) |
| そこに先生が出勤してきたので「先生、身体がへんなの〜」と叫ぶ(笑) 診察の結果「運動障害があるね。とにかく検査、入院になるから。それに内科をとばして脳外科に行くように」との話。 |
| ゲッ、脳外科?それって結構ヤバイって事だなぁと漠然と感じる。 |
| すると先生が「ところで○○病院と××大学病院、どっちにする?」といわれる。 |
| ○○病院はドラの入院でお世話になってる病院だ。××大学病院もドラの小児神経の先生がいる。 |
| 迷ったが「○○病院のほうが近いし、大学病院はねぇ」(笑)という事で○○病院に決定する。 |
| はたしてそれが吉とでるのか(笑) ○○病院に着いて初診だった私は書類を書かされる。でも手が震えていつものようには書けなかった。 |
| 診察室に通され状況説明をする。「とにかくCTをとってきて」と言われここで初めて車いすに乗らされる。 |
| CTをとった帰りに看護婦さんにお願いしてトイレに寄ってもらう。 |
| まだこの時点では、腰を少しあげてもらえれば移動する事もできた。 CTの結果はシロ。でも診察の結果、身体のほとんどが麻痺した状態。足は歩く事はできるが |
| 座って上に上げようとすると上がらず。足首は指もちゃんと動く。手は震えがあるけど上げられるし |
| 指もちゃんとグーパーできる。皮膚の感覚はあるのだか、手のひらと足の裏が特にじんじん痺れている。 |
| 右よりも左のほうの麻痺が強いようだ。 |
| 担当の先生は若い先生で「特に原因は見つからなかったけどこのまま帰すのもねぇ」という感じでいう。 |
| しかも今満床で、数千円の個室しか空いてないらしい。実はこの日は金曜日で私はこの病院にドラを入院させているので |
| 知っているのだが土日になると検査が全く止まってしまうのだ。だから入院しても「寝てるだけ」という事になる。 |
| だから「いやだ、お金がもったいないから帰る」と一応ダダをこねてみた。 |
| が、やはり「急変する可能性もあるから」と諭されておとなしく入院する事になる。 病室に連れていかれる前に血液検査と髄液検査(ルンバール)をする。 ルンバールは聞いた事はあるけどもちろん初体験。痛くはないけど「抜かれていく感じ」が何とも気持ちが悪い。 |
| それから2時間安静。脊髄の近くで麻酔を使うので安静にしていないと頭痛などを引き起こすらしい。 |
| その間に先生がドラパパを呼んで事情説明をしたらしい。 |
| ドラパパは何を血迷ったか自転車でくればいいのにわざわざタクシーで来たらしい。 |
| 「だって話しがありますからきてくださいって言われたから早く来なくちゃいけないと思ってさ」 |
| あの〜、ここの病院周辺道路が混んでるから自転車のほうが早いと思うのだけれど(笑) |
| 多少ドラパパも舞い上がっていたのかもしれない。 それから病室に通される。ここの病院の大部屋はテレビは有料なのだが、 個室はタダで見れる。冷蔵庫もある。う〜ん、リッチだ。しばらくすると先生がやってきて |
| 血液も髄液も何も出なかったとの報告。「じゃあ、コレってなに?」って聞くと |
| 「う〜ん、今のところは何とも・・このまま治ってしまう事もあるし、進行する場合もある」という。 |
| 今のところは「点滴治療で様子を見る」という治療方針のようだ。帰り際先生が「ごはん食べられるかなぁ?」と聞く。 |
| そういえば朝からなんにも食べてないので腹ぺこだった。「食べます」と答えたが、いざ夕飯を食べようとしたら |
| 「ごはんが喉に入っていかない」お腹はグーグーなってるのにぃ(笑)それでも根性で何口かは食べたが |
| その日のうちに普通食は無理だと悟る。 自分では動けないのでトイレの時にはナースコールを押す。 |
| 昼間は腰をあげてもらえれば立ち上がれたので起きてトイレにいく。 |
| しかし、ベットからトイレに行く時は立てたのだけれどトイレから戻ろうとしたら立ち上がれない。 |
| 看護婦さんに抱えられてどうにかベットに戻る。この日からしばらくペットから全く起き上がれない「要介護」状態になる。 「なんかスゴイ一日だったなぁ」とか思いながら、この時点でも私の気持ちはまだ脳天気だった。 |
| 多分私だけかもしれないのだけど「自分の身体が動かない」という感じは、とっても不思議な感覚なのだ。 |
| しかも突然だからなおさらなのだろう。脳が指示する動きを身体がしないのだから、もっともだと思うのだが。 |
| 「へんなの〜」とか独り言を言いながら笑っていた事を覚えてる。 |
| だか「考えても仕方ないから、はよ寝よ〜」と思って寝たのだか、ねっ、寝れない!30分くらいでおきてしまう。 |
| 人って寝返りを打てないと熟睡できない事を初めて知った。そして怒濤の1日目か終わった。 |
なんにもする事がないのでつまらない!でも睡眠が十分とれていないので、たまにウトウトと寝る。 |
| 昼間はそれでも1〜2時間くらいは寝れたような気がする。夜寝れないのは気分の問題もあったのかもしれない。 |
| ずっとあおむけだと疲れるので寝返りを打ちたいのたが、これがなかなかの重労働。 |
| 腕をベットの柵にひっかけて身体を動かす。しばらくするとまたあおむけに戻るという事を繰り返す。 |
| 足は木の棒のように全く動かない。最初は結構それでも根性で寝返りを打っていたのだが |
| しばらくすると何故だか背中が痛くなってくる。ちょうどいつも肩がこった時に痛くなる場所だ。 |
| 私は腕を使いすぎて「肩こった?」なんて思っていた。 |
| 後でわかった事だがこれはギラン・バレーになった人のほとんとが体験する事らしい。 |
| とにかく背中の痛みはどんどんひどくなる。 |
| でも寝返りをしたいのだがうまくできない。ところで寝返りをうつ時、かぶっているふとんってどうしてると思います? |
| 実は動く時無意識にふとんを持ち上げて寝返りをうっているハズ(良くなってから実験した) |
| でもこの時の状態はふとんをふわっとさせる力すらない。・・という事は寝返りをうっているとふとんが体中に巻きついてきて |
| ミイラ化するんだな(笑)そうなると、看護婦さんに頼むしかない。 普通食が取れないので「ペースト食」に変わる。いわゆる3ヶ月の子供の離乳食だ。 |
| 震える手でドラのスプーンを使いどうにか食べる。お腹がすいているので、結構おいしかったりした。 |
| それとドラパパに「○ィダーイ○○リー」を買ってきてもらう。コレなら自分でも飲めるし、スルっと入っていく。 |
| あとはヨーグルトとかゼリーとか、のどごしのよいモノを買ってきてもらう。 |
| 人によっては味覚障害が起きる事もあるそうなのだが、私は最後まで大丈夫だった。 |
| でもどんどん背中の痛みがひどくなっていく。そうするとベットの頭を上げて(CMでおなじみ○ラマ○○トベット) |
| 食事をしようとすると背中に激痛が走るのだ。食事を横に持ってきてもらって頭を少しあげて食事を摂る。 ドラの担当の保母さんA先生がお見舞いにきてくれる。いろいろと話していると左目から涙がポロリ。 |
| 別に哀しかった訳でもないのになんでだろ?感情もコントロールできなくなっているのかな?と思った。 |
| きっと保母さんは私が泣いたと勘違いして帰ったに違いない。う〜ん、困った、そんなキャラじゃないのにぃ(笑) |
| 今思うと、この日くらいから顔面麻痺がはじまっていたようだ。目が閉じられなくなってきているので涙がでるのだ。 ろれつも回らなくなり、気をつけていないと口に入れたモノがだらだらっと出てきてしまう。左側の口が閉じないのだ。 全く動けないからもちろんトイレには行けない。おしっこをしたい時は看護婦に尿器を持ってきてもらう。 |
| 最初は力の入れ具合がわからずにとまどうが結構すぐに慣れる。 普通の人はトイレに行けないというストレスはかなりのものだと思うが、私の場合突然身体が動かなくなってしまったので |
| この時点では特に抵抗感はなかった。ところで私はトイレの回数がとても少ない体質で日に3〜4回くらいしか行かない。 |
| しかし点滴治療をしているのでその分は多少多くなる。それは自分自身でも理解はしていたのだが |
| トイレに行きたいと思った時に看護婦さんをよんでも間に合わないという事が起きる。 |
| 実はコレもギラン・バレーの症状のひとつで「尿意をしたいと思った時には間に合わない、逆にたまっているのがわからない、 |
| たまっていても出ない」(これも麻痺によるものらしい)という状態だったようだ。 |
| しばらくすると看護婦さんがやってきてアソコに管を入れられた。寝たきり老人につけるヤツだ。 |
| コレがとにかくものすごく気持ちが悪い!いつでもおしっこをしている状態なのだから当たり前だ。 |
| さすがにこれは堪えられないと思い看護婦さんを呼んでとってもらうように頼む。 |
| すると「先生の指示がないと・・」というので |
| 「このままでは気持ちが悪くってご飯も食べられません」(ちょっと脅し)と哀願する(笑) |
| しばらくしたら脅しがきいたのが看護婦さんが外しにきてくれた。・・助かった。 |
| 頭がしっかりしているご老人がコレをつけられたらかなりショックだと思う。 |
| そりゃあ看護婦さんたちは大変かもしれないけどさ、人によっては人格ゆがむと思うよ。なんとかならないのかな? |
MRIの検査をする。背中が痛いので痛み止めを使ってどうにかやり過ごす。麻痺はいたるところで進行しているようだった。 |
| もちろん背中は超激痛。このあたりから、何故か手のひらと足の裏がじんじんするのは少し良くなってくる。 担当医がやってくる。MRIは思った通り異常なし。「3日間様子をみたが、病気はどんどん進行しています。 |
| よってギラン・バレー症候群の疑いがあります。この病気は単純血漿交換療法という治療法が効果的ですが |
| この病院では行えません。しかるべき施設のある神経内科の病院へ『一刻も早く』転院するようにして下さい」 |
| ここで初めて「ギラン・バレー症候群」という名前がでできた。担当医のほうで転院先を探してくれるという話だ。 |
| 入院期間は多分2ヶ月くらいになるという話。長期入院になる。 |
| という事はいくら完全看護とはいえ病院に通う人が必要になる。 |
| ドラパパだけではとても無理だ。両親にも協力してもらう事になるだろう。 |
| だが私の住んでいるところは東京で、実家は横浜にある。私の両親が病院に通うとするとかなり大変だ。 |
| それならいっそのこと横浜で病院を探したらという話が飛び出す。しばらくしてまた担当医がやってきて |
| 転院先の病院の予約が取れたという話。だが「あさってカルテだけを持ってご主人が1度病院にいってくれ」という事。 |
| 予約があさってなら、あと1日あるから横浜の病院を探してみる時間はある。 |
| そこの病院に一応予約を入れてもらって明日いっぱい病院を探す手筈になった。 |
発症5日目 |
| 両親がやってくる。横浜の病院探しは駄目だったようだ。べットは満床。 |
| それに聞いた話によると「東京から神奈川に転院するのはタブー」なのだそうだ。 |
| 東京と神奈川は犬猿の仲だから、いろんな暗黙のルールがあるらしい(怒) |
| でもそうなると紹介してくれた病院に決定だなと思っていたら、ドラパパが電話で |
| 「☆☆大学病院にあたっているから待て」と言う。 |
| 実はドラの体調が悪く、前出のドラのかかりつけ医に連れていった際に病院の事を相談したら |
| 「ギラン・バレーなら大学病院を探しなさい。確か☆☆大学病院でギラン・バレーの治療ができるはずだから」とアドバイスを |
| 受けたらしい。それでドラパパが直接☆☆大学病院に電話したら |
| 「そういった事は現在入院している担当医の方に電話をしてもらって下さい」と言われ |
| 担当医のほうから大学病院に電話をお願いしてもらっていたようだ。 夕方ドラパパがやってくる。前日にネットでギラン・バレーについて調べてきたらしい。以下がその時の夫婦の会話。 |
ドラパパ「大丈夫!めったな事では死なないらしいから。突然呼吸が止まるのが1番危険らしいから |
| 止まりそうになったらナースコールを押せ!」 ひいろ「ねぇ、呼吸が止まった状態でどうやってナースコールも押せっていうのよ」 ドラパパ「それからほとんどが完治する病気らしい。ただし何らかの障害が残るのが20%」 ひいろ「ふん、障害なんて言葉、恐くなんかないわさ(笑)」 ドラパパ「10万人にひとりしかかからない珍しい病気らしいぞ。難病のリストに入ってた」 ひいろ「10万人にひとり?ねぇ、それって宝くじが当たる確率と同じじゃん。 |
| なんで宝くじ当たらないでこんな病気にあたるかなぁ(笑)」 ドラパパ「しっかし、かあちゃんは運が悪いわ。実は血漿交換療法と同じ効果があって副作用もすくない |
| グロブリン治療ってのがあと数ヶ月で保険適用になるらしいぞ。残念だったなぁ」 |
| 血漿交換療法というのは人工透析のように:血漿を交換していく方法で結構大変らしい。 |
| 変だなぁ、私は運がいいので有名なんだけどな? ウチの夫婦の会話はいつもこんなんです(爆)別に漫才やってるわけではありません。 担当医が☆☆大学病院に電話をかけてくれた結果 |
| 「明日本人を連れて○○先生のところに来てください。ただしベットは、ほぼ満床なので数万円の個室しかないです」 |
| ドラパパ開口一番「貧乏人の足元みやがって」(爆) |
| でもここの病院は私を連れてきてくれといっているし、しかも高いけどベットまで一応確保してくれているようだ。 |
| それに比べて担当医が紹介してくれた病院はいつ転院できるのかは不明だ。担当医の言った「一刻も早く」という言葉と |
| かかりつけ医の助言もあったので「☆☆大学病院」に決める。 |
| 「あ゛〜、今回は大学病院からは逃げられないのね」ちょっと気分が暗くなる。 さて、転院が決まったのはいいのだけれど、身体の動かない私をどうやって搬送するか? 自家用車で行けたらいいのだけれど、行けるのだろうかと不安になる。看護婦さんに相談したら |
| 「じゃあ、車椅子に乗る練習してみよう」という事になった。ベットから動くのは5日振りだ。起きあがったらかなりくらくらした。 |
| 足の裏も立ってみたらまだ痺れていてじんじんする。しかも首がすわらない事が判明。 |
| 椅子に座っていると頭が後ろにガクっといってしまう。ありとあらゆるところがやられる病気なのだ。 |
| この日あたりから足まで痛くなってくる。丁度つった時のような感じだ。 |
| 指にも力がはいらなくなりパーの状態ができなくなった。指が丸まった状態になる。 |